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熟年クラブ連合会
     エッセイ  (最終更新日 : 2019/02/15)
2018年11月号

2018年11月号 (2018/11/14) 思ひ出の曲

サンパウロ中央老壮会 香山和栄
 今、世界は何か不安定な気配が漂っています。
 私は満州事変のあった昭和六年(一九三一年)に生まれ、昭和十二年(一九三七年)の支那事変が始まった時に尋常(じんじょう)小学校へ入学しました。そして、それが大東亜戦争になったのは、国民学校と名前も変わった五年生になった昭和一六年(一九四一年)十二月八日の事でした。
 その頃、アジアの国々はみな、欧州列強の植民地となっていました。ABCD包囲陣(アメリカ合衆国(America)、イギリス(Britain)、中華民国(China)、オラ・ダ(Dutch)が日本に対して行った貿易制限)を張られた日本は、物資輸入が止まり、ゴム底の運動靴は配給制となり、私たちは順番が来るまで穴のあいた靴を履いたものでした。
 女学校の入学試験は、用紙も鉛筆も不自由で口頭試問(こうとうしもん)でした。そのうち、学業はそっちのけで、食糧不足を補うため、運動場を耕して、便所から肥(こえ)を運び、馬鈴薯を植えました。農業の時間というわけです。
 三年生になった時、戦局も押しせまり、地方都市で戦災に遭っていない校舎は大阪陸軍被服廠(ひふくしょう=軍服製造所)の支庫に模様替えされ、私たち女学生も学業は止め、国家総動員で陸軍の一兵卒として、軍帽の代わりの星のマークの付いた鉢巻をしめて働きました。もう、その頃は食糧不足で、配給の高粱(こうりゃん)飯、菜飯、すいとん、芋などでお腹を膨らませ、お国の為にがまんしました。
 支庫長殿(しこちょうどの)は陸軍中尉で、軍事教練(きょうれん)など、一通りやらされました。手旗信号、復唱(ふくしょう)、分列行進も一応しました。「右向け右」「前へ進め」とか「歩調(ほちょう)取れ」「かしら右」などは軍隊の規律です。一列横隊(いちれつおうたい)で号令が運動場に響き渡りました。
 私は三年生、姉は五年生で、郡是(ぐんぜ)製糸が軍需工場となり、寮(りょう)に寝泊まりして、飛行機の部品作りにハンマーを振るっていました。姉はもともと器用なので、木の細工ものなど上手に仕上げます。一年生になった妹は、毎日鍬(くわ)を担いで、学校より一里(約三・九三㎞)以上もある郊外の松原まで行き、松根油(しょうこんゆ)を掘りに行っていました。校門で、まだ幼くほっそりした肩を見送ったことなどを思い出します。
 さて、題名の「思ひ出の曲」を書きましょうと思っているうちに、次から次へと前置きが長くなってしまいました。校章(こうしょう)の撫子(なでしこ)の花をかたどった花壇のそばで、皆と一緒に歌っていたのは、この歌です。

「♪愛国の花」
一・真白き富士の 気高(けだか)さを
  心の強い楯(たて)として
  皇国(みくに)に尽くす
  女等(おみなら)は
  輝く御代(みよ)の 山桜
  地に咲き匂う 国の花
はるかな昔の歌。一番だけ、思い出しました。
 「老壮の友」編集部で調べました。
 昭和十二年、渡辺はま子さんが歌った「♪愛国の花」です。
 作詞は福田正夫、作曲は小関裕而。昭和十七年十一月、佐野周二と木暮美千代主演で同名の映画が作られ、この歌はさらなるロングヒットとなりました。
二・老いたる若き 諸共に
  国難凌ぐ 冬の梅
  か弱い力 よく協力(あ)わせ
  銃後に励む 凛々しさは
  ゆかしく匂う 国の花
三・勇士の後を 雄々しくも
  家をば子をば 守りゆく
  優しい母や 又妻は
  真心燃ゆる 紅椿
  嬉しく匂う 国の花
四・御稜威(みいつ)のしるし 菊の花
  豊かに香る 日の本の
  女(おみな)と言えど 命懸け
  拳(こぞ)りて咲いて 美しく
  光りて匂う 国の花


チャチャチャの健康棒を使って

イタペチ万寿会 檀正子
 最近、若松先生が考案されたチャチャチャの健康棒。竹の音の響きもよろしく、熟連クラブに罷り(まかり?)出てきました?先月の「老壮の友」にも紹介されていました??皆様、ご存知でしょうか?
 私も先日、熟連に寄った際、一つこの棒を頂いて、日々、愛用しています。
 この健康棒は、竹の割りばしを棒状にまとめたもので、叩くとチャチャチャという竹の触れ合う音がします。私はその竹の音を楽しみながら、体のあちこちを叩いています。
 読書に疲れたり、テレビを見るのに疲れた時、この棒で肩やら頭やら腰などを叩くと頭もすっきりして体も軽くなったような感じがします。
 特にお風呂上がりにこの棒で両肩を思い切り強く叩き、足の裏も叩きます。足の指の裏、そして土踏まずを強く叩くととても気持ちよく、寝付きも良いようです。足の裏にはすべての臓器の大切なツボがあると言います。実際、この棒でしっかり叩くと、血の巡りも良くなり、冷え性の改善にも繋がっているように思います。
 また、この棒の良い所は、どれだけ叩いても程よい重さなので、腕が疲れるという事もなく、また、どれだけ強く叩いても、さほど痛くはなく、まさに老年向けの健康棒と言えるでしょう。また、二つあれば、床に置き、両足で踏めば足のマッサージにもなります。そしてこの二つの棒で、孫に肩をチャチャチャと叩いてもらったら、最高です。
 知人にプレゼントしてもきっと喜ばれることでしょう。
 若松先生の考案されたチャチャチャ健康棒(チャチャチャ・バンブー)を日々、大いに活用し、明るく楽しく元気に過ごしましょう。


Muito Desculpe 本当にごめんなさい

JICAシニア・ボランティア 岡田みどり
 「ブラジルは住みやすくて、いいところよ。」皆さん口をそろえておっしゃいます。「でもね。」とほとんどの方に続きがあります。「犯罪がなかったらね。」と。「盗難、ひったくり、詐欺などは、よくある話。いつもまわりに注意して歩かなければいけないよ。バッグの中は必要なものだけ。お金はたくさん持ち歩かない。後ろにも注意して時々振り返る。ポルタから出入りのときは周りを見回してから。薄暗くなったら一人では歩かない。」等々教えてくれます。JICAの研修でも何度も何度も繰り返し言われ、どうやって自分の身を守ったらよいのか不安になっていました。また、経験談も教えてくれます。ある会員さんは、息子さんの友達だという人が訪ねてきて、「彼に五十レアル借りているので返しに来ました。あいにく百レアルしか持ってないので、お釣りが欲しい。」と言われ、百レアルを受け取って、五十レアルを渡しました。その百レアルをお店で使おうと思ったら、なんと偽札だったそうです。まだまだありますが、書き切れないのでここまでにします。
 ブラジルでは、人をすぐに信用してはいけないんだな。と学んだ頃の失敗の話です。
 私は携帯電話の料金をヘカルガ(チャージ)にしています。残高が少ないからヘカルガするようにメールが入るようになりました。いつもは一か月近く使えるのに、今月は早い気がする。と思い、前回のレシートを見直しました。すると、そこに書いてあった番号は私の番号ではなく、まったく違う番号でした。「やられた!」と思いましたね。ヘカルガしたその日は、通りかかったメルカード「カフェフール」でレジのお兄さんに、ヘカルガできるか聞きました。「できるよ。」と言われたので、自分の携帯の番号を見せて、レジで打ち込んでもらったのです。「あの時だ!」お兄さん自分の番号にヘカルガしたんだ。とすぐに思いました。次の日みんなに、「だまされちゃった。」と事の顛末を話し、取り返す方法はないのか聞いても、「あきらめなさい。その場で言わないと返ってこないよ。」と言われ、支払った三十五レアルは勉強代だと思うことにしました。でも一人だけ、その番号に電話してくれた人がいました。「何とかなるかな?」と期待して待っていると。「これ、電話番号じゃないよ。繋がらない。多分レジの番号。」「え?まさか!」とっさに、携帯の履歴を見直しました。「だまされた。」と思った日にちゃんとヘカルガされていました。なんていう思い込み。自分で自分が情けなくなりました。大失敗です。レジのお兄さんごめんなさい。ブラジルの人たち、疑って本当にごめんなさい。そんなに悪い人ばかりじゃないですよね。ほっとしました。


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