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(最終更新日 : 2019/02/15)
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2018年9月号 (2018/09/14)
国境の町ポンタポラン(1)
ビラ・ソニア老壮クラブ 滝ケ平功
一九六〇年代後半だったと思いますが、ポンタポランはパラグアイとの国境にある小さい町でした。もう半世紀以上過ぎでいますから、今はだいぶ変わっていると思います。初めて見る国境の町で、大平原の中にポツンとある町でした。
国境なので厳重に警備されると思いきや、今はよく思い出せませんが、所々に境界の標識の石標があるだけで、両端はだいたい百メートルくらいの幅のアベニーダがあるのみで出入りは自由。お隣の国もペードロ・フォアーンとか云う町で、当時から自由貿易の国で関税がなく、物価はブラジルの半分くらい。ちなみにブラジルのタバコも半分くらいの値段で売っていました。
売っている品物全部がそういう状態でまとめ買いして帰れると思いがちですが、この町を離れて隣の町まで来ると、そこは物々しい警備で荷物は一つ残らず国境警備の軍隊に全部開けて調べられるので、規定以上の数の物は全部没収され、元も子もないというわけです。
この町の面白いところはブラジルとは一時間の差があるので、大晦日などは二度楽しめる町でした。ブラジルで午前〇時に花火などを打ち上げてドンチャン騒ぎが終って、一時間後には大通りを渡って隣の町に行けばまた、大騒ぎができる変わった町。今も変わりないと思います。
この町は特に観光地でもないので、行ったことのある人はほとんどいないのではないかと思います。ただ、この町からパラグアイの首都アスンシオンに通じる道路があるので、通られた方もいくらかいらっしゃるかと思います。
この町から何キロ位か私もよく調べませんでしたが、日本人植民地があったことは確かです。当時、パラグアイはコーヒーがほとんど無く、ブラジルからの密輸があって検問所で結構捕まったらしいです。密輸者もだんだん利口になり、トラックのタイヤの中に隠して通過した者も居たようですが、検問所も負けずに賢くなり、最後は見破られたようです。その後の知恵比べはどうなったのか、知る由もありません。
ウイスキーなどはトラックのドアの中に隠したりしたらしいですが、それも最後はバレたらしいです。
この町にも日本人の人がホテルを経営しておられて、その方にも大変お世話になりました。あの家族はまだおられるか、どうしておられるか分かりません。
この頃の私の仕事は測量技師でした。
このホテルを根拠地にしてパラグアイに通ずる幹線道路から数キロ離れた原始林の中に入り、五千アルケーレス(一万二千百ヘクタール)の測量に入っていくわけですが、この時は友人と二人で入りました。スタート地点から両方に分かれて最後に合流する方法を取りましたので、約三ヶ月で現場の仕事は終わりましたが、測量した距離は約三百キロメートルに及びました。
この距離も二人でしたので、分けると大したことはありませんが、この前に私一人での測量は四千アルケーレス(九千六百八十ヘクタール)は三百三十キロメートルで十ヶ月かかりました(この件については、いずれ機会があったら書いてみたいと思います)。
山の中の生活で色々な動物に会いましたが、スリルがあってなかなか良い経験をしました。オンサやオオカミもいましたが、この二種類は私は目にすることなく、夜の遠吠えを聞いただけですが、私の友人は夜中にオンサがキャンプに現れたのを経験しています。その時は散弾銃で一発ぶっ放したら逃げていったと云っていいました。
仕事が終ってサンパウロに帰ることになるわけですが、検問所にぶつかりました。その時、ピストル(三十八口径)を二丁持っていて慌てました。その時、身体検査はしませんでしたので、とっさの思い付きでズボンの両脇のバンドの間の両方に一丁ずつ突っ込み、上からジャケットで隠すことにしました。
荷物の検査が終るまでの時間、どんなに長く感じたことか。ピストル二丁の重みに耐えたことを今でもたまに思い出すことがあります。無事サンパウロに着きましたが、そのピストルはその後、どうさばいたかはもう記憶にありません。
もどって来た古老、お願いをかねて
短歌選者 梅崎嘉明
老壮の友の皆さん、お久しぶりです。何年か前にこちらの歌壇の選を受けたまわっていた梅崎嘉明です。歌壇の更なる活性化を願って若い藤田朝壽君、次に新井知里さんにバトンタッチしたのですが、何のはずみか二人とも次々と他界されてしまいました。
係の方から次の選者を依頼されて二、三の歌友を紹介しておきましたが、その中の一人から電話があって「皆さん多忙で誰も受けられないようです。私もいろいろあって無理なので、できたら梅崎さんに盛りかえして頂きたいのですけど…」と言われた。投稿者がいて選者がいないなんて面目ない話だ。ああだこうだと話し合いの末、義憤を感じた私がやりましょう。言ってしまった後で後悔、自分も雑用が多くて、勧められている検討会や俳句会をも断っているのに何たる軽はずみだ。だが受けて断るのも男げがない。ままよ、あと一、二年ぐらいは生きられるだろう。
昔の歌友はもとより、新しい投稿者の皆さん続けてよろしくお願いいたします。
短歌はむつかしい、自分には向かないと、おっしゃる方もおられますが、最初は高度なものを目指さないで、自分の感性で詠めばいいのです。短歌のリズムの五、七、五調は日本人の感性にぴったりで、ご存知の歌謡「影を慕いて」など「幻の 影を慕いて 雨の日に」と、ちゃんと五、七、五のリズムにのっとっているのです。
身が不自由で外出のできない、また外出の嫌いな方々、テレビばかり見ているとボケると言われています。短歌ばかりでなく、カラオケでもダンスでもいいでしょう。そうすることによってお茶友達もできて孤独を嘆くこともなくなるのです。こもってないで、大いに行動しましょう。
如空の百人一首の恋歌
書道愛好会名誉会長 若松如空
難波(なには)江の
芦のかりねのひとよゆゑ
みをつくしてや
恋ひわたるべき
【皇嘉門院別当】
難波の入り江の芦の刈り根のひと節のような短い旅の夜の逢う瀬でしたが、たった一夜の契りのゆえに、私は身を尽して、あなたを一生思い続けることでしょう。
九条兼家の邸で開かれた歌合の時「旅宿に逢う恋」という歌での作。宮中はこれで騒然となったよう。想像なの? 本当なの? と。技巧の言葉を自由にこなし、歌枕も入れつつ、陰影(いんえい)を持たせて迫るところはさすがだとの評だ。
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