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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2018年6月号

2018年6月号 (2018/06/15) ビンゴの後も日本人らしく

ジュンジャイ睦会 長山豊恵
 ビンゴは楽しいものです。熟連である時は必ず参加しています。当たっても当たらなくても時間が過ぎるのも忘れて出る数字に瞬きもせず、見つめて楽しんでいます。なかなか当たらず、最後の方で当たって小さな品物を手にすると、とても嬉しく「今度は当たる、今度こそ当たる」と思いながら続けていく楽しさは何とも言えません。
 大勢の方に参加して頂き、嬉しいことですが、ビンゴが終わって、サロンいっぱいに紙が散らかっているのは悲しいです。ビンゴの紙やら新聞やら、甘酒を飲んだコップなどがそのままになっている。自分で使ったものは、帰り際にゴミ箱に捨てていけばいいし、出口にあるのだから、いくら急いでいたって、ゴミ箱に捨てるぐらい訳ないことだと思う。何のためにゴミ箱があるのか分からない。
 「さすが熟連の人たちはお行儀が良い」と言われるように、ビンゴの後も、いつでも自分で使ったものはきちんと片付けていくようになることを願っています。

日本の格言
 さて、右記のお話、何か身につまされるものがありますね。日本の格言には下記のようなものがあります。長山さんの投稿に一番近く、題名にもなり得るのは、①から④のどれでしょうか?
①人の振り見て我が振り直せ
②立つ鳥跡を濁さず
③類は類を呼ぶ
④この親にしてこの子あり


日本へ行ってきました

サンベルナルド松寿会 片田甲子巳
 三月九日から四月十二日まで日本を楽しんできました。
 私は日本生まれで、定年を機に残りの人生を嫁の故郷ブラジルで生きて行こうと決め、八年前にサンベルナルドへ移住してきました。
 今回は五年ぶりの帰省となります。義兄夫婦の結婚四十周年と、我々の二十五周年を記念して、姪っ子たちが企画から旅券など、全て手配してくれました。
 ブラジルと日本は昔と違って、遠くても近い国になっていますね、私の知人などは二ヶ月おきに日本へ行ってます。もちろん仕事がらみではありますが…。
 旅費も安くて行けるし、何より安心して旅行を楽しむことが出来ます。美しい街並みや道路ぎわに植えられた季節の花々等、汚れていない環境には、ブラジルで住む者としては感動さえ覚えます。
 日本で五十年以上住んだ自分が言うのもおかしいのですが、改めて日本の街並みを歩いた時、本当にそう思いました。
 そう言えば日本では当たり前のように、昔からみんなで定期的に自分が住む地域の清掃活動が行われています。草刈り、ゴミ拾い、用水掃除、草花の植え替え等、一人一人が気持ちよく暮らせる環境作り、というのが生活の一部にさえなっています。
 それでもやっぱり心もとない人間がいて、タバコや空き缶のポイ捨て、さらにはペットの糞を置き去る人はいます。もちろん清掃を生業にしている方が大勢おられますが、汚れていない環境を維持しているのは、やっぱり国民意識だと思います。ブラジルを歩くと、生活環境は何十年も遅れている事を感じます。
 ゴミの分別然り、汚れた環境然り、公共施設の不整備や文化財を平気で破壊する人間など、世界的にすごい国ブラジルになるには、国民一人一人の意識が一番大事ですね。
 先日など落ちていたゴミを拾ったら笑われてしまいました。いい事は真似をしてでも早急に取り入れ、悪い習慣は早く過去の出来事にしてしまう。今すぐ我々が出来る事からいい意味での生活改善を実行していきたいと思います。
 さて我々は皆より十日早く日本へ行き、下調べやら自分たちの用事を済ませ、まずは沖縄で待ち合わせをする事にしました。
三月初旬は思いの外寒く、今年の桜は遅くなりそうだな、などと話していたのですが、ホテルの近くにあった早咲きの桜並木が、我々を待っていたかの様に見事に満開になっていったのにはとても感動しました。
今回の旅行の目的は、「日本の桜を見に行こう」という事だったので、かなり期待が出来そうな桜に出会えた、今年初めての桜見物でした。それから程なくして、急に暖かくなったかなと感じてるうちに、辺りの公園やら桜の街路樹が一斉に咲き始め、ソメイヨシノ、しだれ桜等がわれ先にと開花して行きました。気象庁では「今年の桜開花予想は例年より一週間か十日早くなりそうだ」と言っていました。それも晴天が続き開花途中で、寒の戻りなどが無かった事も要因になっているそうで、なんと開花したら三十六年ぶりの桜の見頃が迎えられたようです。
 一行は名古屋を拠点に、沖縄、広島、大阪、京都、名古屋、箱根、東京と桜を中心に巡り歩き、かなり満足できた日本の桜見物でした。幸い僕が車の運転を更新できましたので、レンタカーで隠れた穴場の名所巡りをして、いろんな日本を見てもらうことができました。
 日本の良い所を再認識できた事があります。それは三度の紛失物がすべて戻って来たことです。一度目はセルラー、二度目は高額入りの財布、そして三度目は電車の棚に置き忘れたリュックサック。ここには一眼レフカメラやら財布など貴重品が詰まってました。紛失物が全てそのまんま戻ってきたことに、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 美しい国、日本! 安全な国、日本!を再認識できた今回の旅でした。
 義兄に「日本に初めて行ってどうでしたか?」と聞くと、「桜は見たし、温泉にも入ったし、珍しいもんもいっぱい見られたし、でも日本ではカミオネッチ(トラック)とモートケエ―ロ(バイク族)があんまり走ってないなぁ」と笑っていました。今度「また、遠いけど近い国日本へ遊びに行きましょう」とみんなで約束をしました。この次はお猿さんが温泉に入ってる所を見に行こうね(笑)。


千鳥足

サンパウロ酉年会 浜照夫
 先日、りベルダーデ歩こう友の会でサントス旧街道下りが行われた。
 これは毎年行われる会の行事としては人気があり、すぐにオ二ブス(バス)の予約が満席になる。
 エコロジー問題を大切にしている事で開門の九時までは時間があるので私の可笑しな準備体操で時間調整。
 ガイド嬢の紹介があり、元気に出発。全部で約九キロの下りコースなので石畳や舗装がされてはいるものの、道はかなり急な場所もあり、滑らないようにとのこと。
 普段平らな道だけを歩いている人には、足のふくらはぎや太ももが二、三日間痛むことになる。そのため駅の階段を歩いている訓練が役に立った。
 約二、三キロごとにトイレや水飲場、ガイド嬢の説明があり、天気は良いし、緑の空気を満喫しながら、おしゃべり。高齢者もかなり多いので、足元に注意を払いながら早くも三分の二の地点に到着。
 最後の休憩で其々持参のお菓子や軽食をとる事になった。私はここで気が緩み、持参のカシヤッサの小瓶を取り出し、相手を探したが、誰も見つからない。それでは小さいコップで…。が、何しろオーガニックの着伯四十五年目に見つけた名品の酒。ゴクゴクを二、三回繰返した。そのうまいこと。『もう死んでもいい』。その後じわじわ効いてきた。前のグループと後のグループの真ん中をひとり千鳥足とつんのめらないように前後の重心を保ちながら、崖っぷちに寄ったり山際へ寄ったり格闘しながら、ようやく終着。とんだ醜態を見せた一幕だった。反省しきりです。


ハワイ・ホノルルフェスティバルに参加して

リベロン・プレット壮寿会 大庭千代子
 今年の三月、県連の第四十八回移民ふるさと巡りの旅で「海を越えて文化交流」ホノルル・フェスチバルに参加すべくハワイに行きました。 
 ハワイは日頃から少し関心がありました。と申しますのは、今から約一世紀前、ハワイに私の父方の祖父母が移民として渡りました。祖母は慣れない環境の中、渡米後まもなく亡くなったそうです。祖父は其の後、なお十年頑張って日本に帰りました。ハワイの空港に到着後、ロビーで私共一人一人に歓迎の花の首飾りレイを掛けていただき、「あぁ、ハワイに来たのだ」と実感しました。
 アロハー!
 ホノルルのホテル十階の私の部屋の窓から遠く山野に向かい、祖母の永眠の霊に静かに手を合わせ礼拝しました。
 翌日は旅のスケジュールに従い、先ず第二次世界大戦で激戦のあった真珠湾。そこには今なお戦艦アリゾナが攻撃を受け、破壊した状態で沈没したままその上に記念館が建てられていました。この記念館はエルヴィス・プレスリーの寄付活動で建てられたそうです。犠牲になった数多くの兵士の記念碑など胸の痛む思いで見ました。移民のメモリアル、ハワイ日系人の歩みの写真展なども見学しました。
 プリンス・ワイキキで交流パーティーがあり、ハワイの日系人とブラジルの日系人が大きなテーブルを囲み、楽しく言葉を交わしました。
 市の中心から離れたプランテーション村も訪問しました。そこには各国の移民の家があり、日本移民の家の廻りには神社、豆腐屋、床屋、風呂屋。相撲の土俵場までありました。この地独特の珍しい植物があり、樹齢五百年という菩提樹の大木が大きく葉を茂らせていました。また、モネの画にも似た美しい水蓮の池などたくさんの移民の歴史の残る場所でした。
 クルーズと夕陽観賞とドリンク付きの豪華夕食。そして、次々と演じられる迫力のある歌とダンスショーは、あっという間の時でした。
 三日目はパレードで、カラカウアの大通りの沿道にギッシリ詰まった見物人の中、私共ブラジルのグループは全員黄色のTシャツに白色のズボンのユニホームで、県連の横断幕を先頭にブラジルの大きな旗を持ったスタッフのエステーラさん。スピーカーから流れるサンバのリズムに乗り、一斉に踊りながらの行進で、すごく賑やかな大パレードとなりました。
 各国のパレード終了後、夜、ワイキキのビーチで長岡の花火観賞。ドーンと打ち上がるたび、夜空を彩る美しさに人々は歓声を上げ、素晴らしい花火大会でした。 
 最終日、少しの自由時間を利用して市内の観光バスツアーで、海岸沿いを見て回りました。さすがにワイキキの浜は美しく、所々の浜に立ち寄りながら移動しました。途中、車窓からは程近い海で波に乗り、盛んにサーフィンを楽しんでいる多くの若者などの姿も眺めることが出来ました。どこまでも続く海岸沿いの道は、蒼い空と海、自生の椰子の木の葉が心地良い風にそよぎ、ハワイ特有の風景をかもし出していました。 
 この度の旅行は私にとって、感慨深い思い出に残る楽しいものとなりました。


幸いなる哉

ブラジル日系人熟連顧問 五十嵐司
 来る選挙への人気が断然トップの元大統領が、彼を囲んだ大勢の支持者に名残を惜しんで別れを告げて刑務所に向かうという奇異な政情、国の経済も不安定性から中々脱却できず、事業の経営も大変難しい大国がわがブラジルです。それで、いつまでもそんな国を見限って、他の先進国へ移住.転住した人が沢山います。そんなわけで、私の知人の中でも他の一見一等国と呼ばれる国へ移ったり、日本内地へ戻ってしまった家族も大分あります。しかし、私は言いたい。この混沌としたブラジルにはそれらの先進国にはない良さがあるということです。地震.津波など聞いたこともない広く肥沃な大地、豊かな天然資源、きわめて温和な気候、そして、それよりも大きな美点は人情が細やかで人懐っこく、特に年寄りにやさしい人たちが住んでいることです。それに加えて私たち日系人の幸せは百十年も前の移住初期以来、先人たちの努力によって築き上げられた日本人に対する大きな信用と親愛の情です。
 今、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどでは慰安婦像なるものが次々に建てられ、下の銅板には暴虐な日本兵による韓国人少女への奴隷的な扱いがあったと訴える文章が刻まれており、国際問題になっています。これはすべて、悪意ある小説に書かれた架空の物語によるものなのですが、無実を知っていながら野心的な国々がその小説を利用して日本国を貶め、同時に日本と米国の同盟関係にくさびを打ち込むために使っているのです。先の大戦で見られた日本兵の精強さと米軍の武装力を合わせた同盟は無敵でこれを倒して世界の覇権を得るなど不可能であることを知っているからです。それで、特に過去に奴隷制の歴史があり、それにコンプレックスやトラウマを感じる女性たちに反日感情を植え付けようとする策謀で、巨額の資金が像建設と各国地方議員へのロビー活動などに使われています。そのため、現在、それらの国に居住している日系の子供たちなどが苛めにあうなど不愉快で肩身の狭いような日を過ごしており、銅像除去申請の裁判も難航している由です。ブラジルにおいても反日グループがサンパウロにこの像を立てる計画がなされたものの、一般ブラジル社会の日系人に対する信頼の強さを慮って、一応先延ばしにしたということを聞き、有難いことと思いました。
 先日メトロ(地下鉄)サンタクルース駅の階段を降りていた時、ちょっと躓いて転びかけたら「チチオ 気をつけて…」といって、すぐ駆け寄って手を引いてくれた若い娘さん。無料カードで乗車し、すぐ若者が譲ってくれた席に座って、あの娘さんの声を思い出したら、嬉し涙がこみ上げてきました。人は何というか知りませんがブラジルはよい国です。


ウルブー

サン・ジョゼ・ドス・カンポス市 今井はるみ
 ウルブーを辞書で引いてみると、アメリカ産の黒ハゲタカと出ており、私服を肥やす人などとも書いてあります。
 実は、ウルブーは、目と目で話す私の友達なの…と云うと、皆さん笑い出してしまうでしょう。
 今、住んでいるコンドミニアムが、とっても現代離れしていて、百三十軒余りの家は、一千坪か、またはそれ以上の土地を所有しているので、お隣り同士が話し合うこともなし。車で出かける時、偶然に目が合う時があれば手を上げて挨拶するくらいですから、三十年以上住んでいても名前すら知らないで過ごしています。この調子ですから、もうお分かりでしょうが、話し相手は、庭の手入れに来るブラジル人か、掃除に来る人しか居ない有り様ですので、意を決しては、サンパウロに出かけて日本人の顔を見て、日本語を話す目的で行くのです。
 ブラジルにも、このような日本人が居るんですよ。この私のような…。
 でも、様々な生き物には囲まれています。家の中まで入り込むラガルトやラガルチッシャが居て、一歩外に出れば、早朝から花から花へ飛びまわるベージャ・フロール、谷間に白い姿を浮かばせて飛ぶ白サギの群など沢山居るので話し相手には困りませんが、新しい友達がこの二、三年前から出来たのです。
 それがウルブーなんですよ。実は、右隣りは、今は空き家となっているフランス風のお城があり、珍しい形のトンガリ屋根が三つもそびえているんですが、ウルブーの夫婦が棲みついて、三羽のヒナがこのトンガリ屋根で遊びながら育ってゆきました。
 ですから、ウルブーも私も慣れており、親離れした三羽のヒナは、フランス風トンガリ屋根を我が家と思っているのでしょう。毎晩、遊びに行っても同じ近くの枝で身体を寄せ合って眠るんです。
 私も毎晩、庭を一まわり、二まわりしながら、昼間は仲間と真上の空で円を描きながら遊び疲れたウルブーが同じ枝で寝ているのを見てから家の中に入るのです。
 只、ひとつ心配なのは、親達が自然の森の中で獲物を取るのを教えなかったのか、ウルブーの子供達は、いつ見ても痩せているのですよ。
 それで、お城よりの我が家のキオスクを走りまわるラガルトの子供達を取って食べなさいと教えても、トンガリ屋根から、キョトンと見下ろすばかりなのです。
 時々は、夕方になると、芝生や植木に水をかける私と話したいのか、トンガリ屋根のてっぺんから下方に降りて、お尻を向けながらも、首をまわしてジッと見ていたりしますから、「今夜は雨が降るらしいから濡れないようにね」と目で話しかけると、何だか優しい目で見返しています。ウルブーは私の大切な友達かな?と思っています。


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