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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2018年4月号

2018年4月号 (2018/04/14) 私とピアノ

コーラス教室指導者 足立弘子
 新しい年になり、早や二ヶ月が過ぎ、ようやく普段の生活に戻りつつありますが昨年と違うのはピアノのアウラが無いことです。
 私のピアノの先生でいらしたシーロ先生は昨年十一月八日に七十七歳で亡くなられました。私にとっては思いもよらないことで、すぐには信じられませんでした。後で聞いた話によると亡くなる三日前に病院にお見舞いに行ったときは既に昏睡状態だったそうです。
数年前から具合が悪かったようでよく入院なさっていたのは覚えています。昨年は二度も肺炎で入院なさり、発表会の日にちも変更したにも拘らず、先生は不帰の人となられ、追悼発表会として開催されました。
 暫くピアノの練習に身が入りませんでしたが日が迫るにつれ、何とか練習しようと努力しました。先生不在の一人の練習というのはなかなか大変でした。発表会ではピアノを二曲弾く他、追悼のために「千の風になって」も歌わせていただきました。歌の最後の歌詞で泣きそうになりましたが何とか最後まで歌いきりました。天国の先生に歌声が届くようにと心を込めて歌いましたが先生の感想が聞けないのが寂しいです。
 シーロ先生との出会いはもう十四年以上も前になります。お友達の紹介でピアノのアウラに一緒に行かせていただき、習うことにしました。日本でも何年か習ったことがありましたが教え方が全然違い、もつと小さい頃から習っていたら有名なピアニストになっていたかもしれません。
 シーロ先生は私の歌もとても気に入って下さり、ピアノの発表会では何度も歌わせていただき、感謝しています。中でもショパンの生誕二百年の二〇一〇年にはショパン十七曲の歌曲集より歌わせていただき、大変苦労したことを覚えています。
 原曲はポーランド語で書かれていますが、読めないのでフランス語で歌われているCDを購入し、撥音の練習をし、暗譜しました。同時に同じく生誕二百年のシューマンの曲もドイツ語で歌いました。もうすっかり忘れてしまいましたが今では懐かしい思い出です。
 また、発表会の翌日には必ず、ギオマール・ノヴァエスさんのお墓に発表会のお花を先生と}緒に持って行き、その帰りに食事にも行きました。(ギオマール・ノヴァエスさんはブラジルが生んだ二十世紀の大ピアニストです)。
 シーロ先生が我が家に来られると、私の飼い犬がとても喜び、アウラの後、お菓子やケーキ等を貰うのをいつも楽しみにしていました。急に先生が来られなくなり、犬もおかしいなと感じていると思います。
 先生の家には三匹の猫がいます。先日、百日の法要でお宅に伺いましたが、猫たちが寂しそうな表情をしていて可愛そうに思いました。
 その後もまだピアノのアウラはストップしたままですが、いずれ近いうちに始めようと、以前習った曲を少しつつ弾き始めています。ピアノも歌も奥が深く、日々の練習がとても大切です。これからも、末永く続けていきたいと考えています。


布施の実践

サンパウロ中央老壮会 安本担
 昨年十月号で安田さんが「托鉢と喜捨」という題で、「お釈迦様は『貧しさから抜け繊す第一歩は、他人が喜ぶようにお金を使うことだ』と教えている」と書いていた。また、喜ばれないお金の使い方の一つとして、ロトやメガセナに賭けることを挙げており、私は毎週宝くじを沢山買って一獲千金を夢見ているので、失格者であるのは間違いない。それでも当たった場合は、大半を他人のために寄付すれば、少しは許されるだろうと思っている。 施しは基本的に三つあり、金銭や物を与える財施、仏の教えを説き聞かせる法施、恐怖を抱かないようにさせる無畏施がある。
 布施はどうしても財施が中心になるのは仕方がないが、他に財や物に頼らないで、優しい言葉をかける、笑顔で対応するなど無財の七施などがある。布施については与える人、受け取る人、更に与える物の三つが清らかでなければならないという原則がある。
 これを三輪清浄といい、人に何かを与えてやるとか、貧乏人は受け取るのが当たり前だという思いにとらわれてはならず、与える物も不正な手段で得た物は駄目である。
宝くじで当てた金が清浄かどうかは知らない。
 最近はあの世へのお迎えが来る頃だと感じるので、やはり宗教的な教義に興味を持ち、禅や空の論理、あるいは般若心経などを読むようになった。
禅や空とは難しい理論であり、キリスト教などと比べて近づきにくいので、仏教は宗教ではないという人もいる。ところが禅とは理論や理屈ではなく、体験や実践を重視することが分かった。
 人々が第一に実践すべきは徳であり、人間が行うべき六つの行いの完成(六波羅蜜)の中で真っ先に与える、施すということが説かれている。
 しかも求道者は自分が人々を導いたり助けるのだというような考えにとらわれてはならず、自分とか他人とかの境目をなくし、無我の境地になれという。
 西洋人から虚無主義とか独善的と受け取られ易い禅でこのようなことを言うのは驚きであるが、個人的な悟りに重点を置く小乗仏教とは異なり、大衆を救うのを目的とする大乗仏教から、禅や空の理論が生まれたことを考えれば理解できる。
三輪清浄はすべて空において一体化されるという。
 空とは決して難しいことではなく、空っぽあるいは執着しないことであり、たとえば人に道を聞かれたときに何の報酬も求めずに教えるという、純粋な気持ちである。これをもっと拡大して、大きな理想を実現するというのが目的である。


私は猫のミー子

サンパウロ中央老壮会 藤永ローザ
 私は猫のミー子です。ある日、私はエメルソンという男の子の家にもらわれてきました。家族はお爺ちゃん、お婆ちゃん、お父さん、お母さん、タダシ兄さん、ミナ姉さん、エメルソン兄さんの七人です。
 お母さんが「ミー子」と名付けてくれました。
 生まれた所はエメルソンの友達のヘナットの家のガラージ(車庫)です。
 もらわれて来た時は、生まれたばかりで牛乳も皿で飲めないので、お母さんがスポイトで飲ませて育ててくれました。もらわれて来た時の私は、体中ノミだらけで、お腹には寄生虫がたくさんいました。そのせいか、毛並みはカサカサでみんなで体中のノミを取ってくれました。お母さんは肉に虫下しを入れ、食べさせてくれたました。そのおかげでしばらくすると毛並みも良くなり、皆に「かわいい」と言ってもらえるようになりました。
 お母さんは寝る場所、食べる場所を決めてくれました。ネズミの取り方も教えてくれました。ある日、トイレに子ネズミがいるのを見つけたお母さんは、私を呼んで中に入れて戸を閉め、「ネズミを追いかけなさい」と言ったので、私はネズミを隅の方に追い詰めました。ネズミは私の方を向いて手を合わせて「助けて下さい」と言っているようでした。私はチョンチョンとネズミの頭を叩いてやりました。
 お母さんは私に肉を食べさせてくれました。それを見たお爺ちゃんが「猫に肉をやると、ネズミを捕らなくなるぞ」と言いました。でも、大きくなってから、ネズミや小鳥をたくさんとるようになったので、お母さんは褒めてくれました。
 ある日、隣で飼っている「ウズラ」を私が捕まえたのを見て、お母さんは「あら、まぁどうしましょう」と大声で言いました。ふだん、大きな声を出さないお母さんなので、私はびっくりしてウズラをつかんでいた手を放すと、ウズラはパッと空高く飛んで行きました。お母さんは「あぁ、よかった」と言って、「こういうことは絶対にしてはいけません」ときつくしかりました。私は褒めてもらえると思ってやったのに怒られたので、その時に「この鳥は捕えてはいけないのだ」と分かりました。
 お母さんはやさしく面倒を見てくれます。でも私が間違ったことをすると、とても怖いです。ある日、台所のテーブルに上がった時も叱られました。悪いことは二度としないようにしています。
 私はいつもお母さんの後をついて歩いています。でもフェイラ(青空市場)に行く時は「遠い所だから」と言って、連れて行ってくれません。ですから私は窓に飛び上がってお母さんが見えなくなるまで見ています。しばらくして買い物を終えたお母さんが帰って戸を開けると、私が戸の前にいるのを見ると「ミー子、待っていてくれたの」と言って、私を抱いてほおずりをしてくれました。
 家の向かいのパン屋に行く時、私はお母さんの先を歩いて行きます。お母さんが買い物をしている間、私は外でおとなしく待っています。たまに犬が来て「なんでこんなところに子猫がいるんだ。生意気な奴だな」と吠えたりしますが、私は知らんぷりしています。
 お母さんの家は写真館を経営していて、タダシお兄ちゃんとエメルソン兄ちゃんは私をモデルにして写真をたくさん撮ってくれました。できた写真をショーウィンドーに飾って置いたら、「かわいい」と言って買って行く人もいました。お兄ちゃんたちもお姉ちゃんも私をとても可愛がってくれます。
 私はあまり抱いてもらうのは好きではありませんが、忙しいお母さんがたまにソファーに座って、テレビを見ている時には、ノコノコとお母さんの膝に上がって、腕に頭をのせて居眠りをするのが大好きです。私はこの家に来て、本当に良かったといつも思っています。


ダリヤ祭り

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 毎日、夕方になるとよく雨が降っている。この頃、朝起きて、空を見上げると、ふあーとした空でちぎれ雲が少し飛んでいる。
 今日(三月四日)はイペランジャ・ホームのダリヤ祭りがあるというので、私たち踊り仲間十五名がバンで出かけた。二時間ぐらいで到着したが、後ろを振り返ると、大きなバスが何台も続いて入ってくる。大きな木の陰に車を停めて下りると、入り口からダリヤの花が目に映る。色々な色の花が咲いている。入り口で写真を一枚写して、上に上がると、そこにはバザリスタ(出店)がいっぱい並んでいた。左の方は食べ物ばかりで目に付いたのは焼き魚屋さん。たくさんの魚を並べている。そばを通ると、焼いている匂いが香ばしく食欲を誘う。
 ひとまず事務所の方へ行って、知人の三宮さんを訪ねる。久方ぶりの再会だが、話もそこそこに施設の新築の部屋を見せてもらいたくて、案内してもらった。行く途中、入居者たちが座っている広間を横切った。きれいな広間に気持ちよさそうに座っている高齢入居者たちは私たちをじっと見ている。私もいずれこんな風になるだろうと想像しながら、見ている人たちに手を振った。
 右側のガラスに大きなフェルトで作ったダリヤの花がいっぱい吊り下げられており、明るくにぎやかで美しかった。きれいに行き届いた台所や食堂を見せて頂いた。お昼時間になったが、暑くなる前にと、話し合って先に花を見に花畑へ行った。数知れないほどのダリヤの花が色も大きさも大小さまざま咲き誇っている。カメラを手にあちこち写してみた。一生の思い出になるほど美しいダリヤの花に、陽の暑さも忘れて見とれてしまった。
 昼食はご飯時のものすごい人並みをくぐって、フィッシャ(チケット)を買うのに長蛇の列。次は買ったチケットでお弁当を受け取るのにまた、フィーラ(列)。やっと受け取ったら今度は座る場所を探すのに一苦労というような人の波でした。
 一緒に行った仲間たちとははぐれてしまってどこへ行ったのか分からなくなってしまったのだが、帰る時間になって車の所でやっと一緒になれました。大勢の人の中に混じって過ごし、一日が実に楽しい思い出になりました。


全伯巡回「人に出会う旅」

シニアボランティア 浅木賢介
 熟連でも顔なじみの浅木先生。鈴木京子シニアと同様、六月までの赴任で剣道の指導に全伯を飛び回っています。その先生の活躍が出身県の熊本日日新聞に「『熊本から世界に笑顔を』協力隊員だより」と題して、二回連載されました。「老壮の友」にも先生の許可を得て、転載します。
 なお、先生の三つのモットーを左記に達筆な先生の自筆でご紹介します。以下原稿
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 三十年前にリオデジャネイロ日本人学校で勤務経験があり、退職後は再びブラジル社会のために社会貢献したいと考えていました。ブラジル剣道連盟に所属し、サンパウロ市を拠点にブラジル全土の協会支部(約五十道場)を巡回し、剣道の普及と技能向上を目指して活動しています。
 剣道の巡回指導は「人に出会う旅」のようなものです。各地の剣道場で稽古をすることで、多くのことを私自身が学んでいます。多くの剣友ができました。さほど強くもない私の剣道ですが、巡回先では手厚く身に余るおもてなしを受けながら、今日も続いています。
 「先生のおかげで息子がやる気が出たみたいで稽古に行っています」とうれしい母親の便りが届いたりします。ある都市では、生徒が「私の友達は先生の生徒でした。先生が来るので友達は一枚の写真を送ってきました」と言うのです。それは三十年前に私が出した年賀状。剣道でつながる、まさに「交剣知愛」といえる出来事でした。
 日系社会での剣道継承は、民族の誇りとして理解できます。しかし、伝統や文化・習慣が異なる、日系人以外の参加者が熱心に稽古する姿を見ていると心を打たれます。
興味をひかれるのは、高い精神性と奥深い武道の神秘性があるからでしょう。宮本武蔵など多くの剣豪の存在、日本のサムライ映画や剣豪アニメなども影響していると聞きます。ブラジルには、ブラジルらしい剣道が根づいてほしいと思っています。(甲佐町出身・二〇一七年六月三十日号)


驚いたなぁ!

サン・ジョゼ・ドス・カンポス市 今井はるみ
 ビックリ仰天!なんと言うことでしょう!平安時代の遺跡が目と鼻の先にあったのですからねぇ、その上、青森県の我が家の二階の窓から真正面にみえるんですから。
 正式には「経塚(きょうづか)」と呼ばれるその遺跡は、経典(きょうてん)を入れた壺(つぼ)があったと推測できるからだそうです。というのも盗掘(とうくつ)にあった後にも壊れた壺がたくさん見つかったからです。
 この壺の破片を調べたところ、岩手県の釜石の壺や愛知県の渥美半島の壺も混じっており、権力のある人物が日本の最果ての海を見下ろすこの地に経典を入れて運ばせたのではないか、との推測が成り立つそうです。
 我が家のある五十軒ほどの団地は、小高い丘の上にあり、開発される前はお寺があったと言われています。というのも、現在の土地名にも薬師堂という名前が使われており、経典を埋めた経塚の前方は何一つさえぎる物はなく、そこから陸奥湾(むつわん)が眺められるのです。
 珍しもの好きの私も、早速、長靴をはいて経塚まで登ってみました。
 小高い丘の中心に石が細長く積み重ねてあります。これらの石は丘の下方に流れる川原の石が運ばれて盛られています。今も流れる川原にはまだまだ石がゴロゴロとあるのですから、大昔の人々はそれを利用し、交通機関も足だけだった当時は何回も往復して積み上げたことでしょう。まるで、映画の一コマのように目に浮かびます。
 歴史家の指導のもと、町役場の人々の努力で新しく見つかった遺跡が今回の遺跡で、我が家の二階の窓から見えるだけに感動し、写真を撮りまくり、知人に吹聴(ふいちょう)している今日この頃です。
 また、我が家から車で十五分ほど海寄りに走ると、町の温泉施設となっている所があります。そこは以前、中学校の農業実習のための農場があったそうです見渡す限りの広々としたこの土地からは、弥生時代(三〇〇年)の土器が出土しています。そして弥生式土器も経塚にあったといいます。
 このように青森県という日本のへき地の豪雪地帯に古代から人々が住んだというは驚きです。
 主人が三歳の時、東京の戦禍(せんか)を逃れて移り住んだ青森に、毎年ブラジルから来て住むのは五月から十一月までですが、散歩に出れば、時にはニホンカモシカに出会い、胴長の金色の背中を太陽に輝かせて走るイタチ科の貂(てん)にも遭遇します。もちろん、熊も出没する自然豊かで静かなロマン香る田舎町です。


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