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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2016年4月号
2016年4月号 (2016/04/14)
旅日記 ~フェルナンドポリス編~
サンジョゼ・ドス・カンポス 今井はるみ
フェルナンドポリスって、どこ?
あるサンパウロの旅行社から、旅行のご案内が届いたのですけれど…。フェルナンドポリスって、どちらの方面かしら?って誰に聞いても「知らん」と言うのです。でも、「温泉」と言う一言が胸に引っかかっていたから、ご案内を頂いた旅行社に直接訪ねて行き、やっと、リオ・プレット方面という事が分かり、地図で探し出すことが出来たという訳です。
次にインターネットで案内に書かれているホテルを探し出し、あまり期待もしないで、「まだ、温泉に行ったことがない」という隣人のブラジル人の奥さんを誘って、三十余人のお客さんを載せた夜行バスで出発したのでした。
それがですね、とても心温まるホテルの従業員の笑顔と、朝、昼、晩三食の行き届いたお食事と共に楽しかったのです。
もちろん、大小さまざまな温泉プール六カ所も、指導員によるプールの中での体操も面白く、また、その温泉の源泉を牧場の中を歩いて、牛の糞を踏まないように下ばかりを見て歩いて行ったのですが、これがまた、期待以上の設備で皆とビックリ仰天してきました。
この温泉は熱いので、噴水のように吹き上げて冷やす設備がとても大掛かりで、四五度くらいに冷やしてからプールに送っており、また、町の家々にもこの温泉が送られているというのですから、こじんまりした町のフェルナンドポリスの人々が羨ましかったです。
その後でホテルの方が広い敷地を説明しながら案内して下さり、初めて見る植物やらその気にぶら下がっている大きい実も珍しかったのですが、残念ながら私は名前を覚えきれませんでした。でも、太陽の輝く木の下で、黄色と緑の小さいインコが二羽よりそっている様子が可愛かったです。その時、驚いたことにジボイアの子どもが葉の茂った木の枝に隠れるようにしてしがみついていたのです。ちょうど芋虫を百倍ぐらいに大きくしたようで、怖さは全くなく、しばらく見上げていました。ジボイアの子どもを動物園でも見ることは難しいでしょうから、とても印象に残りました。
それから不思議というか、マット(草原、茂み)の中にある温泉地なのに虫よけスプレーもしなかったのに一カ所も蚊に刺されなかったんです。
お客様を退屈させないように、夜はビンゴもあり、早朝から温泉プールで泳ぎまくる人もいれば、何十メートルも見上げるような高い滑り台からくるくる曲がりくねって滑るスリルを満喫。忘れられない経験です。
こうして温泉を楽しんだ私たちは昼食後、帰途についたのですが、どこまでも真っ直ぐのワシントン・ルイス大通りの両側にはサトウキビ畑がバンデイラんて大通りに入る直前まで植わっていて、圧倒されました。
ブラジルって、本当に広いんですね。その上、乗り心地の良い旅行社のバス、ガイドさんの行き届いたサービスにも感謝。楽しい旅をアリガトウ!
ピアノ三曲
サンパウロ中央老壮会 猪野ミツエ
私が二年、女中奉公をさせて頂いた大原家の麗子お嬢様の思い出です。ご両親を「お父ちゃま、お母ちゃま、弟君を謙ちゃん、妹さんは恭ちゃん」と、呼んでおられました。小さい妹さんには養育係として岡田さんがおられました。この人は「ダダちゃん」という呼び名で私がお目見えした頃、お嬢様が十歳、弟さん七歳、旦那様は週末に京都の方へ帰られ、普段は奥様と三人のお子様がお住まいでした。別邸の執事は奥様の伯父上なのに、みんなは「末弘さん」と呼んでいました。
お勤めに上がって半年ぐらい過ぎた頃だと思います。アイロンをかけていたら、麗子さまが寄って来られ「ねぇ、ミツちゃん。尋ねたい事があるの…」と言われました。新参の私に? 「お部屋に来てくれない?」との事。何やら狐にいらはれているような気がしました。何を聞きたいのか? 悪い事でもしたのかなぁ…と不安でした。
「ねえ、ミツちゃん。本当のことを教えて欲しいの。お父ちゃま、お母ちゃまは本当に麗子を好きなのかしら?」「どうしてそんな事をおっしゃるのですか?」「だってミツちゃん、麗子が生まれてすぐ二人は洋航したでしょう」。あまりにも真剣な顔をしていたので、びっくりしました。「そんな事ありませんよ。ご両親はお嬢様を目に入れても痛くないぐらい可愛がっておられますよ」。しばらく私の目をじっと見ておられました。
「そう…。いいわ。分かったわ。でもミツちゃん、お母ちゃまには麗子のことは言わないでね。きっとよ。指切りげんまん」。可愛い右手をサッと差し出されました。私もためらいつつ指切りしました。
「麗子、ミツちゃんにお礼をしたいから付いて来て…」と、大きなピアノの置いてある居間に行きました。
「麗子の大好きな曲なの」と、三曲も弾いてくれました。田舎者の私などには解からないものでしたが、何かしら目頭が熱くなったものでした。
あれから七十年。私はブラジルに。大原家とも無音にうち過ぎ、その後どうしていらっしゃるかと、時折、思い出すこの頃です。
天野氏とのかかわり合い(終)
スザノ福栄会 杉本正
天野氏帰国後、任務を委託された代行者から面会をしたいとの連絡があり、今度は会長と私の二人だけでの面会ではなく、全理事も出席して話を聞いて貰うことにした。
代行者の話はすでに天野氏からも聞いていた話だったが、天野氏が建設しようとしているビルは五階建てで、その五階は老ク連に寄付します、との事で、老ク連にて会館を建てるとすれば、相当な工事費に頭を悩ます事だろうが、そんな必要もないので理事者諸氏お大喜びであった。
代行者もさる者、会館を建てる土地も必要としないので、老ク連の土地の名義を天野氏に切り替えて欲しいとの案を出されたので、会長と私は、「好意的に五階の部屋を寄付してくれるとの解釈だったので、そんな理不尽極まりない申し出をされるなら、頂く必要は無い」とし、「会館は老ク連の力にて建てます」と、会長と私は言いました。
一部の理事からは、「寄付してもらった会館さえあれば、別に建てる必要はないので、名義切り替えも良し」とする意見も出され、その意見を会長が認めないのなら、「理事を辞めます」と言い出した人もおり、大もめしたものであった。会長と私は「誰が役職を辞められたとしても、絶対に反対する」と言い切ったものである。
代行者もこれでは如何ともしがたいと考えられて、もう一度話し合いをさせて頂きたいと引き上げた。
次回は代行者側も大分、審議されたようで、「五階の部屋を寄付するに際しては一切の付帯条件は申さず」とし、「ただ名称のみを借用させてほしい」とのことで、これに対しては、出席者一同も「それだけならよい」となって、大原法律事務所に行き、打ち合わせした内容を登記した、その代金千五百見るクルゼイロは支払ったのである。
以上、老ク連三十年在職中に起きた裏話記。生き残りの私のみ知る話を責任投稿する。
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