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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2017年7月号

2017年7月号 (2017/07/12) 如空の百人一首の恋歌

書道愛好会名誉会長 若松如空
あらざらむ
この世のほかの思ひ出に
今ひとたびの 
逢ふこともがな
【和泉式部】

 和泉式部といえば、誰もが知る当時の歌人です。情熱的な歌、官能的な歌を作って有名で、色好みだ、浮かれ女だと、当時の政界の大物・藤原道長が批評したという事ですが、和泉式部集には千五百首もの歌が記されているのです。
 晩年になってから、病の床にあったというのに、熱烈な心情は続き、この句を作ったそうです。
 「私の命はもう長くありません。あの世に行ってからの思い出に、せめてもう一度だけお逢いしたいのです」。
 結ばれた男は四人という事ですが、この歌は最初の男への思いだと言われています。初恋は最良の思い出なのです。


日本旅行二〇一七年

ジュンジャイ睦会 西一人
 昨年、弟の一行から「どうしても話したい事があるから日本へ来てほしい」との連絡を受け、すぐにでもブラジルを出発するつもりでいました。
 ところが妻が大やけどをするという思わぬ事態が発生し、行くことが出来ずに今年行くことになりました。妻と三月二十三日、ジュンジャイの自宅から長女・和江の車でグアルーリョス空港へ。そこでパンアンデス旅行社の方が手続きをして下さり、初めて車椅子を利用して搭乗。エミレーツ航空262便にて旅立ちました。
 約十四時間でドバイ空港に到着。その後九時間ほどで関西空港に着き、入国・税関手続きも簡単に終わり、荷物は宅急便で送り、エミレーツ航空のバスで名古屋駅まで送ってもらいました。名古屋駅では、八年ぶりに会う次女の家族が出迎えておりました。
 静岡県磐田市豊岡の次女・礼子の家に到着したのは二十六日午前一時でした。四十四時間の長旅もほとんど疲れませんでした。日本の気候も今年はだいぶ狂っているらしく、朝晩五℃と非常に寒く感じました。
日曜日だったので、最初に下着などの買物をしてから回転寿司で昼食をとり、小学校六年生で十一歳の孫と久しぶりに過ごしました。孫は一歳で日本へ行きましたので、日本語はよく話し、私たちが少しでも間違えると、注意されてしまいます。ブラジルの孫とは違います。
 翌日、一九九一年から一九九六年まで五年間働いていた日研フード株式会社(天然調味料)へ行きました。二十三年ぶりですが、私が働いていた当時の方々も十人いまして、懐かしく話ができました。
 四月五日からはレールパスを利用して鹿児島へ行きました。中央駅まで弟が迎えに来てくれました。桜島を見ながら、肝付にある内浦に帰省しました。美子姉さんの夫、兄の嫁さん、弟の嫁さんとみんな高齢のため、亡くなっておりました。まずは幸子姉さんと墓参り。鹿児島市内に住む兄弟二人とは電話だけで済ませました。
 四月八日(土)は六十二年ぶりに同窓会をしましたが、県内に住んでいる人は少なく、十名しか集まりませんでしたが、本当に楽しいひと時でした。
翌九日(日)は弟の嫁さんの法事も無事終わり、十日には残りのレールパスを利用して、北海道新幹線を体験してみたく、九州新幹線、山陽新幹線、東海道新幹線、東北新幹線と乗り継いで、岩手県盛岡に。朝八時五分に出発して、十九時過ぎに予約したホテルに着きました。一泊して翌十一日八時に再び東北新幹線に乗り、青函トンネル(五三・八五㎞)内を一四〇キロの時速で走り抜け、新函館北斗駅に十時五十六分、約二時間五十分で到着しました。
北海道はまだ寒く、山々は雪で真っ白でした。新函館北斗駅で昼食を済ませ、折り返し、十二時四十四分発の特急はやぶさ号で東京へ。新幹線の車両は非常にすわり心地がよく、窓からは白い山々が眺められて気持ちの良い旅でした。東京駅に十七時四分に着き、磐田の娘の元へ。久しぶりの里帰りですが、こんな風に日本を縦断できるのもレールパスのおかげとつくづく感謝しています。
 最後の十日間は磐田での生活です。昔の銭湯がスーパー温泉に代わり、高濃度炭酸泉、寝ころび炭酸泉、岩湯、塩サウナ、遠赤外線サウナ、つぼ湯など色々あります。早朝五時から深夜一時三十分まで営業しています。
 娘の家から五キロほどの所にあり、孫のあゆみ(十一歳)と行くときは婿が仕事に行く途中で送ってくれます。帰りは電車とバスを利用して帰ります。孫は初めて電車とバスに乗ったと喜んでいました。今年は桜の開花が遅れて、四月半ば過ぎから満開になり、花見も出来ました。朝晩は十℃以下で寒くて雨の日も多く、桜の花も早くに散りました。
 四月二十一日は孫のあゆみの(磐田西小学校六年二組)の父兄参観にも行き、今の学校の子どもたちの生き生きとした姿も見てきました。
 四月二十三日(日)、いよいよ帰る日です。娘の家を十一時に出て、名古屋駅に向かいました。途中、山々は若葉の装いとなり、薄緑色で本当にきれいでした。
 昼食をとり、名古屋駅に到着したのが十三時半頃でした。名古屋駅までは娘の家族が見送ってくれましたが、駅からはまたエミレーツ航空のバスで関西空港へ。そしてエミレーツ航空317便に搭乗。二十四日十六時三十分、グアルーリョス空港に到着。長女と孫のはるみが出迎えに来てくれていました。ジュンジャイの自宅に着いたのが夜八時で三十三日間の旅もおかげ様に無事終わりました。
 今回の旅行は車椅子をお願いしたので、様々な手続きが簡単に済み、身体的にとても楽で楽しいものでした。留守中は皆様方にお世話になりました。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。


人生に必要なのは希望と勇気と少しの金

名画友の会 安田功
 先般、名画友の会で、チャソプリンの「ライムライト」が上映された。その時、チャップリン扮する「カルヴァロ」が、自殺を企て意識不明で倒れていた美しいバレの踊り子・テリー(クレア・ブルーム)が、意識を取り戻した時に発した至言。
「人生に必要なのは、希望と勇気と少しの金である。」
 この言葉を聴いて、そうか「少しの金」なら何とか成るぞ、と希望と勇気が沸いて来た人は、相当の数に昇るものと思われる。
 「ライムライト」(Limelight)は、一九五二年製作のアメリカ映画。チャールス・チャップリン監督。それのみか脚本、製作、主演、音楽をも担当した万能偉才の持ち主である。
 日本では、一九五三年に公開。一九七三年にリバイバル上映された。チャップリンが長編映画で始めて素顔を出した作品で、同時にアメリカでの最後の作品となった。(本作のロンドンでのプレミアの為、イギリスに向かう途中、アメリカの法務長官から事実上の国外追放命令が出た為である。)当時、ライバルのバスター・キートンとも本作で初めて共演している。これは、キートンが経済的に困窮していたことを伝え聞いたチャップリンが、何らかの助けになればと起用したと言われている。タイトルの「ライムライト」とは、電球が普及する以前に舞台照明に用いられた照明器具で「名声」の代名詞でもある。
【キャッチコピー】
 美しきバレーリーナに寄せる心を秘めて舞台に散った道化師の恋。名優の至芸と愛の名曲を謳いあげる感動のチャップリン・シンフォニー。
【あらすじ】
 かって「イギリスー」と言われた道化師のカルヴァロ。今や中年を過ぎ、すっかり落ちぶれ酒浸りの日々を送っていた。或る日、カルヴァロ(チャップリン)は、自殺を企て意識不明で倒れていたテリー(クレア・ブルーム)と言う美しいバレエの踊り子を助ける。
 テリーは、姉が娼婦となって自分のレッスン代を払って呉れていたことを、知ってから足が麻痺してしまった。すっかり失望して生きる気力を無くしていた彼女を、カルヴァロは献身的に介抱し、もう一度バレエを躍らせる。再び踊り始めたテリーは、ダンサーの職を得て、作曲家のネヴェル(シドニー)にも気に入られ新作バレエの第一ダンサーに抜擢される。一方のカルヴァロは、カムバックに失敗し、逆にテリーに励まされる始末だった。
 テリーに惚れ込んだネヴェルは彼女に愛を告白するが、彼女の想いはカルヴァロにあった。テリーは、カルヴァロに結婚しようと言い出す。カルヴァロは、年齢差や自らの壕遇とテリーの順風満帆の現在を比べ、結婚話は、馬鹿げていると一蹴してしまう。カルヴァロは、彼女の元を離れ音楽師へと落ちぶれて行く。
 カルヴァロと別れた後のテリーは、ヨーロッパ各地での興業でも絶賛される。その一方で第一次世界大戦が始り、ネヴェルは出征して行く。ロンドンに帰ったネヴェルはテリーを口説くが、彼女は未だカルヴァロのことが忘れられない。
 或る日街角で偶然カルヴァロに再会したテリーは、もう一度彼を舞台に立たせるように手筈を整える。再起の舞台で熱演するカルヴェロに観客は、惜しみない拍手を送る。カルヴァロは、熱演のあまり予定より勢いよく舞台から転落。そのまま舞台裏に運ばれる。何も知らず、華やかなライムライトの脚光を浴びて踊るテリーの姿を見ながら、カルヴェロは息を引き取るのだった。
 このように喜劇王と言われたチャップリンにしては、哀愁の帯びた悲しい映画に仕上げられている。しかし、チャップリンの素顔は、余りにも紳士過ぎて頂けない。やはり、チャップリンの真骨頂は、チョビ髭での演出が最高である。チャールス・チャップリンは生涯に四回結婚した。イギリスのロンドンで生れ、一九七七年十二月二十五日(クリスマス)にスイスにて満八十八歳の生涯を閉じた。


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