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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2016年8月号 (2016/08/19)
憧れのヒマラヤへ(2)
サンパウロ中央老壮会 新井均
翌日より、ネパール政府への挨拶、休養などで時を過し、十二月一日、ともに登頂に尽くしてくれたシェルパへの感謝をこめたお別れパーティー。
翌朝、お互いに別れをおしみつつ彼らはダージリンへ。
七日まで、さまざまの帰国の準備。
八日、仲間は皆、出発。自分ひとりが居残り、荷物発送などの残務の整理後、午後の飛行機で後を追う。
九日よりカルカッタで総領事館へ登頂の挨拶。インドの友人からの食事の招待。荷物の通関、船積みの立ち合いなどをし、総領事館に帰国の挨拶を済ませ、十四日夜、同地を発つ。
途中、ラングーン、ペナンに泊まり、二十四目、シンガポールで船上でのクリスマスパーティー。
以後、五日間、荒れ狂う南シナ海に翻弄され、一九六〇年一月六日夕刻、神戸港帰着。私たちのヒマラヤ遠征は無事、終わりを告げた。
「余談」
遠征中、出会ったかわった事について。
①カトマンズの国立大学を出て、日本に陶芸技術の研修に行き、帰国するという青年と往きの船で知り合い、インド滞在中に夕食に招かれた。ジュータンの敷かれた床にアグラで座り、ご馳走が運ばれてきたが、ナント、目の前の床の上に十三の小皿が並べられ、すべてカレー煮。味も正体もわからず、右手だけで手掴みで食べ(左手は使用禁止)、皿の順に残らずに食べねばならなかった。日本の焼酎に似た酒(ロキシー)に酔った勢いでナントカ平らげた。途中でトイレに行ったのだが、小さなセメント床の部屋で、片隅に穴が開いており、一方の片隅には水がイッパイの石油缶が置いてあるだけ。何とか判断し、使用したが、大便も同じように流すとしたら、この先は何処に行くのか、しばし考えざるを得なかった。
②衛生状態について。街に入るとナントも言えない複雑な臭い。人や牛、犬、羊の排泄物の臭いが鼻につく。ハエが飛び交い体にとりつく。歩く人にアバタ面が多く、天然痘のアトか。また結核、マラリア、象皮病(巨大なキンタマや丸太のような足になる)甲状腺腫、眼疾などがみられた。
③ランタン村は、ネパール領でありながら、住人はチベット人。牧畜で貧しい生活を支え、一妻多夫の家族制度で、十四、五歳になると夫を持ち、トッカえヒッカえ沢山の子供を産むが、赤子の多くは幼くして命を失っていく。草原には至る所に石塚があり、死体は石積みで覆い隠されて、乾燥した空気が通りぬけ、風化されていく。
④ネパール人の気質。ネパールはインドに負うところ大であるが、気質に大きな差がある。インド人の暗さとネパール人の明るさである。インド人の暗さは、イギリス支配の影響があるのか、ネパールは立派な歴史を持つ独立国の故か。
⑤ランタン村では、全ての村人が純情で非常な歓待と親しみを寄せてくれた。娘たちにはチョット可愛い子もいた。
注)現今の両国の人々の気質は、変容しているかもしれない。が、当時はそのようであった。
終わりに、私たちのような一地方の小さな山岳会のヒマラヤ遠征は、日本で初めてであり、それまでの幾多の遠征に比し、最低の経費でなし得たそれであった。その後、この遠征が他の山岳会に影響し、地方からのヒマラヤ遠征が逐次行われるようになったと記憶している。(終わり)
母が元気に
サンパウロ 隅田明見
二〇一四年、私は十二年ぶりに日本へ帰国した。
ゆっくり親孝行をしようと思っていたので二年の滞在を決め、茨城の実家では仕事がないから東京で生活することにした。東京での生活が軌道に乗り始めたころ、母が「腰が痛い」と言い出した。かかりつけの医者に診てもらっても原因がわからなかった。だんだんひどくなってきたのでいろいろ検査をしてもらったら胃がんが見つかったのだ。
突然の知らせに驚いたが、早期発見ということもあり内視鏡で簡単に切除できるため、「一週間の入院で済む」という説明を受けた。七十五歳になる母にとって「体に優しい手術」だったので少し安心した。
手術後特に痛みもなく順調に回復した。医師からは「すべて切り取ったので問題はないが、しばらくは経過観察をしましょう。」と言われ、定期的に検診を受けることになった。
ガンといえば再発がどうしても頭をよぎる。まだまだ元気でいてほしいので、再発防止のために何かしなければと思った。よく考えてみると母は糖尿病を患っている。糖尿病が原因かどうかはわからないが、合併症を引き起こすのでもちろんガンにもなりやすい。これ以上悪くならないうちに少しでも糖尿病の症状を緩和できればと、食事療法をやらせることにした。
食事の改善といっても「めんどくさい」と思われては長続きしないので、私が実践している「食べ合わせ理論」から一つ実践してもらった。
最初はなかなか継続できないので「糖尿病の怖さ」を分かるように話し、一緒に食べて「おいしさ」をアピールしたり、「簡単でしょ」と何度も言い聞かせた。
なんとか続けていくうちに体調が良くなってくると自分の意志で継続できるようになった。
母の病気をきっかけに糖尿病についていろいろ勉強していくと、母が何も知らずに医者に出されるがままに飲んでいる薬の作用も知ることができた。
α- (アルファー・グルコシダーゼ阻害薬)という薬は、糖の吸収を遅らせるだけの働きで、糖尿病をよくする薬ではなかった。
正常な血糖値は七〇~一一〇と言われていて、血糖値のピークが高ければ高いほど糖毒性があらわれやすく合併症を発症するリスクが高くなる。そのため血糖値が上がらないように糖の吸収を遅らせて糖毒性があらわれないようにするための薬だが、最終的に食べた糖分は全部吸収されてしまう仕組みだ。
薬を飲んでいるだけでは一向に病気はよくならない。無理して薬をやめさせてもよかったが、母の気持ちが大切なので本人にまかせた。母は食べ合わせを気を付けることで、私がブラジルへ帰る前にはすっかり元気になった。今では血糖値も百以下で安定し、薬も飲んでいないとのこと。
「よかった」。母にはいつまでも元気でいてほしい。二年という短い時間だったが、少しは親子孝行ができて本当によかったと思う。
日本人の倫理感は劣化しているのでしょうか?
サンパウロ中央老壮会 柏木誠一
これからお話しさせて戴くことはあくまで筆者本人が、体験し日本で感じたことです。また、日本で知ったニュースもあります。
日本で貸していたマンションの住人が個人破産し、滞納した家賃の他に室内の修理を含めた多大な損害と、法的制裁を加えたいと望み、それに費した時間の虚しさをお話しします。
契約後の二年間ほどの家賃は、四、五日ほど遅れる月はあっても支払われておりましたので、契約更新に応じました。しかしそれが大きな誤りだったのです。
こちらも生活がかかっているから度々催促しましたが、是正される事はありませんでした。埒が明かないので先方に購買意思があるのかと、問うたら、購入したいとの事。しかし二ヶ月程たっても返事がありませんでした。金融機関の審査が長引いているからとか…。今から考えれば、この時に弁護士と相談し、指示に従って時間延ばしをしていたのでしょう。
慣例上、売る側の好意として、売る意思をまず先方に伝えたのですが…。その親切心が仇となりました。他人を信用するな!という事を身に染みて感じました。この時、既に個人破産するように決めたのでしょう。
弁護士は相談者に対して、「裁判所に個人破産申請所が提出されるまで、一切債権者と連絡を取るな」と指示していたようです。弁護士が裁判所に書類を提出した時点で、「借りていたマンションから引き上げろ」と指示され、その間に決めていた新しい住居に引っ越したようでした。
その後、不動産屋に「引っ越しました」と連絡させるが、新移転先は教えないように指示しています。
三、四日すると不動産屋に弁護士事務所から、「賃貸人は個人破産し、裁判所に申請手続きをしたから、裁判所からの連絡を待て」との事。そして破産者は法的に保護されるから、今後「本人との連絡は直接取るな」との事でした。
誰が如何考えても可笑しいですよね?
弁護士の仕事とは何なのでしょうか?
金になれば弁護士はどんな仕事でも受けるのでしょうか?
相談を受けたら、双方が大きな負担を受けずに済む方法を考えるべきなのではないでしょうか?
家賃が高くて払えない、と判ったら、なぜ公団の安いアパートを探すように助言しないのでしょうか?
毎晩、遅くまで酒を飲んで騒いでいたようですが、酒を控え、生活を慎ましくするように注意しなかったでしょうか?
簡単に自己破産を認めると、彼らによって負債を与えられた被害者は如何すればいいのでしょうか?
新たな自己破産者を生み出すことを考えないのでしょうか?弁護士はそこまで考えないのでしょうか?
たとえ他人に迷惑をかけても、自分の生活レベルを改めて質素にしようとしない者が増えて来たからこそ、年々自己破産者が増えているのではないでしょうか。正式に裁判所が受理すると、被害者には何の不服申し立ても出来ないようです。受理決定後に被害者の意義申し立て書を裁判官、弁護士、自己破産者が読むようですが、それでは遅すぎるのです。
裁判官も弁護士も申請書だけで審査するのでなく、自己破産者の日常生活を確認してから判断して欲しいものです。
これはほんの一例です。
◇建築設計事務所による不正設計◇食品会社に依る産地偽造、有効期限の改ざん◇大手建設会社による杭打ちに関する手抜き工事◇羽田空港はじめ多くの飛行場の滑走路液状化防止工事の手抜き◇警察署内における同僚への性的・暴力的行為、異性に対する強姦未遂◇公務員・弁護士による犯罪◇消防署員の放火事件◇自衛隊内の苛め◇政治家による金銭面での不祥事◇家庭内暴力◇小、中高校内の苛め◇未成年女子の売春◇尊属殺人◇明らかに犯罪者を屁理屈をこねて無罪にしようとする自称社会派弁護士らの台頭。特にひかり市の母子殺人者に対する異常な弁護など数えられないほどです。
いつから日本にはこういう人が多くなったのでしょう?
何故かリーマンショック以降、国民の多くがお金にしか興味が無くなったような気がします。
近年外国人観光者が日本を訪れ、表面上のおもてなしや、文化・習慣・技術に驚嘆していますが、彼らがもっと日本に興味を持って観察をし始めたら、いつかこのようなもう一面の性格を持っている日本人を軽蔑するようになるでしょう。
日本人は外国と比べて「治安面がどうだ、文化はこうだ」と言う前に、大人も、学校の先生も、公務員も政治家も自分の倫理観を見直したら如何でしょうか?
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