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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年3月号

2016年3月号 (2016/03/15) 旅日記 ~マレーシア編~

サンジョゼ・ドス・カンポス 今井はるみ
 毎年津軽に半年間住む平々凡々の日常の中、九月十五日から一週間のマレーシアツアーに参加してみました。
 この旅が期待以上に素晴らしかったのです。まず集まった十三人の地方色にびっくり。北海道の旭川より一組の夫婦、岩手県より親子五人、津軽より私たち夫婦、石川県より母娘、山形県より一老婦人、横浜市から一老婦人の寄り集まりでしたが、この山形県と横浜の二人の老婦人の話にはびっくりでした。八十五歳以上と思われるお二人は、ある旅行で知り合い、それ以来、二人で組んでインド、アフリカ、ヨーロッパ等などを歩き廻っているそうですが、その都度「もうお互いに齢だから、これが最後だねぇ」と別れるんだそうです。そう言いながら、もう五年になるんだとか。「アッハッハ」と笑い合っているお二人は、老人とは思えない逞しさと言うか、強さがありました。
 さて、この辺りでマレーシアの旅の話に入りましょう。
 一応、北から南までバスと鉄道で見て歩きましたが、印象に残ったのはジョージタウンの近代都市の美しさと海辺に流れ着いた沢山のプラスチック類のゴミの多さに驚きました。美味しい海鮮料理を食べながら、それらゴミが目に入るのが辛かったですね。
 マレーシアでは珍しく高地で涼しいキャメロン・ハイランドの紅茶畑の広さとハウス栽培の野菜とイチゴ畑が続く中、人でごったがえす市場もバスから降りて見て歩きました。干した果物が色どりよくパックになって売っているのが珍しかったけれども、ブラジルにも同じような果物があるので買いませんでした。
 このキャメロン・ハイランドには老後を過ごす日本人も多くいるそうで、カンポス・ド・ジョルドンを連想させるホテル群がきれいでした。
 バスの窓からも汽車の窓からもどこまで行ってもパーム椰子が植わっているのです。ガイドさんの話によると、国土の六〇%を占めているというのです。ブラジルではパーム椰子に似ているデンデ椰子というのがあるそうですね。
 バスの中はもちろんですが、汽車もキンキンに冷えまくっており、毛布を持参で乗る人が多く、ホテルも店の中も冷えまくっている方が人気があり、暑い国、マレーシアの特徴となっているようです。
 オランダの植民地であったマラッカでは、沢山の花飾りをつけた人力車で遺跡巡りもしました。クアラルンプール近郊では、世界一のホタルの名所と言われる沼を、四人一組でスッーと竿(さお)で音もなく動く小舟でひと廻りしました。夜は夢の中にいるような不思議な静けさと、ホタルの点滅(てんめつ)は素晴らしかったです。小さなホタルが一、二匹、腕にそっと止まりに来てくれたりもして、嬉しかったです。
 オラウータン保護島にも舟で渡り、ヒロシとかマサオと名の付く真ん丸目の可愛いオラウータンたちを見ました。人懐っこくて、垣根越しに見学者たちについて歩いたり、二時頃には昼寝をしに、茂った木の中に次々と入っていく姿も見ました。大きなオラウータンが美しい長い茶色の毛をふさふさと揺らし、大きな背中を丸めて走り込んでいく姿に思わず見とれてしまいました。
 今回のマレーシア旅行は全食事付きだったのです。ホテルの朝食には必ずちりめん雑魚のような小魚と十センチ位の魚がカリッと油で揚げてあるのと、ピーナッツの油炒めなどがあり、珍しかったです。日本に帰ってから、小魚を油でカリッと炒めて食べてみたりしていますが、美味しいですよ。ブラジルでも同じようにして、食べたりしてマレーシアの味を楽しんでいます。昼食と夕食はテーブルに出される料理を皆で分け合って食べる形式でしたが、これも楽しかった思い出の一つになっています。
 こうしたマレーシアの長旅も日本からのガイドさん、日本で語学研修をしたマレーシアのガイドさん、バスの運転手さん、すべての人に恵まれた良い旅でもありました。すべての人に感謝の気持ちでいっぱいです。


天野氏とのかかわり合い

スザノ福寿会 杉本正
 友人とある要件にて、サンミゲール・アルカンジョの日系植民地に行った際、「図書館があるから見て行こう」と言われて立ち寄った。ふと天井を見上げた時、大きな梁(はり)を見たので「すごいのを使っていますね」と言うと「これは天野氏がアマゾンから持ってきたのだ」という。大したものだな、と感心したのを覚えている。が、後に天野氏と老ク連で関わり合いが出来るとはその時は夢にも思わなかった。
 天野氏は日系諸団体が資金に苦慮しているということを耳に挟んだことから、氏の日本の政治家との繋がりからそれを使って力になろうという気持ちがあったようです。
 しかし条件は「当国の定められた規定の登録団体のみ」との事で、最初は文協(日本文化福祉協会)に話を持ち込んだようだが断られ、その後、老ク連(当時は真鍋会長)に話が持ち込まれた。
 真鍋会長と私が天野氏から資金の調達についての話を聞かされたのだが、氏の人柄までは知る由もなく、他の団体が断っていることを知っていたので乗り気もせず「話は一応承っておきます」とした。
 ただ、直接会って、話した感じでは、穏やかなにこやかな顔で話をされ、すべてが出鱈目の作り話ではないと感じたものだ。後日、聖南西文化体育連盟の募金作りなどに力になっている事からも納得がいく。
 天野氏が自らの土地を提供して、そこに日本館を立てようと持ちかけた土地については、人様の土地のことなので触れたくはないが、入り口部分の両脇の建物が市の文化財保護史跡になっていて、取り壊しが出来ないという込み入った土地ということで、天野氏の思うように簡単には事が運ばなかったようだが、過ぎ去った今となっては私は知る由もない。
 少しこの土地の内幕に触れてみますが、その当時の県連も会館がない事から、当時の会長が建てることに話を進めたそうだ。しかし、多くの会員は反対。そこで会長は「個人で建てる」と発言し、何でも日本の同郷の政治家から融資を受けて、この土地を購入したものらしい。しかし、さすがに個人で建てるのは無理な話で借財の返済に困り困惑していた所を天野氏が購入されたとの事。他人事ながらでも、もう少し良い土地はあったのではないか?と余計なお世話かもしれないが思ってしまう。
 天野氏の日本民族への思いは強く、さらに日本語は絶対に忘れさせてはならないと図書館を設立したという。私も日本語の重要性には共感し、その事を氏に伝えたものである。さらに図書館は学生に無料開放した。最初に作ったビラ・マリアーナ区の図書館では学生が利用することで図書館の職員の費用が不要になったという。賢い方法だと感心し、それを申し上げた。
 老ク連の会館建設においては、氏から「自分の土地に五階建てのビルを建て、老ク連に無料提供するという好条件ではあったが、代わりに不特定な条件(詳細は略)が出されたことから即座に会長と共に断り、老ク連独自で建設するとした。
 良い事は「良い」と褒め、ダメな事は「駄目」と言ったことに天野氏も納得されて、「言い方は気に入った」と言われた。この後、天野氏は日本に行かれたので、後の交渉は代理人との対話となった。


竹馬の友との再会

サンパウロ中央老壮会 田巻夏枝
 火曜日の熟連のカラオケ教室終了後、事務所によると、そこにシニアボランティアの与那覇先生がおられた。「あっ、田巻先生、ちょうどよかった。先生の住所が欲しいという人がいるんですけれど」とおっしゃる。
 私は誰にでも住所をあげるわけにはゆかないので、「どなたが欲しいとおっしゃているの?」と尋ねますと、「旧姓が鈴木ヨウ子さんという方です」と言う。
 さて、鈴木ヨウ子さん、どなただったかなぁ?と考えるが、すぐには思いつかない。そこで「どちらの方?」ともう一度尋ねると、「厚生ホームにおられる方で、先生にお手紙をあげたいと仰っていました」と言う。
 そう言えば、昔のお友だちで「鈴木ヨウ子さん」という人がいたと思い出し、「私の知っているヨウ子さんは双子なんですけれどね」と言うと「そうです、そうです。もう一人のエイ子さんも一緒にホームにおられます」と言う。
 私は「まさか、ほんとに!」と、ただただびっくり。与那覇先生に「また、ホームに行きますか?」と聞くと、「明日行く」との事。
 早速、「一緒に連れて行って下さい」とお願いし、ジャバクアラで待ち合わせることにした。翌日八時のバスで先生とサントスに向かう。昨晩は興奮して眠れず、車中もまだ落ち着かない。ずっと先生に話しかける。さぞかし先生も迷惑な事だったろう。
 二人とは二六植民地でいっしょであった。彼女たちの家にはたくさん本があって、本好きな私はいつも本を借りに行っていた。
 また、植民地には女子青年団というのがあり、姉たちはいろいろ編み物などを習っていたが、私たちはまだ小さかったので入れず、それでもいつも姉たちにくっ付いて行っていた。
 青年団を指導していた山崎先生が「あなた達はいつも来ているから『コブ会』というのを作りなさい。ナッちゃんが会長ョ」などと、からかわれた事も懐かしく思い出す。
 ヨウ子さんとは六十年ぶり、エイ子さんとは七十年ぶりの再会である。分かるだろうか?
 そうこうしているうちにホームに到着。職員の方が入居者が折り紙をしている所へ案内して下さり「右の眼鏡をしている方がエイ子さん、左がヨウ子さん」とそっと耳打ちしてくれた。
 与那覇先生はこの一か月間、ホームの依頼で毎週一回通っておられる。もう顔なじみなので、皆に近づき、大きな声で「皆さん、おはようございます」と声を掛けた。私も続いて「おはようございます」と挨拶した。
 ヨウ子さんが私の方を見て「こちらの方もシニアボランティアの方ですか?」と言う。私は「いいえ」と否定。与那覇先生が「この人に見覚えはないですか?」と問いかける。ヨウ子さんは私の顔をじっと見ていたが「まさかナッちゃん?」と声をのんでいる。もう言葉もありません。三人はアブラッサ(ハグ)、アブラッサ、アブラッサ。その光景を後で与那覇先生は「何とも言えない感動的な場面だった」と仰って下さいました。
 何を話していいのか。話はあっちへ飛び、こっちへ飛び、もどかしくてなりません。美味しい昼食も一緒に頂いて、その後は体操、手品、歌なども皆さんと一緒に楽しみました。最後に「一曲歌って欲しい」と言われ、「♪千年の古都」を歌わせて頂きました。本当に夢のような一刻でした。
 この厚生ホームには私たちの与那覇先生と同姓の与那覇順子先生が同じくJICAから派遣されており、六十人の居住者のお世話をしています。足のおぼつかない人、車イスの人、目の見えない人等など、五階建てのホームを上がったり下がったり、一日中大変な忙しさです。ホームの皆様、この度は色々気を使って頂き、ありがとうございました。また、こちらの与那覇先生のお蔭で思いもかけない再会を果たせ、感激で一杯です。ヨウ子さん、エイ子さん、またお会いしましょうね。その日までお元気で…。


びっくりポンブラジル株が上昇

書道教室指導者 若松如空
 私がその昔「株屋の若松」だった事を知っている方は多いと思われるが、引退して二十年も経った今でも、株式相場から離れられないでいる。
 証券会社を始めた時。東京外語の畠山大先輩から「自分の勘定で売買をしては絶対に行かん。ケガの因だ」と云われたこともあり、これを肝に銘じて、自分で勝負はしなかった。しかし眺めていても大変に面白い市場で、ブラジル経済を知るためにも、株式市場を見ることは非常に助けになる。
 ところで、三月三日木曜日にサンパウロ証券市場が世界に先駆けて爆発上昇して驚かせた。我々にとってはビックリ・ポンの出来事だ。アメリカの経済情報社ブルンベルのテレビで、二人の証券マンが対談していたが、業界でもブラジル、ブラジルと大騒ぎだと言う。
 世界の証券市場は、石油の値下がりと中国の経済低迷で、昨年から暴落傾向を強めていたが、サンパウロの相場は八年前のリーマン・ブラザーズの倒産に発して、暴落した時の底値と同じ水準まで落ちていた。私もこれ以下の相場はないのではないか? と憶測したが、米国はまだ、その水準までには達していなかったので、疑問はあった。しかし、グラフは米国の相場も過去二度の低値と同位置であったので、落ち着かない毎日だった。
 このような情勢の下で、木曜日、サンパウロ市場は五・二%、二〇〇九年以来の上昇となり、不評のペトロブラスが一二%の上昇。不良債権が山積みの銀行はいずれも利益減だと云われてきたが、イタウ、ブラデスコ共八・九%の上昇。その他、多数の会社株が五%を超す相場を出した。ニューヨーク市場は一日中、ほとんどマイナスを記録していたが、最後になって少しの上昇で終わった。
 サンパウロとニューヨークの違いは一体何なのかと云うことだが、理由は多分、前述の最低値まで下げていない点と、もう一つは世界的な自粛要求によるものと思われる。すなわち、世界市場は現場の上げ下げが強すぎて、これが証券規制を含めて、商品全体の値下がりの原因であるとの結論を去る二十カ国の蔵相・中銀総裁会議で決議したばかりだ。
 世界最大のニューヨーク市場がブラジルの流れに応じて、急上昇するとは許されない。
 ブラジルの急上昇の原因は大統領弾劾問題がからんだ事だ。現在の経済危機の最大の原因は経済ではなく、政治だと云わせてきた。ジルマ大統領を落とさなければ、二〇一八年まではどうにもならないという悲観説が常識になっていき、早く大統領を変えないと、大危機がやって来ると考える専門家が多い。
 そして、この日、PTの上院でラバ・ジャット作戦で捕えられているデルシジオ・アマラルが重大告発をしていたことから、大統領弾劾の可能性が強まったと考え、これが相場を暴騰につなげた。告発は前大統領と現大統領が警察の取り調べを妨害した事実と、以前から問題視されていた米国の精油会社バサデナの買取で多額のカサ上げがあった問題は、実は前大統領とジルマ官房長官の合作で、ジルマ大統領はその時、ペトロブラスの会長職にあったとしている。
 バークレイ外銀のブラジル関係者はPTの選挙参謀サンタナの逮捕で、二〇一四年のジルマ当選に際し、ペトロブラスの金が流れている疑惑も洗われており、三月十三日の弾劾デモは極めて大きくなると予想している。
 大統領を落として、その後はどうするのかと質問されれば、解らないと云う外はない。PSDBも内部別れの様相と報じられ、FHC元大統領も女性新聞記者への資金援助が問題となっている。実は誰が大統領になるのかはどうでも、とにかくジルマを落とせば良くなるんだというのが夢を追う証券投資である。
 「株式相場は経済学を勉強するのではなく、心理学を学んだ方が良い」という意見があるが、株は群集心理で動くというのは事実だ。上げた上げたと云い始めると、買い手が動き出し、それが大きな流れになる。
 現在の証券市場はバクチ性が強すぎる。市場の目的である企業の強化と経済発展という方向に戻る必要がある。世界はどこへ投資すればいいのか解らないというのが実態で、金利が下がる中で、金(オーロ)は良いが、多額の投資には問題がある。
 現在の金融資金量は米国、日本、欧州の緩和政策で膨張しており、リーマン・ブラザーズ当時の四倍にも膨れ上がっている。今、考えるべきなのは投資信託投資に対する減税であろう。
 一九六八年当時、デルフィン蔵相が投資信託の減税を行って、株式市場を拡大した。これが「ブラジルの奇跡」と呼ばれた経済発展の基盤となった。
 現政権は資本利益に対する税率引き上げを上院に送っている。反対の政策を考えているのである。デルフィン政策の再来が決め手だ。


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