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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2017年11月号

2017年11月号 (2017/11/15) 旅は元気なうちに

熟連文化理事 中川浩己
 熟年クラブの親睦旅行として、十月五日から三泊四日でゴイアス州のリオ・ケンチ温泉へグローバル旅行社のセリアさんのお世話で二十人ほどのツアーで行って来た。飛行機を使っての旅行でした。
 当日、予定時間より早めにグアルーリョス空港へ行き、手続きを済ませる。この日は天候にも恵まれ、定刻通りに飛び立ちます。
 機内は満席で、家族で子ども連れが目立つ。目的地、カルダース・ノーバまで約一時間半ほど。空から見下ろすブラジルの地は、果てしなく続きます。
 私は趣味で、地図を見るのが好きなのです。旅行へ行くと、家へ帰ってからブラジルの地図を広げて行った場所に印をつけては見直して、通った道や場所を記入しているのですが、ずいぶん行った場所が多くなっています。地図を見るのは地理も覚えますし、面白いですよ。
 この度はサンパウロ州のフランカとバレットスの中間を真っ直ぐ抜けて、ミナス州のウベラーバからウベランジャへと抜けて、カルダスノーバへ一直線。地図を見て、飛行機の通ったコースが分かります。「なるほど…と頷きながら地図を見て、旅行を二度楽しみます。
 あっという間に目的地のカルダス・ノーバに到着。次にリオ・ケンチに行くバスに乗り換えます。現地ガイドの説明によるとカルダス・ノーバから二十八キロ先との事。このガイドさんは日系三世とのことで、一生懸命、日本語を使おうとしてくれていました。途中、真っ赤に乾いた土地が続き、リオ・ケンチに到着すると、大木の茂る林の中から水の音が聞こえ、乾いた土の熱が急に涼しくなり、景色が一変しました。
 各自、ホテルの部屋割り、セリアさんの説明を聞き、まずは小休止。その後、昼食を摂りにレストランへ。サロンは広く、料理の品も多い。焼き魚を見ると、ロバーロ(スズキ)がある。でも、待てよ。ここは大陸の真ん中で海のない所に海魚のスズキがあるかな? と思ったが、あっ、スズキも飛行機に乗って飛んできたんだ! と気が付き、便利な世の中になったもんだと感心しつつ、早速とってみると、味付けも上々。とても美味しかった。一品の味が良ければ、全部の料理もおいしいと誰かが言っていました。ふと、レストランを見渡すと、ガルソンの中年男性は皆、背が高く、肥えています。それでも身軽に立ち回り、親切にアテンドしてくれています。中には女の子も仕事をしていますが、サンパウロでガルソンというと、痩せた可愛い子が多いのですが、ここではお腹の大きな大男を雇っているのはどうしてなんでしょう?
 美味しい昼食を摂った後は、部屋に戻り一休み。森から聞こえる水の音に耳を澄ませます。プールは部屋からは見えませんでしたが、しばらくしてからぼちぼちプールにでも行ってみようかと立ち上がり、水着に着替え、童心に戻って、水の音のする方へ。
 子ども用のプール、少し深いプール、深いプールとあります。自分の足が透き通って、真白く見えます。マッサージする場所や浅い所では石を拾ったり。八十歳の老婆は子どもに生まれ変わっているかのようです。本当に水が美しいこと。山からの湧水は自然の温泉でこんなきれいな温泉は他にはないだろうなぁと思いながら首までつかり、また、浅い所へ行っては背中をマッサージしてほぐし、この美しい水で自分の心の汚れを全部洗い流して、初日の一夜を明かしました。
 翌朝はセリアさんの計らいで、隣の町へ車で出かけました。そこには日本庭園、石の橋、石灯篭、池には鯉、ダチョウもいました。ショッピングは品物が多すぎて、品定めが大変なほどでした。
 昼はホテルのご馳走。夜は町のスープ専門店へ。幸せ、しあわせ。
 旅をするなら、足や腰が痛くなってからでは遅い。今の元気なうちにと思い、また次の機会までお小遣いや年金を大切に使い、準備しておこうと思いました。
 本当に水の美しい素晴らしい温泉でした。次回は皆さま、どうぞ一緒に行きましょう!


縁起をかつぐ

サンパウロ中央老壮会 吉田しのぶ
 世の中には迷信や占いをかつぐ人が、意外と多いんだそうですね。神や仏に願をかけて、商売が繁盛するようにとか、お守りを車にぶらさげておれば、交通事故の難をのがれるとか、試験がパスしますようにとお宮へ願をかけたりとか、野球選手もシリーズが始まる前には、必ず必勝祈願をするそうです。
 言葉尻をつかまえて、縁起がいいとか悪いとか、今の世の中あまりにも現世祈祷や占い迷信がはびこっていると思いませんか。ここに一つの面白い例を申し上げましょう。
 Aさんの奥さんが家の中で突然倒れ、意識不明のまま病院に担ぎ込まれました。脳卒中でした。門徒ではありませんでしたが、同じ町内会のお寺の住職さんがお見舞いに行きました。大きな総合病院でした。どこの病院でもそうですが、四号室とか九号室というのはありません。縁起が悪いといって、患者さんが入るのを拒むんだそうで、初めからそうした番号ははずしてあるんだそうです。
 住職さんは病院の受付でAさんの病室は何号室ですか」と尋ねますと、受付嬢は「四三七号室です」と教えてくれました。つまり四階の三七号室と言うことです。住職さんは四階に上がって、三七号室のドアをノックしますと、Aさんが顔を覗かせて「まあまあご院家さん(住職の事)わざわざお見舞いにおいでくださってありがとうございます」と病室に招じ入れました。奥さんはまだ意識が朦朧とした中で眠っておられました。Aさんは縁起を担ぐ人とみえて、「院家さんこの病室はとっても縁起のいい病室ですよ」と誇らしげに申しました。「どうしてですか」と住職さんが尋ねますと「この病室は四七三号でしょう。シナサン〈死なさん)」ちゅうて、必ず元気になって退院できると思うとります。住職さんはすかさず「そんな縁起をかっいだり迷信にこだわってはいけませんよ、四七三号ならヨウナオサン(よう治さん)」とも読めます、尻から読んでみんさいミナシヌ(みな死ぬ)とも読めますで」と、まるで数字のシリトリ遊びのような、Aさんと住職さんの言葉のやりとりに、Aさんはギャフンとなり「院家さんには参りました。これからは迷信や縁起はかつがないことにします」と脱帽されたとの逸話が残されています。
 奥さんも無事に退院され、今ではお寺参りもされ、熱心な門徒となられたそうです。 私たちはもう先の見えた短い人生です。舞常の生活の中で、常に言行を慎み、因果の道理をわきまえて現世祈祷や占いなどの迷信に頼らず、豊かで生きがいのある真っ直ぐな老後を歩んでいきたいものですね。


ビウボ(男やもめ)で悟ったこと

インダイアツーバ親和会 早川正満
 年老いた寂しげな移民の姿を見つけた、と思い、近づいてみたら、自分の魂がちょっといたずらに体から離れて見つけた自分の姿だった。
 妻が逝った。彼女の遺志を受けて、彼女の両親の傍らに埋葬したが、夫婦死別というショック状態の時、彼女が夢に出て来て私に「パパイ、昨日自分一人で便所に行けたよ」とニコニコして言う。彼女も長患いで苦しんでいたのだろう。親が夢に出ても声は聞こえないのに、妻の声は確かに聞こえた。「それは良かったな」と答えたら、くるっと向きをかえて行くので「おい、一人でどこに行くんだ……」と声を掛け、「あっ、これは夢だ」と気がつき、目が覚めた。
 妻は二十歳は若返って見えた。あの世に行けば、若返るのかも知れない。
 夫婦の情は、この世に残った私に、成仏を見届けさせてくれた妻の後ろ姿をいつまでも追い、しばらく床の中で安らいでいた。その日の朝の仏壇の灯明には、線香を一本増したのは言うまでものない。
 妻は老いた私の両親を、嫁として最期までよく見てくれた。それも小姑たちに感謝もされずに。ただ、すぐ下の妹だけは常に彼女の側に立ってくれたのは救いだった。妹の子どもと私の子どもの絆は、妻亡き後、さらに堅固になったのは言うまでもない。
 体調が良い時は、暇を持て余し、つい、老いのわがままが出る。老夫婦健在ならば、コントロールもできようが、男やもめは何とだらしのないものか。自分で自分の老体を叱ったりする毎日だ。
 移民一世にとっては、いくら帰化してもやはりここは異国であり、老いのわがままなんて言っている余裕はないことを知った。というのも、異国での終活は子どもや周りの仲間、知人の手を借りなくては動きが取れない。このことを早く察して、孤独老人にならぬように努力せねばと、痛感する今日この頃である。


笑いもほふく前進もガンバルぞっ!

JICAシニアボランティア 鈴木京子
 十月三日はビンゴ大会で券を売る係りになり、皆様に沢山買って頂き感謝です。でも、私から買った方が当たらないと申し訳ないと思い、だんだんと気が重くなってきました。皆様が沢山当たって楽しい日であってほしいと思った一日でした。ちなみに私は、小さい醤油一本だけでした。
 十月七日と八日は第五十八回南米仏教婦人会大会に招待されました。七日は集合が五時で出発が五時半という事で三時半ごろ起きました。次の日はモジのホテルから六時出発というので五時前には起き支度をしました。早起きが苦手な私は二日間ちょっとボーッとしていましたが、会場で壇会長ご夫妻始め熟年クラブ会員の皆様にお会いでき、始めて仏婦大会に参加したように思えませんでした。また、理事会の皆様と伺ったノーバ・エスペランサ緑会の会長の弟さんと妹さんにお会い出来て懐かしく、再会出来ることを約束したり、今度入会してくれるピラール・ド・スール老壮会会長の南さんにお会いできたりと楽しく過ごしました。さらに、八日には約七百四十人の皆様と大きな声で笑い、お経も読んで心身ともに成長し(?)充実した二日間を過ごせ、楽しく幸せな日々だったと思いました。
 十月二十一日はセントロ桜会でした。二チームに分かれリボンゲームをしました。簡単な動作ですが、日ごろ使わない手先の運動なので「手が不自由で動かない」と話をしていた会員の方も、ゲームとなると動きました。また、みんなで輪になりお手玉を使いジャンケンゲームをしました。相手が何を出すか考える(脳トレ)ジャンケンで負け続けても、楽しく笑いながらゲームが出来ました。どちらも椅子に座ったままで出来るので、全員参加できて楽しんでくれました。
 十月二十二日はピニェイロス親睦会老壮部でした。会員の自家用車で送迎して貰いました。有り難う御座いました。雨が降っているにもかかわらず参加していただき、さらに二時間かけてくる方も居られ「家ではアチコチ痛いと言いながら寝ているが、此処の例会には楽しみで来ているの。痛くとも皆に会える喜びがあるからね。」と、楽しそうに話してくれました。リボンゲームを四チームでし、後笑いました。勝っても負けても皆で笑い楽しい日を過ごしました。敬老会という事で紅白餅を頂いてきました。
 十月二十三日から十月二十七日までJICA中間報告会でした。ブラジル全土に配属された方々(JICAボランティア)で、そこの場所などへ行くことはないと思いますが、皆様の説明で行った気分になってしまい楽しくまた、仕事に対する情熱が伝わる素晴らしい報告会でした。二十六日の安全対策連絡協議会では、実技があり匍匐前進(腹を地面などにつけてはう)を生まれて初めて経験しました。足と手のバランスがうまくとれず、なかなか前に進まず、この重い体重を動かすには、腕の力を鍛えないといけない、と思った日でした。次の日は腕と胸が痛かったです。レストランで強盗に遭遇した場合などを想定した逃げ方では、頭を手に置いたまま逃げようとし、注意されたり、匍匐前進では頭に手を置かず注意されたりと、頭ではわかっていても実行に移せない自分がいて、今、家で練習しています。練習に勝るものは無しです。
 十月二十九日はカラオケ大会でした。二週間前からバザーに出す古着や古本など準備に大変です。前日は机を置き品物を並べます。売れますようにと願いをかけながら並べましたが、二階には人が余りこず思ったようには売れませんでした。今回は弁当を売る売り子になりました。声をかけた為わざわざ買っていってくれた会員の皆様、本当に有り難う御座いました。大会も無事に終わり、後片付けもすみもう十月も終わりになりました。後、八ヶ月(私は来年の六月に日本に帰ります)皆様と多いに笑って過ごしたいと、思っています。宜しくお願いいたします。


如空の百人一首の恋歌

書道愛好会名誉会長 若松如空
 花の色は うつりにけりな いたづらに
 わが身世にふる ながめせしまに
【小野小町】
誰もみな知っている歌です。また、
 いとせめて 恋しき時は むば玉の
 夜の衣を かへしてぞ着る
これも有名です。
 中国の楊貴妃、エジプトのクレオパトラ、日本の小野小町を世界の三大美人だという人がいるそうです。絶世の美人だったのは間違いありません。
 平安時代初期の女流歌人としての評価は高く、多くの歌を残しています。ここでは後の歌は情熱的な歌ですが、前の歌は男の間を漂泊している間に年を取ってしまったという悲しい歌になっています。理知に過ぎて、真の恋愛が出来なかったとの説もあります。


= 齢と共に = 「波」

サンパウロ鶴亀会 井出香哉
 ブラジル生まれの日本育ち。十歳で日本へ行き、二十二歳でブラジルに帰って来るまでの十二年間のほとんどを海のそばで過ごした。
 今でも海が好きで無性に海が見たくなる。二、三日ならいつでも行けるが、バス代が高いので、二、三日ではもったいない。せめて一週間か十日は居たい。
 息子のアパートがプライア・グランデにあるので、年に一、二回はのんびりしに行く。以前は息子のアパートの近くに店がなかったので、遠くまで買い物に行っていた。今年は同じ通りではないが、近くに四軒もエンポーリョ(食品店)が出来ていて、びっくりした。
 その一軒はパン屋も兼ねていて、野菜や果物も売っている。サンパウロと違うのは営業時間帯で、朝六時半に行ったらまだ閉まっていて、外で三十分も待たされた。
 プライア(海岸)では朝と夕方、水の中を二、三キロメートルは歩いていたのに今回は足が重くて歩けない。弟のアパートも五キロほど先にあり、以前は運動がてら、歩いていったりしていたのに、少し歩いてはバスに乗り、三台ものバスを乗り継いでやっとたどり着いた。
 海へ行く前はしっかり歩いて痩せよう!と思っていたのに、十日で一キロ太った。
 昼間は暑いので、クロスワードをやったり、本を読んだり、ぼんやりと海を眺めて過ごす。面白いのは沖にポツンと波がわいて、大きくなりながら横に広がり、やがて他の波と手をつなぐようにまた一つになり浜辺に寄せて砕ける。波と波の間が遠すぎる時は、間に小さい波が現れて、三つの波が一つになる。私は勝手にアメリカとロシアを日本が仲介しているんだと喜んでいる。と、同時に思った。
 渦巻く波でさえ、手をつなぐのに、どうして世界の国々は手をつなげないのか? どうして波のように手をつないで静かなあたたかい水になれないのか? 少しあの波を見習うとよいのに。
 水の中を歩く時は汀(なぎさ)を歩く。白い波をよけ損ねてショルテ(短パン)を濡らしたり、砂に足がうずまってよろけたりしながら、気持ちが良いので思いがけず遠くまで行ってびっくりしたりする。
 どうしてか、今日は私の遊び相手の鳩がいなくてつまらなかった。からかう相手がいないので、ピーナツを買わずカイピリーニャを手にボッーと過ごした。
 こんなことでは耄碌(もうろく)すると思い、わざと遠くのスーパーまでテクテクと買い物に行っているといつもの調子を取り戻した。本もクロスワードもやり終わった頃に息子夫婦が迎えに来てくれた。次はいつ行けるのか、帰ったばかりなのにもう、海が恋しくなっている。


「◯◯丸」とは…

サンパウロ酉年クラブ 田中保子
 先日、日本移民史料館を見学したブラジル人の友人から感想と質問を受けた中に「日本人移民が乗ってきた船に何々丸と書かれてあったが「丸」とは何の意味?と聞かれて困った。
 「笠戸丸」「旅順丸」「アルゼンチナ丸」「ブラジル丸」。なるほど「丸」が付いている。考えたこともなかったので、返事に困り、知人のY氏に電話をした。博学の氏から早速返事があったので、物知りのおすそ分けをします。
 博学氏曰く、日本では昔、自分のことを「麿)まろ」と言った階級の人たちがいて、「麿のもの」が「まる」となり、「私の所有船」の意になったとの説が多い。
 豊臣秀吉が朝鮮征伐した時の船の名前を「日本丸」と命名したのが最初と言われる。明治三十三年に日本の船に「◯◯丸」と付けるように制定されたとのこと。ただし、国の所有の戦艦などには「丸」は付けない。これは愛称で呼ぶ訳にはいかないから、というのが博学氏の説である。
 外国の船を区別するのに「号」を使う。「雅号」である。
 話のついでに、昔、台風に女性の名前が着いていたことを話したら、「女性はすぐに頭にきて、荒れ狂うから」と意見が一致したことでした。ちなみにアメリカの台風も未だ、アルファベットの女性名です。


熟連こぼれ話

◎朝顔びっくり
 熟連の前庭にピンクの朝顔が毎日八~十個、多い時には十四、十五個も花を付けてくれます。
 今まで朝顔の花を数えたことも無かったのですが、今回は人に頂いた朝顔でしたので、毎日気になって、今日はいくつ咲いていると数えていましたが一本で千三百個以上も花を咲かせるなんて、初めて知りました。また、朝顔は夏の花だとばかり思っていましたが、温度が十度位でも咲いています。そして親が枯れる頃には、根元に落ちた種から生えたものが五㎝ぐらいから咲きはじめ、一年中咲くのですね。びっくりです。
◎カエルびっくり
 先月のリオ・ケンチ親睦旅行では、お風呂に入って、美味しいものを食べてと、いいことばかりでしたが、ただ一つだけ気になったことがありました。私たちの部屋の前で夜になるとカーン、カーンと音がして、朝方まで続きます。
 二日間は他の人には言わなかったのですが、同室の人と何だろう?何だろう?と気にしていました。ちょうど、汲み上げポンプの歯車がそこに来ると引かっかってなるように聞こえます。
 三日目になって、ホテルの人に聞くと「あれはカエルだ」と言います。「あんな声で鳴くカエルがいるものですか」と思いながら眠りました。 翌朝しらじら明けの頃、鳴き声がピタリと止みました。「おや、やんだ」と思いながら、カーテンの隙間から外を見ると、くちばしの大きな鷺(さぎ)のような鳥がその辺にいます。「えっ、食べられちゃった?」そうです。食べられてしまったようです。同室の人いわく「可哀想に。でも、もっと早く食べてくれれば、私たちがぐっすり眠れたのに」と、鬼のような本音も出て……。
 さて、帰って来て、インターネットで調べてみると驚き。本当にあんな声で鳴くカエルがいるんですね。サッポ・マルテイロというんですって。本当にマルテイロ(金槌)で打ち付けているような鳴き方でした。びっくりです。
◎ジャッカびっくり
 桃栗三年柿八年と言いますが、ジャッカは何年ぐらいしたら実を付けるのでしょうか? 
 いつも通い慣れた道に葉の茂る中ぐらいの木があって、ふと見ると、ジャッカがいくつか生っています。今まで気づかなかったのか、今年から成ったのか? でも、こんな木を街路樹にしていいのかしら? 頭上にでも落ちたら大変でしょうに。
 以前、ニッケイ新聞の前の道に車を停めた時、アバカテ(アボガド)が落ちて来て、車をへこませてしまいました。まぁ、パラ州のベレンはマンゴー並木があって、取って食べても自由だけれど、車が年中へこんでいるとは聞きますが…。


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