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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2017年5月号 (2017/05/12)
カーニバルの休み
サンパウロ中央老壮会 栗原章子
今年もまた、カーニバルの休みを利用して、アングラ・ドス・ヘイスから四十分くらい小船に乗っていった所にある、イーリャ・グランデのマリア・ボニータ・ポウサーダに行き、まる三日間「食っちゃ寝、食っちゃ寝」といった日々を過ごした。友だちが「そんなにぐ~~だらぐ~~だらしていないで、遊覧船に乗ろうよ。」というので、もう見飽きた景色だけれども、青い透き通った海と空をのんびり見ながら心地よい風に吹かれるのもいいと思い、一緒に遊覧船に乗った。
今回は上り下りがきつい坂や波が荒い海岸には行かなかった。何しろ、運動というものが苦手な私は、細い舗装されていない坂道を上り下りするのは結構しんどい。
遊覧船が私たちを乗せ、ノッタリノッタリ海面を走る間、国が不景気に喘いでいるのに、何のその、とばかりに白い大型モーターボート (lancha) が私たちに水しぶきを浴びせながら颯爽と海の上を走り回っている。私たちが乗った遊覧船はゆっくりゆっくりと目的地に向かう。埠頭(ふとう)がある島もあるが、ないのもあり、私は少し泳げるので、浮き袋を体に巻いて遊覧船から下り、海岸まで、歩いて(?)ていった。全然泳げない友だちは遊覧船のボートに乗って、浜辺まで着き、砂浜に寝そべって二人で日光浴をした。
イーリャ・グランデの浜辺はどこも水が透き通っていて、とてもきれいで、心地良い風が吹き、気持ちがいい。
ブラジルにはまだまだきれいな海岸がたくさんある。この前行ったアラカジュ州の海などもきれいで、海の底にはたくさんの小さな貝が手にぶつかり、友だちなど、「味噌汁の具にちょうどいい」と喜んで、たくさん集めていた。
外国旅行もいいが、国内の海岸線の観光地もいいものだ。特に、長い時間飛行機に乗っているのが疲れるようになった私にとって、近場をのんびり旅するのもいいものだと思えるようになった。
何故、北朝鮮の滅茶苦茶な体制は、崩壊しないのか!
名画友の会 安田功
昨年、北朝鮮第一書記長の金正恩(キン・ジョオウン)のナンバー2と言われた義兄の張成沢(チャン・ソンテク)が処刑された。最近は、異母兄の金正男(キン・ジョンナム=マカオで亡命生活)が、クアランプール空港で暗殺された。北朝鮮の女工作員(スパイ)が、猛毒で倒したとのことである。勿論、異母弟の金正恩の差し金であることは、周知の通り。
金正恩は、恐怖政治を敷いているが、本人も親族や側近から、自分の地位や命を奪われるのではないかと、いつも戦々恐々としている状況を、垣間見ることが出来る。
「枕を高くして寝ることが出来ない」ので粛清(しゅくせい)という先制攻撃を仕掛けているのである。父親の金日成(キム・イルソン)の後継者となってから、親族や側近および反対派を粛清し、その人数は、二万人以上とも言われているから、凄まじい。処刑も残忍を極め、大砲などで「髪の毛一本も残すな」とのこと。処刑される前、大部分の者が気絶するというから、恐ろしい国もあったものだ。日本人で良かったと、胸を撫で下ろしている今日この頃。今頃、気付くとは、ちょっと遅いか!
よく「北朝鮮は経済が悪化して崩壊する」と言われているが、約二十年前、食料供給体制が崩壊して、餓死者が相次いだ時代でさえ、その支配体制は揺るがなかった。経済不振が理由で国家が崩壊するなら、アフリカの貧困国は、とっくに崩壊し存在していない筈だ。
「軍事クーデターが起きて、金正恩政権が倒れるのはないか」と予測する人もいるが、その可能性は限りなく零(ゼロ)に近い。何故なら、党に逆らわない為の「安全装置」が付いているからである。それが「政治委員」による二元指揮制度、二つの命令系統の存在である。一般の軍の将校の他に、党から派遣された政治委員が各部隊に配置され、軍の将校のみならず、政治委員が命令書にサインしない限り、部隊を動かせないシステムになっているからだ。
さらに好都合なことに、中国(虎)が直接アメリカとの武力衝突をしたくないから、北朝鮮(狐)を盾としている。詰まり、北朝鮮は「虎の威を借る狐」という立場。
中国からは石油や不足食料や生活必需品を輸入している。この様に中国のみでなく、日本も間接的に援助していることを、ご存知の方は、皆無に近い。そんな馬鹿なと思われるかも知れないが、事実なのである。
日本政府は、北朝鮮国民の為、年間何千万トンという米を供給している。それが遅れたり減量すると「ミサイル・テポドン」等で威嚇する。実際、日本海や日本上空の成層圏を経て、太平洋排他的海域に落下させているではないか。
その度に、アメリカから「パトリオット」を借りて迎撃体制を敷くことになる。タダでは無い。何十億ドルという賃貸料を払ってのことである。何しろ、金正恩が五分間、威嚇(いかく)演説をすると、韓国と日本がビビッて、アメリカから何千億ドルとする近代兵器を購入するのである。
アメリカからしたら、金正恩は「金の成る木」つまり「打ち出の小槌」なので、これを抹殺する筈が無い。暗殺しようと思えば、無人機ステレスで簡単に出来るが、自国が直接被害を被らない限り、それを駆使することは絶対にない。
日本人は、「パチンコ大好き」な国民である。その親父(ドーノ)の六割は、北朝鮮や韓国系なのである。年間、三十兆円もの天文学的金額を、パチンコに使うアホな日本人が、自分の金で自分を脅かすことをしている。その金は、地下銀行を経て、北朝鮮へ行き原水爆や近代兵器と化けている。地下銀行のことを別名「幽霊銀行」とも呼称されている。政府がいくら禁止しても「幽霊」であるから、その送金を阻止することは、不可能である。よって、中国と日本が存在する限り、北朝鮮の体制が崩壊することは無い。たとえ、金正恩を襲いイラクのように自爆する勇敢(?)な輩(やから)が現れても、第二、第三の金正恩が現れる豊潤(ほうじゅん)な土壌(どじょう)が形成されているからである。
では、日本国としては、どうすれば良いのか?私見(しけん)であるがグッド・アイデアを披露する。
スイスは、世界トップ・クラス(大統領、首相や財閥等)の資金が預金されている。中立国を唱っており、戦争はしないが、非常に備え軍備は怠っていず、軍隊があるのである。自分たちの資金が預金されているので、誰も戦争を仕掛けないし、それを灰塵にする馬鹿もいない。
戦争は、歴史が証明する通り、トップ同士のいがみ合いで、国民はワリを食うのみ。賢明(けんめい)な読者はお判りだろう。その通り、日本は第二のスイス国家を目指したらよろしい。
世界各国のトップ(北朝鮮=金正恩、中国=習近平、ロシア=プーチン等)の資金を「どうぞ、いらっしゃい」と「ジャパン世界銀行=仮称」に集結させる。これで、戦争が無くなるので、軍備費が大幅に減少され「一石二鳥」となる筈。何処からか、天の声が聞こえて来た「黙れ、シロウト」。
青森県平内町という町
サンジョゼ・ドス・カンポス 今井はるみ
大都市を離れれば離れるほど、どこの町も村も何となく活気が失われているように感じられる日本!
築二十五年の二階建てを改装した我が家のある平内町も実はその通りなのです。
駅に降り立てば待合室にはストーブを囲むようにかわいい座布団を置いた椅子が並び、駅内のトイレもやっと今、洋式になったけれども、手洗いのせっけん液も手拭き用の紙もありません。
駅の周りの雑草も生え放題。観光案内のペンキも剥げてしまって…と、これは人手が足りないから…とも言えないんですよね。寒い地方は雪に振り回されて、半年が終わり、春の日差しにやっと一息つけば、また、半年もしないで冬がやってくる。
実は青森へ五月になれば来て、十一月の初めにブラジルへ帰ってしまうので、雪の恐ろしさを知らない私もガレージが雪の重さでペシャンコになっていたのには参りました。
この雪の重さに耐えうる家屋ではあるけれど、冬中、留守にしているのですからねぇ。
でも、悪い事ばかりではありませんよ!この町は白鳥の飛来地(ひらいち)として有名だし、津軽三味線と言えば高山竹山が有名ですが、この人物もこの町の出身です。
田んぼを見渡せば、青サギもすっくと立っているではありませんか。杉木立(すぎこだち)を散策すれば、日本鹿にも出会え、テンという珍しい動物も走り回っている。迷惑と言うなら、タヌキの親子が畑の作物を食い散らしたり、熊が里までで歩いてくるんですよね。
各所に取り付けられた役場の拡声器が「どこそこの道を熊が歩いているから気を付けて」とどなってくれ、台風情報も教えてくれるし、その上、朝六時、昼十二時、夕方六時には「♪朝が来た」や「♪夕焼け小焼け」の曲を流し、夜になれば消防車が路地を回って「チン、チン、火の用心」と触れ歩いてくれます。
回覧板も毎週回ってきて、いろいろな催しを教えてくれますから、人とのつながりは半年留守にしていても続くのです。
こうしてみると、地方の町や村の団結力はすごいですね。そのうえ、冬中、除雪車は夜明け前に走り回って、車が走れるようにしてくれるのです。主人のふるさと、ここ平内町へ来る度に、幼い日々を過ごした四国の片田舎の団結力を思い出しているのです。田舎の良さ!この一言のために毎年、平内町に飛んで来る!と、言えるのかも知れません。ちなみに、主人の生まれは東京神田で、三歳の時、戦争が激しくなり、青森県に疎開したそうです。
如空の百人一首の恋歌
書道愛好会名誉会長 若松如空
ありあけの つれなくみえし わかれより
暁(あかつき)ばかり 憂(う)きものはなし
【壬生忠岑】
平安時代、宮中を取り巻く上級社会では長い平和な暮らしを楽しむことが出来ました。そして「人生で一番大切なのは恋だ」という説も広まりました。
こんなうららかな世相でも、昔の人たちはそれなりの苦しみもあったようです。
女性は外へ出ることを制限され、恋人が家へ来るのをじっと待つのがしきたりでした。もう来るはず、来ないのかしら? 悩みは深まります。だから逢瀬ができた時の喜びは格別です。
しかし、朝が来れば別れるのが決まりです。男は居残りを許されません。この別れを後朝(きぬぎぬ)といいます。二人には太陽は恨めしいものなのです。
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