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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2017年3月号
2017年3月号 (2017/03/10)
懐かしの映画「オペラハット」
サンパウロ名画友の会 谷垣峻輔
名画友の会では熟連会館の二階で毎月二回、第二・第四土曜日に日本映両と外国映画を一本ずつの二本立てで上映しています。
先日、アメリカ映画で往年の名優ゲイリー・クーパー主演の「オペラハット」が上映され、久しぶりに後味のよい作品を楽しむことが出来ました。
アメリカ映画の多くはエンターテインメント(娯楽)の要素が強いと思いますが、この映画にも見るように、それと同時に何らかのものを考えさせる示唆(しさ)を含んでいるものが多いように感じます。
さて、この映画でクーパー扮するニーズ氏は、アメリカ・バーモント州の田舎町で絵葉書に優しい詩を書いて生計を立て、気が向くとチューバを吹き鳴らすのが好きな好青年です。ところが、彼に白動車事故で急死した大金持の伯父からの莫大な遣産が転がり込んで、生活が一変することになります。が、持ち前の気前よさで大勢の貧しい農民たちに土地を分け与えようとします。
しかし「そうはさせまい」と、悪徳弁護士と組んで財産を狙う別の甥夫婦の悪だくみによってこの遺産相続の一件は法廷に持ち込まれ、ニーズは精神異常の相続無資格者に仕立てられそうになるのですが、彼をよく知っている女性記者(ジーン・アーサー)の愛情あふれる証言に力づいて口を開いたニーズの反論「彼らは裁判の少し前に私の自宅に来て、取引して手を打とうと申し出た」の一言で判決は危ういところで一転します。もう少しでニーズ氏は財産どころか異常者の烙印を押されて精神病院に閉じこめられそうだったのです。法廷での長い沈黙とユーモアを含んだ短い口調がクーパーらしく、最後が「めでたし、めでたし」で正義が勝つ水戸黄門漫遊記のアメリカ版です。
不条理なことの多い今の世の中、ブラジルでもこのような物語が一件でも起こってくれると楽しいな、と思うのですが、これも庶民の願いと云うものなのでしょうか。
ユーレイの話
サンパウロ酉年会 田中保子
◎友人の母御
ある早朝、俳句仲間の友人が「日本の母が亡くなった様子。昨夜、トイレに起きた時に廊下の向こうに白い着物の女性が見えたけれど、あれは日本の母が私に会いに来たのだと思う」と言う。彼女は感受性の強い方なので本当だと思った。
中一日置いて、「やはり『母は亡くなった』と甥から報せがあった」と言った。時間的には少し違うようであったが、遠い日本から老いた母御の霊魂が道中、難儀したのでしょう。
◎旧陸軍病院
出稼ぎ介護仲間に誘われて、病院に隣接する旧陸軍の建物を見に行くことになった。近く、取り壊す噂があったから、休み時間に連れだって行った。
建物はすごく暗く、長い廊下の両側に戸の閉まった病室があり、当然、静まり返って、天井には小さい電燈が所々ついていて、廊下はウナギの寝床のようにどこまでも長く続いている。少し歩いた時、彼女が突然「帰りましょう」と回れ右をした。
戻り道、彼女は「廊下の向こうに白衣の兵隊さんが松葉杖をついて立っているのが見えた」と言う。私には見えなかったが、夏の真昼なのに背中が寒く感じた。
間もなく解体工事が始まり、そして静かになった頃、病院の屋上に上ってみたら古い陸軍病院は跡形もなく、夏の陽は燦燦(さんさん)と輝いていた。白衣の兵隊さんは松葉杖をついてどこに行ったのでしょう。
◎G温泉
知り合いの高齢の温泉ツアーに欠員が出たと駆り出されてG温泉に行った。朝早く出勤した職員たちの話し声で目が覚め、聞くともなく聞いていると、「昨夜も出たんだって!」と言う。のこのこ出て行って、話の間に入った。私が泊まった新館工事の最中に事故があり、人夫の青年が亡くなったらしい。
それから後、新館の奥の庭に青年の幽霊が出ると言う。私のポ語力ではそれ以上の話は分からなかったが、昼、見に行ったら丈の低い常緑樹が枝を張っていて立地条件は良さそうだ。
その後、G温泉に行く機会が無いが、あの兄ちゃんユーレイは成仏できただろうか。
卒寿の里帰り
サンパウロ中央老壮会 大志田良子
昨年十一月初めから一か月半、娘と共に里帰りをして来ました。
名古屋に嫁いだ一人娘が父の介護に帰っていましたが、一昨年の暮れに父が亡くなり、一年も過ぎたので、「そろそろ帰りたいと思うが年老いた母を一人残して帰れない」と言います。
今のところまだ元気なので独りでも大丈夫と思うが、結局、「訪日旅行なら」ということで、連れて行ってもらったわけです。
「ふるさとは遠くにありて想うもの」と言いますが、やはりこの目で確かめ親類、知人、そして友人たちに会い、共に涙の対面をしました。これこそ生き甲斐を感じた、この上ない幸せな時間でした。
十年目の里帰りでしたが、生まれた農家の周辺はそれほど変わってはいませんでした。ただ、私の生家は現在、甥夫婦とその娘夫婦、孫夫婦と三世代が仲睦まじく暮しており、何よりと思いました。
もちろん、住宅は増築され、二階家となり、昔の面影は消えてしまっていました。
まず、ご先祖様の墓参を娘と一緒にして、ブラジルのお話なども墓前で語り聞かせ、天国の皆さまも喜んでくれたと思います。
私は岩手県金ヶ崎の農家生まれですが、亡き夫は盛岡出身でしたので、盛岡まで足を運び、主人のご先祖様の墓参をして、亡き夫のことも報告してきました。
レールパスも残り少なくなってきたので、娘は盛岡から名古屋に、私は東京の亡き姉の家の姪夫婦の所でお世話になり、東京見物、埼玉県の姪の家や千葉県の知人宅など、がんばって旅行をして来ました。
何と言っても忘れられないのはスカイツリーに上ったことです。四五〇米の展望台から眺めた大東京はまるで夢でも見ているようでした。七十年前の戦後の、あの東京を思い出してしまい、胸がいっぱいでした。
帰伯も近づき、名古屋に戻り、娘夫婦と伊勢神宮へお参りして、二日間、鳥羽の温泉にてゆっくりと休養し、十二月のナタール(クリスマス)前にサンパウロへ無事、帰ってきました。
これからの残された人生、趣味の短歌と書道を続けていくつもりです。健康に留意して、皆さまにご心配をかけないように心がけます。
サルバドールの旅
モジ中央日会老人部 西丸俊子
孫娘の夏休みが長いので、どこかへ旅行したいという事で、長女の住んでいるサルバドールへ行くことになり、一月三十日から二月九日まで行って来ました。
長女の次男もブラジリアで仕事をしていますが、休暇を取り、帰ってきました。朝夕、海で泳ぎ、日焼けしました。長女は火曜から金曜まで七時から八時をプールで体操。月曜と水曜は午後四時から五時までダンス教室に通っていて、これに私たち三人一緒に連れて行ってもらいました。
夕日が傾く頃から夜にかけて出かけるので、汗の出ることはなく、過ごしやすかったです。
汗がたらたら出たのは、このダンス教室だけでした。海からの風が吹き、気持ちの良い天候でした。サルバドールは夏時間はありません。毎朝五時半頃、バッハの燈台まで十分散歩し、日の出を拝みました。夜は毎晩アパートの窓から地平線に沈む夕日を見ました。
夜、静まると、浜に打ち寄せる波の音と風の音が聞こえ、夜は夜風が入り、涼しくて気持ちよく眠れました。
二月七日火曜日午後四時から七時までポルト・ダ・バッハからリベイラまで船でいきました。港に豪華客船が二隻も入り、貨物船は毎日港の外まで何隻も並び、入港を待っています。
夜は燈台に明かりがつき、対岸の町は電気が付き、各船にも電気が付き、特に豪華客船はきれいでした。帰途に着く頃は客船一隻が出航して向きを変え、離れて行く景色は絶景でした。
私たちの船より速力が早く見る間に遠ざかって行きました。
この旅で一番心に残り、感激したことがあります。
二月八日水曜日、午前九時半に出かけ、十一時半にプライア・ド・ホルチという観光地に連れて行ってもらいました。海の近くになると、山は白い砂でおおわれています。大きな町で駐車場も決まっています。道路の真ん中は大樹が影を落とし、風が吹き、両側は土産屋がほとんどです。水着姿の人が大部分ですが、海からの風で汗が出るほどではありません。珍しい土産物を買いました。海の近くまで歩き、入場料を払い中に入ると、大きな池のような水槽が沢山あり、海水で底まで見え、きれいでした。
どの水槽にも珍しい魚がいます。制服を着た大勢の若い飼育員が働いていました。水槽の大きさと泳いでいる魚の大きさにより、太らないように計算して餌を与えるそうです。一番目の水槽に海亀の大きいのが二匹いました。長さは一米以上でした。人懐こく足音がすると寄って来て、首を持ち上げ、こちらを見ます。餌をやると素早くとって食べました。ここには世界で五種類いる亀のうち四種類がいるそうです。
別の水槽にはツバロン(鮫)が三匹とエイの大小が二匹いました。そのツバロンに餌をあげて食べている間に五人ずつ入って背中を両手で撫でさせてくれました。大人しいです。背中はツバロン・リッシャと言うそうです。
海亀は砂を掘り、百個から百二十個の卵を産み落し、また砂をかけ、五十日から七十五日すると卵が孵化して砂から出て、子亀が海まで急いで走って行って波に乗り、海へ帰ります。これは普通の亀の習性です。しかし、自力で砂から出られずにいる亀を、人間が掘りだして、海に帰す仕事を午後四時から始めるのだそうです。それを見に海岸まで行きました。
飼育係が二カ所を手で掘っていき、深さ三十から五十センチほど掘った所から孵化した亀が出てきました。それと一緒にピンポン玉くらいの白い卵も出てきました。孵化しないで死んでいます。元気な赤ちゃん亀を大事にかごの中に入れ、海から十メートル位離れた、海の神様をお祀りした教会の前にセルカ(柵)をして、その周りに人がたくさん集まり、見ている中、子亀を籠から出すと小さな体で全力で海に向かい一斉に走り出しました。
「がんばれ、ガンバレ」のかけ声と共に渾身(こんしん)の力をふりしぼり、海に向かって走って行きました。その姿を見て涙が出そうになりました。
中には休みながら海には着きましたが、波に乗れない子亀もおり、それは飼育員が連れ帰り、自力で海に入れるようになるまで育て、その後、海に放すそうです。この光景はビデオでは見た事がありますが、実際に見たのは初めてです。娘も何十年も住み、友だちやポーザーダの客を連れて何度も訪れているそうですが、見たのは初めてだったそうで、運が良かったと感謝しました。
知らない果物も多く、説明してくれますが覚えきれません。甘さと水分が豊富で美味しかったです。ジャッカは柔らかく、甘くて包丁や手にマンテーガ(バター)を塗って実を取り食べたのは、初めてでした。ジャッカにも二種類あるのを知りました。アメンドイン(ピーナッツ)は殻(から)のままレモンと塩で茹で、手でつぶして食べました。私は好きで、キリがありません。腸の働きが良かったです。「所変われば、品変わる」の諺通りです。この年になっても色々と知らないことだらけでした。充実した日々を送り、次回の再会を楽しみに約束して帰りました。
さくらの子
サンパウロ酉年会 浜照夫
安倍首相の肝いりで、今、日本は観光ブーム。しかも韓国はもとより中国の爆(ばく)買い騒ぎ、続いて爆ツアー。国にお金を落としてくれて大喜び。だが、尖閣諸島問題をはじめとして、政治的には眠れる獅子が暗躍しつつあるのも事実です。
日本には黒田節という名曲があります。出だしは「酒は飲めのめ…」。私はその歌の三番目に出てくる歌詞に注目したいと思います。
花より明るくみ吉野の春の暁見渡せば
もろこし人も高麗人も大和心となりぬべし
つまり、中国大陸から来た人も、み吉野の春の桜を見渡せば「大和心になる」というのです。この詩の背後には、ただきれいな桜だけではない。大和心、大和魂になりますよ、と言っている。さーっと咲いて、さーっと散る。これは日本の文化に通じる原点とも言えるでしょう。
現代の農業技術の進歩は遺伝子操作によって、散りにくい花に改良できるかも知れませんが、私はいつまでもいつまでも生にしがみつく桜の花は歓迎しかねます。
天から授かった命とは、毎日を一生懸命生き、この世で魂を磨き、さーっと散る。
海外へ移植されても、日本のさくらはさくらなのです。年月は人間が創った時間の単位でしかありません。肉体時間、物質時間とでも言いましょうか。そういう私も子供の頃にあれほど長かった一年が、あっという間に過ぎ去る年齢のお年寄りになりました。
日本語能力試験を受験
サンパウロ中央老壮会 外山保&美春
熟連が二〇一四年に日本語教室を開設して、私たち夫婦も誘われました。
この歳になって今さら日本語を習うのも…と、ちょっと迷いましたが、私たちは絵手紙も習っているので、「何か役立つこともあるのでは…」と思いましたので、日本語も勉強することにしました。
この日本語教室は五十嵐松酒クリスチーナ早苗先生が昨年十二月まで三年間、教えてくれました。先生が他の町に引っ越すことになり、新しい先生に変わると言うのでちょっと心配でしたが、斉藤市美先生が引き受けて下さったので、教室も無事続き、ホッとしている所です。
早苗先生には色々と優しく丁寧に教えて頂きました。特に漢字は組み合わせによって意味、読み方が違ってくるなど、漢字の奥深さと美しさを学びました。
また、先生のご指導のおかげで妻の美春が日本語能力試験N3に挑戦し、無事、合格しました。早苗先生、本当にありがとうございました。心より御礼と敬意を表します。ちなみに夫の私はN1に挑戦しましたが、残念ながら今回は不合格でした。
妻は今度は「N2を受けてみたい」と言っていますが、「N2はものすごく難しい」と言われているので、「チャレンジのつもりだ」とのことです。どれだけ難しいのか、試してみて、たとえ不合格でも諦めないで、何度でも受けるそうです。
もちろん私もまたN1を受けて、たとえ不合格でも何回でも受け続けます。続けることが勉強!そう信じています。妻に負けないようにがんばります。
日本語を習い、勉強することで、本、小説、新聞を読むことができ、理解することができるようになりました。そしてさらに日本語が上達すれば、これは本当に意味のあることだと思います。
もっともっと努力し、もっともっと夫婦二人で頑張りたいと思いますので、今後とも何卒宜しくお願い致します。
「♪桃太郎」の替え歌でダイエット
弾んだ心でえんやらや 日本の絵手紙の先生、寺前ヒサエ先生が私たち熟連の絵手紙の先生石井恵子先生に「新年会で桃太郎の替え歌を最後に歌って、大笑いでおひらきでした。熟年クラブで皆さんに伝えてあげてください」と教えて下さいました。
♪桃太郎さん、桃太郎さん、お腹につけた肉団子
少し減らしてくださいな
やりましょう、やりましょう、これから脂肪の征伐に
付いて行くならやりましょう
行きましょう、行きましょう、筋力アップに何処までも
足腰鍛えて行きましょう
そりゃ進め、そりゃ進め、何度攻めても攻め破り
つぶしてしまえ気の病
面白い、面白い、やまいも認知も
攻め伏せて、健康ぷっとりえんやらや
ばんざい、ばんざい、
寝たきりならず元気よく
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