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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年5月号

2016年5月号 (2016/05/29) 海の一日

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 息子夫婦と嫁のお母さんとの四人で久しぶりに海に行った。私は一人でよく息子のプライアグランデのアパートに行くので、今回は嫁のお母さんの行きたい所に行くことにした。
 お母さんは私と同じ八十五歳だが、おしゃれでどの服を着るか迷っている。おまけに私の着ている服にも文句を言って、「着替えろ」と言う。私は裸でなければ、何を着ていても良い方なので、アパートには古着を五枚置いてあるきりだ。
 まず水族館へ行った。大小さまざまな魚が丸い大きな水槽(すいそう)の中をグルグルと泳いでまわっている。ガラスの壁にくっ付くようにして泳いでいるアジを見て、塩焼きにしたら美味しいだろう、などとけしからんことを考える。
 鱶(ふか)が「うるさいな、人間どもは」と言いたげに、水底にお腹をくっつけてじっとしている。流線型でスマートだけれども、体に似合わないビー玉をはめこんだよな小さい目だ。「あんた、その小さなお目々で私が見えるの?」と聞いたら、「見えるよ」と息子が鱶(ふか)の代弁をした。
 ペンギンが岩の上にずらっと並んでいる。もう少し小高い岩の上に二羽のペンギンが頭をくっつけて無我の境地(きょうち)に入っているようだ。五十センチぐらい離れた所に一羽のペンギンがいて「お前たち、よろしくやってくれ。見ちゃおれんよ」と言わんばかりに背中を向けている。「焼き餅焼かないの、あんたにも今に美人のペンギンが見つかるよ」と言ったら、羽をバタバタさせた。
 水族館を出て、船の乗り場に行ったら、人がいっぱいで私たちの船の出る時間まで一時間半もあったので、昼食に行った。すぐに食べられるようにポルキロ(量り売り)の食堂へ行った。大きな食堂で日本食のコーナーもあり、板前が寿司を握っていた。今はどこにも日本食があって、日本人としては嬉しい。
 船の乗り場では次々に船が出るが、どれも満員だ。大きな貨物船がボーボーと汽笛を鳴らしながら通り過ぎる。「黒い煙を吐きながらお船はどこへ行くのでしょ。波に揺られて島の影。汽笛ががボッーと鳴りました」。私はいつの間にか声を出さずに歌っていた。
 時々小さな浜辺に家が五、六軒建っている。こんな所に住んでいたら、退屈だろうな。買い物はどうするのかな?と要らぬ心配をする。
 港には中国やハンガリーの外国船が入港していて、コンテナを下ろしている船もある。レストランで夕食をして遊歩道(ゆうほどう)をブラブラ歩いて帰る途中、海の中に町ができたみたいにいくつも燈火(ともしび)が見える。いつもは五つ、六つなのに今夜はあまりに多いので「今夜は漁船がいっぱい出ているね。何が釣れるのかな? 日本だったらイカだけれど…」と息子に聞いたら「あれは港の外で入港待ちしている船だよ」と答える。翌朝見たら、一隻もなかった。夜のうちに港に入れたのかしら?と首を傾げた。
 嫁のお母さんから「海には白波があるけれど、川にはない。海には干満があるけれど、川にはない。どうしてか?」と聞かれたけれど、浅学な私には答えられない。誰か知っている方、教えて下さい。


「旅日記」~アメリカ編~

サンジョゼ・ドス・カンポス 今井はるみ
 そうなんです。のんびりと平和を楽しんでいた津軽の生活の中で思い切ってカリフォルニアの息子の家族を訪ねて行ったのは、ある真夏の七月の半ばでした。
 息子がアメリカ生活十五年の後、自力で買った日本円にして一億三千万円の家はどんなかしら? また、四歳の孫に会う楽しみもあり、ただ単に、のんびりとした気分の旅のつもりでした。
 それがですね、息子の大々的なサービスとなり、レンタカーで北海道から九州まですっ飛ばす距離の旅となったのです。
 まず一日目はカリフォルニアのサン・ホセ―より出発して、北上を続けるだけで真夜中にホテル着。ただ一カ所に車を止め、軽い昼食。そこは見渡す限りの雲海を眺める素晴らしい景色でした。
 道中では日本から買ってきた曲入りピアノを弾いて歌い続ける四歳の孫を真ん中に窓外の景色を大いに楽しみました。そんな車中の窓からAOKI(青木)という車修理の看板を見つけて感激したりして…。
 カリフォルニア州では他州からの植物の持ち込みが禁止となっています。それはカリフォルニア州が様々な作物の生産地となっているからだそうですが、石ころは良いというので、息子の前庭の木の根元に並べて来ましたが、この石ころで五カ所の名所に行ったことが分かりました。
 ヨーロッパでは「ナポリを見て死ね」と言われていますが、アメリカでは「オレゴン州の火山の爆発で出来た神秘的な湖、クレター・レイクを見て死ね」と言うそうで、小さな島が浮かぶ湖の深い青色にはスッーと吸い込まれそうになりました。車でずっと頂上を目指して登り続けた所に現れたのですから、感激もひとしおでした。
 さて、次はコロンビア川がすぐそばを流れる滝の所へ行きました。これも想像以上の高さと美しさでした。
 世界各国の人々でごったがえす高さ百八十九メートルのマルトノマ滝は見事でした。息子と嫁が四歳の孫の手を引いて、滝の源泉まで登ると言うので、主人と私も老体にムチ打ってやっとこさ登りつめ、冷たい水に手を入れた時は達成感がありました。四歳の孫が泣き言一つ言わず息子に手を引かれて上り下りをしたのにはびっくりです。それもスカートをはいた女の子ですから。
 さて次はコロンビア川の雄大なゆったりした川幅のある砂地まで車を飛ばし、夕景色を楽しんで、中学生時代に地図で覚えたコロンビア川に会えたなぁとこれにも感激する私でした。
 翌日は孫が一番楽しみにしていたポートランドにある雄大な敷地の動物園でした。オレゴン州は消費税が高く、バーゲンの時期でもあったので、嫁はロボットの掃除機、新式パソコン、バッグ、孫の学校の制服などを安く買いまくるためショッピングセンターへ行きました。私は孫を預かり、走り回る孫に何とか水や果物を食べさせようとするのですが、まるで時間を惜しむように走り回ります。ライオン、象、キリン、ヘビよりも孫の走る姿に見とれてしまい、しまいには「この子は人間ではなく、バネじかけの人形かも知れない」と思ったほどです。
 帰途は映画でも有名になったキャノンビーチの大きい岩を見たり、望遠鏡で鯨が海岸近くまで来ているのに夢中になったり様々な事をして来ました。
 山越えでも車は高速で走れるのですから、アメリカは遠出が出来るんですね。
 この旅では北上する時は内陸を走り、帰路は海岸沿いに南下し、息子の家に着いた時には、無事に帰れたことに本当にホッとしました。
 書き忘れる所でしたが、レッド・ウッド国立公園のレッド・ウッドの巨木には圧倒されました。何しろ、幹の内部がくり抜かれ、その中を車で通過するのですからね。その巨木は生きていて、振り仰げば、茂った葉に覆われているのです。ビックリ仰天とはこのことです。レッド・ウッドの木はサン・ホセ―の息子の住む町にも植わっていて、幹の太さに驚かされます。
ちょうどセコイアの木のように太りまくり、また伸びまくるのですが、説明によると、国立公園は一年中霧に覆われるので、この霧が木を巨木にするらしいです。
 では、また珍しい所を旅した折にはお知らせしましょう。


「珍重」~禅のことば~

 「珍重」(ちんちょう)と読みます。辞書では「珍しがって大切にすること、もてはやすこと、めでたいこと」とありますが、本来はお坊さん同士の「別れの言葉」です。
 師をたずねて三千キロの旅を果たした弟子(でし)が、身弱になった師としばし面談をし、さて帰ろうとして庭に降り立つと、後ろから師が声を掛け、弟子が振り向き、両者は共に合掌し、身を屈して「珍重」とあいさつを交わすのです。
 ふたたび顔をあげて見つめ合う両者の眼(まなこ)からは涙が流れています。
 この涙には言葉のない言葉があります。「おん身、お大切に」「道中、気をつけて」、ここには「珍重」という言葉があるだけです。二度と会うことはあるまい、という心の表われです。
 現代人はこういう世界から遠ざかっています。携帯電話が「いつでも、どこでも、だれとでも」会話を可能にしているからですね。
 しかし、一秒先の命の保証がないことは、今も昔も変わりがありません。「あんなに元気で行ったのに」と嘆き悲しむ声は、毎日全国から聞こえてきています。
 便利に慣れることは怖いことですね。「惜別の情(せきべつじょう)」を薄くしてしまうからです。
 禅の世界では、会うも別れるも、食事も作務も一回かぎり。心が大事ということです。【「禅の友」より】


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