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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2018年8月号

2018年8月号 (2018/08/15) わが愛の譜

名画友の会 安田功
 先日、或る日本語学校の学芸会で、生徒達が「荒城の月」を合唱していた。
 それを聞いた時、先般「名画友の会」で上映された瀧廉太郎の映画「わが愛の譜(うた)」を思い出した。
▽「わが愛の譜」
  ストーリー概要
 中野ユキが廉太郎に出会ったのは、彼が東京音楽学校へ入学した明治二八年(一八九五年)の夏だった。 廉太郎は先輩、鈴木毅一と友情を深めつつピアニストとしての道を邁進(まいしん)するが、生来の身体の弱さに無理が崇り療養の為、故郷の大分県竹田へ呼び戻される。
 小康を得て復学した廉太郎は、第一回留学生の幸田延の帰朝演奏会に感動し、また由比クメ等を中心とした新しい唱歌運動の為、「花」から始まる組歌「四季」を作曲しながら、その才能を開花させて行く。
 一方、ユキは第二回留学生に選ばれた。明治三四年(一九〇一年)遅れて、廉太郎もドイツ留学を果たすが、ライプニッチ音楽院に入学した彼は、自分の力を思い知らされる。ユキもまたベルリンでの才能に行き詰まりを感じ始めていた。
 だが、ドイツという異郷で再会した二人は、お互いに協力し、ベートーベン「熱情」の譜面へと向かって行く。
 そして遂に二人の思いが通じ合った。だが「君のためにピアノ曲を書くよ」と廉太郎は言い残し、再発した胸の病を隠す為、ユキを残して去って行く。
 日本へ帰国した廉太郎は、病と闘いながら、ユキに捧げるピアノ曲「憾うらみ」を書き上げる。だが、無情にも二十三歳十ヶ月という若さで彼は、世を去るのだった。
 
 先月、日系の人から「荒城の月」の意味を知りたいので、ポルトガル語に翻訳して貰えないかと依頼された。奉仕して呉れとのこと。快く引き受けたは良かったが、その作詞を何回読んでも、意味がさっぱり掴めない。意味が理解出来なければ、翻訳の仕様が無い。誰に聞いても、歌は唄えるが「意味は判らない」とのこと。それもそのはず、何しろ、百二十年以上前の言葉が綴ってあり、現在活躍している偉い国文学の大学教授など、誰も生れていなかったのだから、日本国民どころか、世界の民は誰も生れていなかったのだ。
 しかし、日本には奮起を促す素晴らしい言葉ある「読書百遍、意自ずから通ず」早速、読むことにした。判らない意味を推測しながら…。すると二百回位読んだ頃から、おぼろげながら、その内容を把握することが出来る様になった。仕事の間に「翻訳」に取り掛かることにした。
 「荒城の月」は、土井晩翠作詞、瀧廉太郎作曲による歌曲、哀調をおびたメロディと歌詞が特徴。七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した楽曲。

「荒城の月」
作詞:土井晩翠 作曲:瀧廉太郎

一)春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
昔の光 今いずこ
二)秋陣営の霜の色 鳴き行く雁の数見せて
植うる剣にてりそいし
昔の光 今いずこ
三)いま荒城のよわの月 替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかつら
松に歌うはただあらし
四)天上影は替わらねど 栄枯は移る世の姿
写さんとてか 今もなお
鳴呼 荒城のよわの月

「A lua em cima de um castelo arruinado」
Musico do TAKI RENTARO Poeta do DOI BANSUI

1)Na primavera, há uma grande festa no castelo para apreciar a flor de cerejeira desabrochando,está circulando a sombra da taça de cheia de saquê reflete-se a luz da lua.
Onde foi a luz que entrou através do galho do pinho milenar e se apresentou a prosperidade?
2)No outono,o campo de batalha fica muito azoinado coberto pela geada e nõo tem nada se movimentando, Só se move um bando de gansos selvagens indo embora grasnando no céu.
A luz da lua se reflete das laminas das espadas enfiadas no chão do campo de batalha.
Onde foi a luz que entrou através do galho do pinho milenar e se apresentou a prosperidade?
3)Agora,a lua à meia noite,a luz da lua não muda, para quem que reflete? Existe apenas um cipó na cerca, e cantando no pinho apenas existe a tempestade.
4)A sua imagem que está no céu (no espaço) não muda nada, mas vidas humanas em prosperidades e fracassos sempre ocorrem, e que mostrando neste memento isto, Oh, a lua da madrugada do castelo arruinado.

Traduzido per ISAO YASUDA(Meiga-Tomono-Kai)


デコポン

サンパウロ中央老壮会 寺田雪恵
 昨日の事は夢だったのかしらと目覚めて考えてみると、ここは旅の宿。それというのもパラパラと音がしたけれど、枯葉の落ちる音かな、と思ったら、音が強く続くので、雨だと気づいた。乾期の続いた後だったので、この荘園も生き物すべてが恵みの雨を喜んでいる。その音を聞きながらまた眠りに付き、朝の五時半に起きた。顔にたっぷり塗ったクリームのせいで、そんなにかさついていない肌を感じた。
 昨日の夜、天野図書館に着き、たくさんの本の中から「里見八犬伝」を見つけて幼い頃、母が話してくれたのを思い出した。
 シャワーを浴びて夕食。ソロカバにお住まいの早川さんが餃子と刺身を持ってこられ、ワサビを添えて出された。皆さんに美味しいと喜ばれていた。次には熱々の天ぷら。色よく上手に揚げていて食べきれないほど。八種類のおかずにブドウ酒、ビールとなんでもあって、食べ終わる頃、天野さんが来て「大いに食べて飲んで下さい」とおっしゃってくれた。忙しい人で、ガルソンよろしくいつも姿を消したり現れたり。
 食事が終わると、すぐカラオケの用意をされて、歌っておられる。マイクのテストだろうか。慣れた感じだ。
 人数が少ないので、私もひばりの歌やテレサ・テンなどを歌った。マイクの持ち方を見れば分かると思うが、何しろ四十年ぶりの歌。天野さんは「マイクを口に近付けて歌うといい」と言い「私の歌まずいですね」と言うと「いや、ほれぼれする声だ」とお世辞をおっしゃる。
 そしてダンス。参加者十人の中にダンスの先生がおられて、誘って下さる。女性が少ないので私も次々と誘われたけれど、これも四十年ぶり。しかし、脳の活性化のために大いに良いと思った次第。
 宿舎のすぐ前にゴルフ場があり、昨夜の雨で紅椿とポインセチアが色鮮やかに咲いていた。どれも喜んでいるように見えた。ここはカステロ・ブランコ百八キロ、コロニア・ピニャールという所だ。
 朝のコーヒーが済み、一休みしてまた、図書館を覗いて回る。昨夜借りて読んだ本を返す。
 次は果樹園見学。十時の約束でバンで十分の山下さんの所へ。 奥様が留守にも関わらず、お茶の用意をして待っていて下さった。家の前で写真を撮った後、応接間に招かれてお茶を呼ばれた。
 昔、この近くに住みバタタ、トマトを作っていた四十年も前のことを話題にして色々と話が弾む。
 広い応接間には俳句や絵、五木ひろしと二人で撮った写真や安倍総理が書かれた物等が飾られている。話は尽きないが、「果樹園の方に行きましょう」ということに。
 畑にはビワの実に一つひとつ袋が掛けてあり、その右手にはデコポンがたわわになっている。
 山下さん持参の鋏で早速皆に一つずつ取って下さる。「一週間置いて食べるといいです」とおっしゃられる。左側にはアテモイアが袋の中でおとなしくしている。
 除草はトラトール(トラクター)でしているそうで、寄せられた土の上で菜の花や大根の紫の花、ヨモギなどが生命の限り輝いている。
 山下さんに「使用人にどのデコポンを取っていいのか教えているのですか?」と聞くと「はい、みんな知っていますよ」との事。使用人に対しても、すべてにおいて手間をかけていると感じた。
 山下さんに付いて行くとガルポン(作業場)に付く。その途中で一米五十くらいの高さの金柑の木があり五十個ほどの実を付けていて「取っていいですよ」と言うので、もごうとしたらすでに小鳥や蜂が小さい穴をあけている。消毒しないという事はこういうことで、それが自然なのだ。とれたてのビタミンCを少し頂いた。
 ガルポンの近くに自家用の野菜が植えてあり、奥さんが世話をされているとの事。私はふと「桜の苗はありませんか?」と尋ねると六本ほど葉を付けてるのがあるとのことで、一本頂いてきた。
 値段を待っているアテモイアと箱詰めにしたビワが積んである。トラクターには捨てられる運命の柿がドラム缶いっぱい積まれていた。私は友人にもらった柿酢を思い出して少しもったいない気がした。
 壁にはデコポンが誕生するまでの歴史や大きさ、型、色とテストされた写真など飾ってある。山下さんは「デコポンができるまで十年かかりました」と言われた。今まだ珍しいので高値で売られている。
 私が桜の苗を所望したのは、玄関の左側に桜が咲いているのを見つけたからだった。少し離れて銀杏が色づき、秋の終わりを告げている。そのいずれも古木となっている。
 帰る時間になって、バン車を廻してもらい待っていると山下さんが果物の箱をいくつも積んでお土産に下さった。皆は恐縮して「もういいですよ」と言うのに…。私たちは何も持ってこなかったのに…。「こんなに頂いて悪いわね。奥様にどうぞよろしく」と心を残しながら、桜と銀杏の庭に別れを告げた。
 天野さんの宿舎に着くと「さぁ、昼の用意ができていますよ」と言われ、カレーをご馳走になった。ニコニコ顔の天野さん「梅干しも福神漬も手作りです。山下さんの奥さんはブドウ酒も作られます」と、昨夜試飲したものだった。
 「この土地で作られたものがおいしいのは、この地の水が美味しいからです」と炊事されていた方がおっしゃられて「なるほど!」と思った。美味しい水は生命の水として、何よりの栄養である。ミネラルたっぷりの水を持って帰りたいぐらい。
 ここの水で作ったコーヒー、緑茶の何と色美しく、深みのある味でのことか。私はこの味を忘れないだろう。静かなこの森に生まれた森の空気。肺いっぱいきれいになったような一日であった。
 昼食後、頂いた果物を分けて、お土産に。椿の花、ポインセチアの咲く荘園を後にした。天野さんの厚いもてなしを忘れる事はないだろう。
 六月中旬の旅の思い出。脳の活性化を促した。日本人十人の優しい仲間に囲まれた旅。めったにあるものではない。
 運転手に家まで送ってもらい有り難かった。「取りたての デコポン重し ひとつでも」


如空の百人一首の恋歌

書道愛好会名誉会長 若松如空
思ひわび
さても命はあるものを
憂(う)きに堪へぬは
涙なりけり
【道因法師】

 つれない恋に寂しい限りを尽くしている。それでも命だけは長らえている。辛さに耐えきれず流れてくるのは涙だけ。
 法師という身分で恋をして、自由に恋人と逢えないつらい思いをしている。それでもこれで命が長らえるのだろう。しかし涙が流れてしまうのだ。という孤独な生活の歌を詠んだもの。
 作者は「歌こそ人生」と残した人で、八十歳まで生きたという。恋は生の命というところか。


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