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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2016年12月号

2016年12月号 (2016/12/18) 顔写真

サンパウロ酉年会 田中保子
 この地球上に何億の人が住んでいるか分からないが、同じ顔の人がいないという事は大変面白いことです。中には瓜二つの人がいても顔半分ずつ組み合わせると全く別人になるそうです。
 老人用のバス券をもらうために最寄りの区役所に行き、必要事項の応答の後に係員が「写真を撮りましょう」と言い、コンピュータの前に座らされました。
 「これでいかがでしょう?」と見せてくれたのは、やけに長くひん曲がった履き古しのわらじのような婆さんが写っていました。「これ、私ですか?」と言ったら、一寸私の顔を見て「もう一度、写しましょう」と言って撮ってくれたのは、日数の経ったアンパンか湿気た醤油煎餅の顔です。あれこれ注文をつけるようなツラではないので「タ・ボン(いいよ)」と言いました。
 以来、私は外出の度にこの醤油煎餅ヅラのパスの世話になっていますが、私の年間の交通費はバスとメトロ両方で千八百レアイス位になるので、大いなる恩恵に浴している訳です。老人パス様々です。
 かくして今日もアンパン婆さんは颯爽と出かけて行くのです。


「カエルの楽園」の人たち

熟連顧問 五十嵐司
 九月の末、六十年前に卒業した母校の創立百二十五周年校友世界大会に招かれて大勢の当地在住校友と共に参加した。我が故郷東京は秋の季節とは云え期待していた美しい紅葉を賞でるにはやや早かったようで、その代わりに多くの家々に植えられた金木犀が強く匂い、彼岸花も一斉に赤い花をそろえて出迎えてくれた。
 我々の頃と比べ十倍以上も大きくなって近代的な校舎の中でも、昔ながらの学風を守る後輩たちが寄せてくれた敬意と献身的な奉仕には全く頭が下がり、有り難いことであった。式典の始め、私たちが新入生の時代、上級生の先輩たちに叩き込まれた校歌や数々の応援歌などを若い学生たちが力強く歌うのを聞いた時には懐旧の情けに思わず不覚の涙が流れた。
 さて、 東京都内や地方の小旅行で訪れた町々の風景、そして行交う人々のたたずまいを見ても全く平和そのもので、豊かさに溢れており、それらに比べてわがブラジルの市民生活が現在陥っている状況を思い浮かべ、暗然たるものがあった。
 いずこのデパートやスーパー、そして小規模の店でも国内外よりのもろもろの贅沢な商品が所狭しと並べられ、価格も割安で、大勢の買物客たちで賑わっていた。それらの店の従業員たちはもとより、各地の公共機関の係員たちも笑顔を絶やさず丁寧な応対をしていた。この人たちの心の余裕は何処から来ているのであろうか。恐らく現在の日本と言う狭い地域の中では時として起こる自然災害を除けば、社会的、経済的に安心安全の生活が保障されているからであろう。環境整備、生活補助や保険制度の完備、失業率ゼロを保っている施策の好結果と思われた。
 さて、それはそれで誠に幸せなことであるが、将来外部からの影響や圧力で平和な生活を乱され、覆させられる何事かが起こる可能性については殆ど懸念していないように見えた。まさに「内憂外患など無し」の安心感にひたっているようで、それが安倍内閣に対する高い支持率と同時に同じ内閣の掲げる憲法改正、中でも戦備を禁ずる第九条削除案に反対する動機になっているように思われてならない。
 このようなパラドックス(矛盾)が広い範囲で生じているのは、日本と云うやや 閉鎖的な島国に生き、同じ価値観を共有する民族の特質に由来しているのかも知れないが、我々海外に住む者の眼、所謂「岡目八目(おかめはちもく)」で眺めると、危なくて見ていられないものがある。現在、未公認の軍隊のようになっている自衛隊の存在と運用は正規軍の保持および交戦を禁じる現行憲法に違反するものであるが、これを無理な解釈と便法で正当化しているもので、考えれば限りなく誤魔化しに近い方便と云える。このようなことは正直な言動を何よりも大切にする日本古来の美徳を大人たちが汚し、子や孫に嘘を教えることで、道徳教育を破壊するものと考えると、一日も早い新憲法制定による、すっきりした知行合一への道が開けられるようにすることが望ましい。
 作家の百田尚樹氏は泰平の夢を貪る日本国民の目を覚まさせるべく、今迫って来ている危機を風刺的に描いた警世の書「カエルの楽園」と云う寓話 小説を著わし、自ら挿絵も描きベストセラーになった。
 それは日本の国になぞらえた平和で豊かな楽園のような蛙の国「ナパージュ国(JAPANの逆さ読み)」の善良な蛙たちが、①他の蛙を信じろ②他と争うな③争うための力を持つな、と言う三戒(憲法九条第二項)をかたくなに守り、 「うちの先祖が過ちを犯しました。どうか許してください」と云う「謝りソング」(謝罪外交)を周囲の蛙たちの国に対し歌い続けていれば大丈夫と思っている中に、隣国の貪欲な食肉蛙たちに次第に這入りこまれ、乱暴され、ついに食い殺されてしまうという悲惨な結末になるお伽話です。世界の人口は毎年増え続けるのに対し、地球の食料生産能力には限度があることを考えると、理性・理知の生物である人類も他の生物と同じように、それぞれに与えられた使命である種族の維持と繁栄を保つためには他の強いものに侵食されたり、亡ぼされたりしないようにしっかりした 備えが必要です。
 この度の旅行で見聞きした母国の同胞たちの、人間性善説にとらわれた楽観主義の風潮はみんなが「カエルの楽園」に住んでいるように見え、心配しながら帰って来た次第です。


ブラジルとシークレット・サンタ

サンパウロ中央老壮会 安本丹
 老壮の友十一月号で、安田功さんが米国でラリー・スチュワートという人が二十七年間に総額百五十万ドルを困った人々に匿名で配り続けたという話を書いていた。
 彼は困っていた時に無銭飲食をしようとして、男性店員から二十ドルをこっそりと渡されて助かったので、その後はどんなに苦しい時でも二十ドルを人に配る運動をはじめ、友人と作った会社が成功して大金持ちとなった後でもその運動を続けた。
二〇〇七年、彼は死ぬ前に名前を明かし、彼の呼びかけでシークレット・サンタ協会が誕生し、毎年活動を続けているという。私自身もINSSや日本の国民年金から受け取る金の一部を毎月ある日系団体に寄付しているが、もっと金があればさらに多くの人々を助けることが出来るのにと残念に思っている。
 そこでブラジルでも何人かと一緒にこの協会の支部を作り、この運動を始めれば良いと考えた。
 ところがブラジルではこのような運動が成功するかどうかで疑問を感じ始めた。米国、日本、ヨーロッパのような先進国では勤労精神や自立心が旺盛なので、人から恵みを受けるのを恥とする気持ちが強く、そのため感謝の気持ちを抱き、後でお返しをしたいと思う人が多いのではないか。困っているときにはお互い様という気持ちがあれば、このような運動は成功する確率が高くなる。しかし中南米では貧富の差が激しいので、金持ちが人を助けるのは当たり前だと考え、感謝したりお返しをする人がどのくらいいるのだろうか?
 たとえば、ブラジルでは道路だけでなく、バスや地下鉄の中でも毎日物乞いや物を売るものが多く、可哀想だと分かっていてもうんざりしてしまう。
 八月にスペインに旅行したときには、地下鉄などの乗り物の中で物売りを一人も見かけたことがなかったので、非常に気分が良かった。
 また汚職は日本でも世界の他の国でも見られるので、ブラジルだけを非難するのは当たらないとはいえ、汚職でつぶれたジルマ政権の後を担って大いに期待されたテメル政権でも既に六人の大臣が辞任し、汚職の根が深いことに失望させられる。
 最近はまた盗難事件が増大し、私がよく通るリベルダーデ界隈では携帯電話が良く盗まれるので、私は持ち歩かないことにした。
 先日は知人の娘さんがパウリスタ大通りで強盗に遭(あ)い、現金、カード、各種証明書などの入ったハンドバッグを持ち去られた。
 このような状況では、せっかく好意で人を助けようとしても、それを悪用するものが門前市をなすような結果になるのではないかと恐れる。


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