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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年11月号

2016年11月号 (2016/11/17) 表現体操フェスティバルと父の故郷を訪ねて

サンパウロ中央老壮会 栗原章子
 今回は、第五回国際健康表現体操フェスティバルに参加し、その後、父の出身地である熊本市からそう遠くない山鹿市の市役所に地震の影響を聞きにいくのが大きな目的であった。
 まず、参加者のほとんどは十月三日の夜に発ち、五日の夜九時頃にフェスチバルの開催地・浜松市にあるホテルに疲れ果てて着いた。ホテルは駅のすぐそばにあり、健康体操を発表する会場のアクトシティ浜松大ホールもすぐ目の前にあった。また、コンビニも近くにあり、結構便利な所だった。私はコンビ二のおにぎりやほんのり甘いオレンジ入りゼラチンが大好きで、さっそく買って食べて、幸せな気分になった。
 フェスティバルには韓国やハワイからの参加もあったが、ブラジルのグループの参加者が一番多く、三十一名だった。
 フェスティバルは十月七日、八日、九日の三日間行われたが、私たちの発表は七日の午後で、「♪会いたかった」と「♪健康体操の歌」、最後の日のフィナーレ近くに「♪イペー音頭」をした。他のグループの発表も見たが、皆さん上手に発表していた。ブラジルの発表だけ、歌手の中平マリコさんがご好意で、生で歌って下さった。
 発表された表現体操の中には、すでになじみの振り付けもあったが、歌によっては、かなり指導員がアレンジしたのではないかと思えるものもあった。
 浜松に着いた夜、昔、ブラジルで隣に住んでいた家族が浜松に住んでいるので電話をかけたところ、お母様が急に亡くなられたとのことで、葬儀がちょうど私たちブラジルチームの発表がない八日だったので、急きょ、黒い上着とブラウスを買って、初めて日本でのお葬式に出た。亡くなった方の死に顔がとても安らかで、一安心。参列者は家族や親戚が何人か参列している他は仕事関係の人がちらほらいる程度のさびしいものであったが、火葬場で四十分ほど待った後に二人ずつ長い箸で骨壷に骨を入れる儀式にも参加し、生前の元気な頃の姿を思い出し、涙が出た。
 イベントの終了後は兵庫市や岩城市に慰問に行く一行と別れて、一人、九州へ向かった。本当は熊本のホテルに泊まりたかったのだが、駅の近くの適当なホテルがなかったので、佐賀駅近くのホテルに三泊して、一日は父の郷里山鹿へ行き、後の日は観光バスがないというので、佐賀市内をタクシーで観光した。
 父の郷里の山鹿は佐賀駅から快速電車で二時間くらい行き、バスに四十分以上も乗る田んぼと山ばかりある田園風景、とは聞こえはいいが、若者などとても耐えられないような山また山の淋しい所だった。しかし、皆素朴でとても親切な人ばかりで、私一人を乗せて、きちんと整備されたアスファルトの道をバスが走り、「こんなにお客さんがいなくて、大丈夫ですか?」と心配になって運転手さんに聞いたところ「いつもこんなもんだから大丈夫。」と朗らかな答え。山鹿市役所の場所を聞くと、近くまで着いたら、バスを止めて、親切に行き方を説明してくれた。
 市役所では、ブラジルからわざわざ地震の事を聞きに来たというので、市長さんや地震の被害調査に当たったという方々が会議室でいろいろ説明して下さり、恐縮してしまった。
 山鹿は地震で家が一軒半倒壊した他はそれほど被害は大きくなく、ニュースで見ていた熊本の地震のようなひどい被害も受けなかったそうなので、まずは一安心。その後、市長さんが山鹿市内を案内して下さったり、お昼御飯までご馳走になってしまった。帰りは運転手さんが駅まで送って下さり、恐縮の至りだった。
 しかし、日本はどんな所でも立派に整備された道路がド~ンと田んぼの合間に通っていて、やっぱり進んだ国は違うなぁと感心してしまった。


美男美女の定義

セントロ桜会 田中保子
 邦字新聞を読んでいた娘が「オェー、とんでもないミスキャストだ」と喚いている。何事かと覗いてみると、顔の真ん丸い茶髪らしい青年の写真が載っている。娘が愛読している長編時代小説「陽炎の辻・居眠り磐音江戸双紙」がテレビドラマ化され、主人公の磐音に扮する役者で山本耕史というらしい。
 この小説は現在二十五冊目が刊行されており、私も全巻読んでいるのだが、主人公のイメージはマゲ物が似合う高嶋兄弟を連想していた。山本は兔の如く生っちろく、顔真ん丸く、尾美としのりよりは可愛げはあるものの、侍のイメージからはほど遠い。
 私共の年代のイイオトコの基準と言えば、細面で鼻筋が通っていて、背が高く優男ながらめっぽう腕がたつ鶴田浩二か市川雷蔵なら納得するものの、兔顔の侍とはねぇ。
 したがって、父親の坂崎正睦役もその娘役も丸顔で、とどのつまりは殿様役もこれ以上丸くはなれないような中村梅雀に至っては、とうとう吹き出してしまった。
 準主役のおこんさん役も丸顔の中越典子で、まさに丸顔オンパレードである。時代劇の娘役は昔から瓜ざね顔と相場が決まっていたし、故・坂上二郎などが似合いそうな大家さん役の人も両手で潰したような顔の役者さんになっている。
 時代物も現代人に合わせた役者を充てなければ成り立たないのかなぁ。
 ともあれ、兔侍の磐音さんもなかなかの好演ぶりを見せており、颯爽と立ち回りを披露している。ミスキャストだなどと喚いたことなど忘れてしまい、のぼせ上がってドラマに熱中している始末。
 美男美女の基準など、まったく他愛もないものである。


シークレットサンタ

名画友の会 安田功
 もうすぐクリスマス。それに因んだ素晴らしいお話を、お届けしましょう。シークレットサンタとは、アメリカで二十年以上も素性もあかさずに、貧しい人へお金を恵み続けたある人物のことです。この人物は、何の見返りも求めることもなく、ただ貧しき人を救いたいという一心でお金を恵んでいたのです。
 貧しき人にとってこの人物は、まるでサンタのような存在と受け取られて、尊敬されました。しかし、その人物はマスコミの取材などを一切断り続け、自らを語ることもないため、人物像は謎のままでした。その謎とサンタのような存在から「シークレットサンタ」と呼ばれることになったのです。
 シークレットサンタは、その存在を隠しながら、二〇〇一年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークでホームレスや失業者を中心に二万五千ドルを配り、二〇〇五年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に七万五千ドルを配りました。そして、シークレットサンタの二十七年間に配った総額は、百五十万ドル(約一億八千万円)にもなったのです。何故こんなにも貧しき人へお金を恵んでくれるのか? そして何でそんなにお金があるのか? その行動とシークレットサンタの正体は、人々の興味を引いてやまないものでした。そして、意外な状況でシークレットサンタの正体は、明かされることになります。
 去る二〇〇六年の或る日、ついにシークレットサンタは、その正体を明かします。シークレットサンタの本名は、「ラリー・スチュワート」と言う人でした。
 ラリー・スチュワートは、一九七一年十一月、二十三歳でした。しかし、彼の勤めた会社が倒産し、路頭に迷ってしまいます。そしてあまりの空腹に耐えきれず、ついにレストランに入って取り憑(つ)かれたように注文して、無銭飲食をしてしまいました。請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気付き、警察に突き出されても仕方が無いと覚悟します。すると、一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで「二十ドル札が落ちていたよ」と、彼にお金を渡してくれました。それは店員のポケットマネーでした。お陰で会計を済ませることが出来、彼にとってこの二十ドルが重大なものとなったのです。
「シークレットサンタの誕生」
 その後、色々な会社に就職しましたが、会社が倒産したり、クビになったりし、苦しい生活が何年も続き、八方塞がりとなってしまいました。もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時でした。ふと目にした売店に立ち寄り、ピポッカ(ポップコーン)を注文します。
 店員の女性は暗い表情で、違う品とお釣りをラリーに渡します。
 ラリーは、彼女が困っているのだと思い、お釣りの中から二十ドル札をプレゼントしました。彼女は、「受け取れない」と言ったのですが、ラリーは「クリスマスプレゼントだ」と言って手渡したのです。その日はクリスマスだったのです。女性は嬉しそうに礼を言い、その笑顔が、ラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになります。
 彼はそのまま銀行へ行くと、なけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で、貧しい人に二十ドル札をクリスマスプレゼントとして、手渡し始めたのです。
ラリー・スチュワートがシークレットサンタになった瞬間です。
「与えれば与えるほど、お金が入ってくる」
 ラリーはシークレットサンタとなりましたが、職の無い彼にとっても二十ドルは大金でした。事実、銀行の貯金は、あっという間に尽きてしまったのです。しかし、それでも彼はシークレットサンタとして「なけなしのお金」から、二十ドルを与え続けたのです。お金を捻出する為、自ら働き始めたのです。
 一九八〇年には、友人と長距離電話の会社を設立し、更に懸命に働きました。そして一九八〇年のクリスマスにも、道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けました。そして、その金額は少しずつ多くなっていったのです。
 すると不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出せ、家族の為に新しい家や車を、買えるまでになりました。そして彼はどんどんシークレットサンタの活動を続け、会社もどんどん成長して、ついにラリー・スチュワートは、大富豪と呼ばれるまでのお金を手に入れました。
「シークレットサンタの死…そして受け継がれる理念」
 ラリー・スチュワートは大富豪となった後も、正体を隠しながらも、更にシークレットサンタの活動を、活発化させて行きました。その寄付した額は、何と一億八千万円にも達したのです。
 二〇〇六年、ラリー・スチュワートは、自らシークレットサンタであることを告白します。同時に自らの余命が一ヶ月しか残されていないことも。彼はガンの末期状態となり、自分の死期を悟ったのです。そして、自分の意思を受け継いで欲しい人を探す為、正体を明かしたのです。
 彼の呼びかけの後、二日間で七千通もの手紙やメールが彼の元に届きました。大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。
 ラリーは、二〇〇六年のクリスマスもシークレットサンタとして寄付活動をし、二〇〇七年一月十二日にこの世を去りました。
 彼の意思はシークレットサンタ協会を生みだし、他人への優しさを忘れないように、毎年活動を行っています。
 ラリー・スチュワートは、本当に偉大な人物です。彼のした行為は、多くの人の賛同を呼び、多くの人が「シークレット協会」に参加しました。そして厳しい資本主義社会の中で忘れかけていた「他人への優しさ」を認識させてくれたのです。そして彼の人生には、勝ち組に共通する重要な理念が含まれています。
それは「求める前に与えよ」の理念です。


毒蛇

ビラソニア老壮クラブ 滝ケ平功
 どくへびと聞いたら皆さんまず何を頭に思い浮かべますか? それぞれ違うと思いますが、私はただ一つ見つけたら片っ端から生け捕りにして、皮を剥いで食べることです。
 別に美味しいというほどのものでもありませんが、砂糖醤油でこんがり焼いたのは結構いただけます。うなぎは値段が高いので、これを山うなぎと思って食べるとまあまあという所でしょうか。
 日本の本土では毒蛇と言うと「まむし」以外は聞いたこともないし、見た事もありませんが、奄美諸島、沖縄(南西諸島)には「ハブ」という猛毒のヘビがおります。でも、何と言っても種類が多いのは、やっぱりブラジルです。
 私が食べた種類だけでも、ちょっと挙げてみますと、ジャラクス、ジャララッカ、ウルトウ、ウルトウクルゼイロ、カスカベル、スルクク、ピッコデジャッカ、ウリカンガとこれだけの種類のものは全部食べて来ました。ちなみにあくまでもこれらの名前はカボクロ(土人)に効いた名前ですので、正式な名前ではないものもあるかと思います。この他に私が名前を知らないのが一種類だけあります。このヘビは後にも先にも見たのは一度だけで長さが十五センチぐらいだったと思いますが、多彩な色で赤、青、黄色、だいだい色とそれはものすごくきれいで、山の木の大きい葉っぱの上にトグロを巻いていました。猛毒を持っているという話ですが、聞いた話なのでどこまで本当か分かりません。
 先に名前を挙げたヘビの中には、人の話し声を聞いただけで寄って来るヘビもいるので、原始林の中では何回か注意されたことがありました。
 皆さんは毒蛇の歯をよく観察したことがありますか? 上歯の二本は注射器の針のようになっていて噛みついてあごに力が入った瞬間に歯先から毒が出るようになっているのです。
 私の職業が測量技師であったため山という山、川という川を歩き回った結果私ほど毒蛇を食べた者はいないのではないかと思うぐらい食べました。もしもそういう人がおられたら、会って話を聞いてみたいです。
 原始林の中を歩いた者でないと、こういう経験はないかも知れません。この他にジャカレイ、ジボーヤ、クワッチイ。食べられなかったのがハリネズミ。これは独特の匂いがあり、食べることができませんでした。ガンバの肉は美味しいと聞きましたが、これも食べずじまいでした。パッカは美味しかったです。
 そもそも毒蛇を食べるようになったのは、六歳の時にマムシに噛まれたのが原因かも知れません。当時、周辺でヘビに噛まれた人など聞いたことがなかったので、治療法などを知っている人がいる訳もありません。「おぼれる者は藁(わら)をもつかむ」と言いますが、両親はまさにその心境だったと思います。
 お灸がいいと言えばそれをやり、温泉が良いと聞けばそこへ行く。二日経っても効果が無かったのですが、たまたまその温泉にいたお客が「町に良い医者がいるから行ってみたら」と言われ、その医者のお蔭で九死に一生を得て、今日の私があるわけです。ブラジルへ来て、だいぶ毒蛇を食べたような気がしますが、ブラジル全体の数からみれば、つま先の垢ほどにも満たないと思います。ヘビの恨みなるものがあるのかないのか分かりませんが、私の人生も残すところいくらあるか分かりませんが、このままで次の世へ行かせてもらいたいと思います。
 ヘビに関してはまだ色々なエピソードがありますが、それを書きますとまた長くなりますので、後日、機会がありましたら、また、書かせて頂きたいと思います。


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