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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2017年9月号
2017年9月号 (2017/09/15)
明治天皇との出会い
サンパウロ中央老壮会 外山保
明治天皇との出会い。それは、明治天皇の写真のことです。
パラナ州アサイ市の日本語学校で私は教室の壁に飾られていた明治天皇の写真を見ていました。
その頃は、その写真に対して御辞儀をして、敬礼をすることが私たちの義務であり、習慣になっていました。勿論、勉強に励むことが重要でしたが、それよりも、御辞儀をすることがもっと重要になっていたようです。お辞儀を忘れると、場合によっては拳骨を食らう事もありました。
明治天皇は日本国民から尊敬され、神様のように奉られていた天皇であったと父から聞かされましたが、まだ幼い私には何も理解することはできずに、ただ頷くだけでした。三年間日本語学校に通ったので、明治天皇の前で、最低五百回ぐらいは御辞儀をしたことになります。
あれから六十年、現在はサンパウ市のガルボンブエノ街の近くに住んでいます。
七十歳になって、私の人生に思ってもみなかったようなことが次々と始まりました。それは昔の知り合いとの出会いから始まり、熟連に入会し、絵手紙を習うことになりました。そこで絵手紙の生徒でもある日本語の先生に出会い、日本語を習わないか、と言われ、六十年ぶりに日本語を習う事にしました。出会いとは不思議なもので、こうして絵手紙の先生と日本語の先生のお陰で、日本語をまた勉強することになったのです。
そして熟連の日本語の教室で最初に目にしたものは、私にとっては信じられないものでした。
それは、なんとあの、明治天皇の写真だったのです。私が座っていたわずか三メートルほど離れた壁に飾られていました。幼い頃に明治天皇の写真の飾られた教室で日本語を勉強し、そしてそれから六十年後、七十歳になってから、またもや明治天皇のお写真の前で日本語の勉強です。偶然が重なって、また明治天皇のお写真の前で日本語を勉強するとは、これは明治天皇のお導きと幻想的に思って、昔と同じように写真の前で密かにお辞儀をしています。
御辞儀のたびに言葉では言い表せない不思議な気持ちになって、沢山のエネルギーを頂いたような気分になります。
「二度ある事は三度ある」と言いますが、三度目の明治天皇との出会いは天国へ行った時かもしれません。これは叶えられると信じています。
これからも明治天皇の写真の前で日本語を習い、御辞儀をしながら日本精神の中で生き続けたいと思っています。私の妄想かも知れませんが、明治天皇が「また会えて嬉しいよ。何か困っていることがあれば、遠慮なく話してくれ。そして、ちゃんと勉強して、日本とブラジルの絆を深め、相互理解を高め、世界の平和のためにがんばってくれ。来週、また会いましょう。楽しみにしている」と語って下さっているような気がするのです。
私はこうして熟連で日本語を習っております。明治天皇のお写真をご覧になりたい方がおりましたら、ぜひ、熟連で一緒に勉強しましょう。大変立派なお写真です。
如空の百人一首の恋歌
書道愛好会名誉会長 若松如空
千早(ちはや)ぶる
神代(かみよ)もきかず
龍田川(たつたがは)
からくれなゐに
水くくるとは
【在原業平朝臣】
業平といえば色男で女にもてた代表的人物。それだけに多彩な恋愛談が伝わっています。その中で最も有名なのが二条天皇の后高子との関係です。
この歌は龍田川に紅葉が一面に浮かんで、まるで川の全面を真っ赤に染めたようだ。こんな事は神代からなかった事だ。と母方の后に対する烈しい情愛を唄ったもの。しかも后の御息所の屏風に書き上げたというのです。密事は露見してしまい、東國へ流されることになりました。彼の一代記は謡曲、狂言、歌舞伎に数多く作品化されてます。また、「伊勢物語」は高子との愛を書いたものと言われます。
小学生の農場見学
セントロ桜会 森川玲子
サンパウロ市カンポリンポにサンパウロ日本人学校があります。日本の会社の駐在員の子どもたちが日本の教育通りに勉強しています。その小学校の三年生が毎年、わが農場に見学に来ます。二時間近くの農場巡り。実際にアルファッセ(レタス)を植えてもらいます。
最初の頃はみんな大喜びで植えましたが昨年の生徒は手が汚れるのが嫌で、軍手を持ってきたという生徒がおりました。自然に親しみ、土のぬくもりを知る。都会の子にはめったにないチャンスなのに……。土いじりを嫌う子ども。ちょっと悲しい気持ちになります。
出荷場では、この農場で栽培している野菜の種を見せて、オランダの会社の駐在員(オランダ人)による野菜のDVDを見ての勉強やアルファッセの箱詰めをしてもらいます。機械のガチャンという音にビックリする子、野菜を洗う所をトッカ(ヘアーキャップ)をかぶせて見せます。
昼食前にはサンパウロのレストランの女主人によるクルミ入りなどのドレッシングを作ってもらい試食します。喜んでお代わりをする子もいれば、ある女の子は野菜を食べたことがなく、どうしても食べることができません。日本人の子が野菜を食べないとは不思議です。お昼はお弁当を持って、それぞれ敷物持参で皆、靴を脱ぎ、正座して食べるのにはびっくりしました。そしてお弁当箱の小さいこと。先生方のお弁当箱もとても小さいです。バナナ、バタタフリッタ(ポテトチップス)、BISチョコ、ジュースなどを用意しておきますと「バナナだぁ」「ポテトチップだ」と大喜び。恵まれた環境で育った子供たちなのに、割合慎ましい食べ方に感心。三年生は八歳から九歳ぐらいでしょうか。ブラジルの子どもより背が低いようです。それに声が小さい。ブラジルでは子どもでも大学生でも四、五人よれば大声でやかましいですから。その後、子どもたちから色々な質問があります。なかなか鋭い良い質問もあります。大人ばかりの日常の中に、日本語を話すたくさんの子どもたちと接する楽しい半日です。帰りにはアルファッセをお土産に差し上げました。代表の子がきちんとお礼の言葉をつっかえもせずに上手に言ってくれます。
後日、絵入りの感想文集が贈られてきます。生徒さんのお名前の中には何と読むのでしょうか、読み方に迷うようなものもあります。拓海(たくみ)、梨胡(りこ)、海晴(うみはる)等々。名前を付けるのにそれぞれ意味を込めて付けるのでしょう。芸能人、相撲のしこ名など、全然読めないのもあります。現代の日本語が分からなくなりつつあります。
何故、モンゴルカ士は強いのか!
名画友の会 安田功
横綱白鵬が、愛知県体育館の名古屋場所十三日目に大関・高安を下し、序の口以来、前人未踏の歴代単独一位の通算一〇四八勝を挙げ、三十九回目の優勝をも果たした。三横綱を初め幕内も大部分がモンゴルカ士により占められている。
何故、その様に強いのだろうか!日本人の子供達は、サッカーや野球には興じるが、相撲をしている子供は、トンと見掛けなくなった、とのこと。
モンゴル人は、幼い頃からの鍛え方が違う。彼等は、蒔や水を運ぶし非常に良く遊ぶ〔運動〕、裸馬も自由に操るので、平衡感覚にも優れている。食事も羊肉、馬乳酒(ばにゅうしゅ)とカロリー満点なのだ。さらに頻繁(ひんぱん)にモンゴル相撲(=「ブフ」と呼ばれ、土俵が無く、勝負がつかない時は二時間も戦うことがある)で鍛えている。運動量は日本人の五十倍以上。よってケガにも強い。
それに民族の違いがある。日本人は農耕民族で、彼らは狩猟民族の血筋。さらに彼等は国、家族への帰属意識が非常に高く、出世することで国や家族を喜ばせたい、活気づかせたいという思いが強い。ハングリー精神が旺盛でもある。現代の日本人にはその意識は、皆無に近い。そのような訳で、彼等は意地でも出世する為に必死に稽古する。
それに日本人でスポーツの才能のある人は、相撲に目を向けなくなった。キツイ、厳しい、怪我は日常茶飯事。下手をすると命を落とす。ケツを出し、ちょん髭(まげ)姿も嫌がる。自由がきかないし、魅力にも乏しい。その割りに「金」にならないからだ。このことが、日本人力士が低迷している最大の理由かもしれない。まさに「冴(さ)えない職業」なのだ。
第一人者の白鵬でさえ、年俸は一億円程(月給六百万円+懸賞金+タニマチからの寄付)で、横綱でさえこの程度。ある大関が以前、愚痴っていた。「他のプロスポーツに比べて、〇が一つ足らないような気がする「と。気がするのではない。実際足らないのだ。それでも本国(モンゴル)へ持って行けば二十倍以上の価値になるので、彼等には「土俵に金が埋まって」いるのである。
百m世界記録保持者で九・六五秒を誇るウサイン・ボルト(ジャマイカ)が年俸十五億円、テニス世界ランキング四位の錦織(日本)が、何と三十五億円。ゴルフ、野球選手やサッカー選手も億万長者がワンサといる。ビジュアル的にも人気があり「ステキな職業」なのだ。
新弟子などは、ただの「肥満児」中身は空っぽでも入門出来る。弟子が入れば、部屋に助成金が入るので、親方はどんな「弱い肥満児」でも入門させてしまう。ある親方が嘆いていた。「腕立て伏せ一回も出来ないのだから」と。
下手したらコロニアのマスター世界大会出場選手の方が強いかもしれない。ハングリーと言う「牙」を持たない日本人力士は、どうあがいても、モンゴルカ士には勝てないのだ。通常、多くのスポーツでは、アマチュアの競技人口が多く、プロの人数が少ないというピラミッド構造となっている。しかし、下層階級をなす筈の草相撲は壊滅状態。そのような訳で、プロの方が多いと言う歪(いびつ)な逆ピラミッド型となっている。日本の相撲という競技が「やるスポーツ」ではなく、「観るスポーツ」に堕ちてしまった。厳しい競争原理が働くなっているという悪循環に陥っているからだ。モンゴルカ士が強いのでは無く、日本人力士が弱いのだ。「何を戯言いっている。同じじゃないか」と言う声が聞こえてきそうだ。
ある相撲通で口の悪い物知りが、したり顔でのたまっていた。横綱とは「一番強い豚」、大関とは「二番目に強い豚」、一般の太った人は「あれは、ただの豚」。な~るほど、下手な講釈よりよく解りました。
躾と教育は別
サンパウロ鶴亀会 玉井須美子
私は毎週月曜日の朝七時から八時までの一時間、近くのプラッサ(広場)で踊りの会の教室を持っています。
もうかれこれ、十六年になります。
練習を始めた当初、その場所は結構、空き缶やらゴミが捨てられて、汚れていましたので、毎週、十人ほどで掃除をすることにしました。それがずっと続き、今でも三人ほどが頑張ってくれています。
ところで、その場所の周りに何年か前から乞食が住みついています。以前、パードレ(司祭)が視察に来た時、その乞食たちを見て「こんな危ない所でやるのは辞めた方がいい」と言われましたが、別に危害を加えることもなく、騒ぐでもなく、ボッーとしながら観覧席から私たちの練習を眺めています。私は皆に「観客がいるんだからちゃんとやりなさい」とハッパをかけています。
そのうち、そこに女性の乞食が一人混じるようになりました。年は七十を過ぎていそうなお婆さんですが、良いことにこの女性の乞食さんがせっせとプラッサをホウキで掃いたりして、掃除をしてくれます。雨が降った後はホード(水引き)を使って水たまりの水を掃き出してくれます。お蔭で気持ちよく練習が出来て、感謝です。
「三つ子の魂」ではありませんが、乞食になる前はきっとちゃんとした主婦だったのではないか…と思ったりします。その乞食たちは犬を二匹も飼っているのですが、その犬も丸々と肥え、毛並みもつやつや、手入れもちゃんとしていて躾も出来ています。
今、「シダーデ・リンダ」と称して、町をきれいに!という運動がありますが、そこらじゅうを散らかし、汚しっぱなしにする輩よりもよほど躾ができているように思えます。
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