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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年10月号

2016年10月号 (2016/10/14) 失敗

サンパウロ市 土居洋三
 九月四日、孫が誕生祝いをしました。息子が最近購入したばかりの新しいアパートのサロン・デ・フェスタ(アパートにあるパーティー会場)を使いました。私は始めて行ったのですが、その会場はL字形に作られ、かなり広く、壁はすべて鏡張りで、サロンの中ではどこでも見える仕掛けで、中に入っただけでその豪華さに圧倒される思いでした。
 事はその前日、土曜日朝早くにフェイラ(朝市)に行き、鮪(まぐろ)とサーモンの刺身を注文し、各半キログラムを切ってもらいました。鮪もサーモンもキロ当たり約五十レアイスぐらいでした。
 魚屋はその刺身をイゾポール(発泡スチロール)のバンデージャ(皿)に盛り、二つの包みを紙で包み、白い袋に入れてくれました。私は確かに受け取り、カヒーニョ(ショッピングカート)の上段に置きました。下段にはカヒーニョにちょうどの段ボールの箱を入れてありますが、フェイラに行く前にスーパーで買い物をし、中に物が入っていたので、刺身を入れるのをためらい、上段の上に置いたのです。それが失敗の元でした。
 今はブラジル人も刺身を食べますから、誰かが私が刺身をたくさん買っているのを見ていた奴がいたんですね。それで、その野郎は今日は刺身をたらふく食べてやろうと、私の後ろに付いて来ていたと思います。
 フェイラを簡単に回って、帰りに魚屋のバンカ(店先)の近くに来て、カヒーニョの中を見ると、包みが消えていました。私はおかしいな? たしかにカヒーニョの中に置いたはず、と思ったのですが、私の思い違いかと思って、魚屋のバンカに私が買った刺身を置き忘れていなかったかを聞いたところ、彼らは「あなたに渡し、カヒーニョの中に置くのを見た」と口を合わせて言いました。
 私は「畜生、刺身を盗みやがって。刺身に当たって、死にやがれ」と思ったのが悪かったんですね。
その後、次々と悪いことが重なり、踏んだり蹴ったりという事が起きてしまいました。
私は嫁に刺身を持って行くからと言ってあったので、また、刺身を買ったのですが、少しお金が足らなくなり、四十レアイス分ぐらい買って家へ持ち帰り、冷凍庫の中にしまい、次の日にフェスタへ持って行き、サロン・デ・フェスタの中の冷凍庫の中にしまいました。
午後一時頃に皆が集まり、シュラスコ(焼肉)も焼けて、銘々好きなだけ肉を取って食べ始め、私は嫁に「刺身を皿に盛るように」頼み、皿にわさびを出そうと思った時、醤油を持ってくるのを忘れたことに気が付きました。もし、息子が既にそのアパートに住んでいれば、醤油はあったのですが、息子はまだ転居してなく、そのアパートから二キロメートルほど離れた所に住んでいるし、シュラスコを焼くのに忙しく、私は車を持っていなく、嫁は他の事で忙しく、仕方なく、刺身をまた冷凍庫の中にしまいました。
 あきらめてシュラスコを食べようと思い、一口くらいに切って、二口くらい食べた時、今度は奥歯の入れ歯がもげて肉も食べられず、翌月曜日、朝早くから掛りつけの援協病院の歯医者に頼み、歯を付けてもらい、持って帰った刺身を二日間、昼食、夕食に食べました、その後、「刺身」と聞くだけでゲップが出そうで、しばらくは刺身を見たくもない思いです。


恋のときめきがボケに効く

インダイアツーバ親和会 早川正満
 ホルモン補充療法でバラ色の老後は開けるか? この言葉にひかれてページを開くと「健康寿命をのばすには、これこれと色々述べた後、その結論は『張りぼて』のアンチエイジングはもう古い。体の内側から若返りを促す抗加齢医学が新しいアンチエイジングなんだ」とあった。
 そこでホルモンに関して私なりの解釈をしてみたいと思う。
 男性も女性もホルモンの話を出すとすぐ男性はエロ話が聞けることを期待し、女性は横目でにらみつけるが、我々老人は男女を問わず、いかに健康老体で幸せな老後の実現を願うか。これは皆さん同じだと思う。
 さて、その健康老体を維持する方法の条件として、ホルモンがあるのだから、ふざけた話では決してないのである。
 老体と言えども、体力維持には栄養をすみずみまで送り届け、帰りには汚れ物を体外に出さなければならない。それらを運ぶ管と言えば、血管。そう、血を運ぶ管だ。その血管が常に弾力と耐久性がある状態に保たなければならない。その維持に関わっているのが、ホルモンだと言われている。
 この年齢で今さら「お色気」なんて、と諦めてしまうと、あなたの血管はいつ破れても仕方ないような状態になってしまう。若い時の不足は外から(薬など)持ち込んで解決できるが、こと、ホルモンに関して老体は不足を薬などで補うと、他の機能に弊害を与える危険があると言われる。つまり、年寄りは自家製。体内で分泌するもので補うのが安全で確実に効き目があるそうだ。
 つまり、過剰に興奮するほどだと老体は持たず、若い時に感じた物足りなさのほんわりと湧き出るのがちょうどよく、ここでも『少欲知足』で満足しよう。それが長く心地よい健康長寿をもたらす。
 老人会でたまたま気持ちが寄り添える異性に会えても、深入りせず、気持ち良い時間を過ごし、次の会に会う楽しみが残るぐらいがちょうどいい。
 過ぎればストレスをまねく弊害が出て、かえって毒となる覚悟が必要である。
 毛細血管が元気になると、手足の先だけでなく、脳のように直接マッサージの方法がない所も活発になってくれる。これはボケに効くという訳だ。
 詩人の加島さんの話をちょっとお借りすると「女性だって同じですよ。自分の『女性らしさを保つためには女性同士でいるより、男性と居た方が深い所から女性の魅力を引き出せる』。これはごく自然な男性と女性というモノのバランスの問題。だから女性も六十歳を過ぎたら男性ともう一度付き合いなおして、自分の女性性を取り戻す。六十を過ぎて異性に眼を向けるのは恥ずかしいというのは、昔の日本的な教育です。日本人はよく『もう年だから』と言うが、この言葉は捨てた方がいい。今まで社会の枠にはまって来たんだから、『六十を過ぎたら枠から外れても構わない』と自分に言い聞かせよう。
 年寄り夫婦だけの生活はだんだん食卓の準備が面倒になり、加工食品だらけの食生活になりがちだと思うが、これは日本のある先生の話だが、加工食品には保存料の問題があり、ちょっと怖い話をすると、葬儀屋から聞いたのだが、最近の遺体は腐敗しにくいらしい。これは特に調べたわけではないが、防腐剤入りの加工食品をたくさん食べていることが影響しているのではないかと思われる。
 この前、冬のコートのポケットにおにぎりが入っていたんだけれど、これが全然腐っていない。半年近くも腐らない程、保存料が入っているなんて、どれだけ健康に悪いか。誰でも想像できますよね。」と、あった。
 日本でこれだから、ブラジルではもっと強烈ではないかと思い込んでしまった。


太公望

名画友の会 三谷堅一
 宮城谷昌光著作の歴史大河小説、標題の「太公望」上中下の三巻を熟連蔵書からの借用で読む機会を得ました。
 不勉強な私は、当初、太公望…、多分、釣りに関する物語り…それにしても三巻とはなんと長い釣り物語り…たしかに釣りにまったく関係がないわけではありませんでしたが我ながらお恥ずかしい限りで、太公望とは人の名前で、望が名前で、太公とは大王と同じ意味で、すなわち、「望大王」ということになります。
 さてまずは中国の古代歴史から西暦前一五〇〇年、中国に初めての王朝、殷が生まれました。
 当時日本は石器時代です。それから約四〇〇年経て西暦前一一〇〇年になると、この殷王朝は亡び、商王朝となりますが、この頃が太公望の生きた時代でした。日本では神話の時代です。
 その生まれは名もなき庶民の子どもだった望は、青年になると大志を抱いて波乱万丈の世の荒波の中を生き抜いて、ついに大王にまでなりました。
 太公望の物語は、即、望青年の出世物語で、日本の豊臣秀吉に何となく重なります。
 ちなみに太公望の子孫は殷王朝が亡び、次の商王朝もやがて亡び、西暦前七七〇年には周になりましたが、約一〇〇年後、西暦前六七九年にはこの周王朝も滅んで、斉王朝となりますが、この斉王国の始祖は太公望の子孫でした。
 この西暦前六六〇年に日本では神武天皇が即位しています。ついでに以後の中国史を概略すると、殷から商、斉、普、楚、そして戦国の春秋時代、西暦前三五〇年前後のこの頃に有名な「孫子の兵法」書が書かれました。
 やがて西暦前二四六年、秦王国の″政″が十三歳で即位。中国全土を初めて統一して始皇帝となりましたがこの秦王国もわずか四十年で滅ぼされて、前漢となり、次いで魏、蜀、呉の有名な三国志物語りの時代、以後も国王は相次いで代わり、隋唐など数多。宗に変わったがやがてモンゴルに全土を占領され、モンゴル王室の元王国となりますが、この元も約百年で自然消滅に近い状況で消滅。明帝国になります。この明は約二百八十年続いた後、やがて満州族の清に滅ぼされ、その清王国も二百七十年後には内部の革命で消滅し、毛沢東の共産党政権の国となり現在に。太公望から始まって、中国史のおさらいになって仕舞いました。


わらび狩り

ビラソニア老壮クラブ 滝ケ平功
 東北の民謡で歌詞にわらびが出てくるのは、私が知っているだけでも二曲あります。全国の民謡集を片っ端から調べたことはありませんので、他にもまだあるかも知れません。
 知っているのは岩手県の「外山節」と秋田県の「本庄追分」ですが、作詞家がどういう場所を見て唄ったのかは分かりませんが、私の想像では、岩手のわらびは山林の中に生えているわらびで、秋田のわらびは山林ではなく、火を点けても危険のない場所ではないかと思われます。
 山林の日陰のわらびは細くてかたい。だから誰も取らないのか、食べるのをあまり好まない人たちなのか。逆に本庄のわらびは焼けば焼くほど太くなると唄っていますから、よくは分かりませんが、結構食べているのではないかと想像している所です。
 私の故郷も、私が子どもの頃は、野原が多く(村有地)毎年秋になると、村の人たちが集まって野焼きをしていたのを覚えています。わらびが出てくる頃になると、朝早くたたき起こされて、わらび採りに行かされたものです。
 三十年後に故郷に帰った時は私が生まれた地区周辺はまるっきり変わり、当時の野原は民間に売却され、山林となり、当時の面影はなく、まったく変わった故郷でした。
 しかしながら、このブラジルにもわらびの山はありました。私が時々行っているイタペセリカのマレットゴルフ場の横と隣り合わせの土地にわらび山がありました。
 いつも、誰かが火を点けてくれるのを待って、焼けて雨が降ったら出始めるので、毎年という訳ではありません。なぜなら地主がブラジル人なので、わらびにはあまり関心がないからです。ですから誰かが付け火してくれるのを一年、二年とその日まで待つしかありません。
 過去に何回か付け火をしようかと思った事はありますが、それは犯罪行為に当たるため、そこまで勇気がありませんでした。付け火を待っているという事は、悪くとれば気持ちの共犯に当たるかも知れませんが、火付け人が誰かもわからないのですから、それを待ち望んでいる私の心の内まで見抜ける人はいないと思いますので、すっとぼけている次第です。
 わらび採りは実際、採ってみないと分からないでしょうが、採り始めたらなかなか止められない。だんだん入れ物が重くなってくると、「あと一本でやめよう」と思っても、その前方にきれいなわらびが見えると、つい手が出て、止められないものです。
 持ち帰って、アク抜きしないと苦いので、それがちょっと面倒です。皆さんもわらび山を見つけたら、一度試してみたはいかがでしょうか。面白ですよ。乞食と同じで、覚えたらやめられないかも知れませんよ。

「外山節」
外山街道に 笠松名所
名所越えれば 行在所(あんざいしょ)
「コラサーノ サンーサ コラサーノ サンーサ」
あんこ行かねか あの山越えて
わしと二人で わらびとり
南部外山 山中なれど
駒を買うなら 外山に
わたしゃ外山の ひかげのわらび
たれも折らぬで ほだとなる

「本庄追分」
(キターサー キタサ)
ハァー本荘(ハイハイ)ハァー名物
(ハイハイ)ハァー焼山の
ハァーわらびヨ (キターサー キタサ)
焼けばやく程(ハイハイ)
ハァー太くなる(キタサー キタサ)
ハァーあちらこちらに 野火つく頃は
梅も桜も 共に咲く


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