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(最終更新日 : 2006/10/09)
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2006年2月号
2006年2月号 (2006/02/10)
或る老女の半生
レジストロ春秋会 京増アキ
私が生れたのは日本の北の果て、北海道の山の中の寒村でした。学齢期になって田舎の小学校に通いました。私は学校はあまり好きではありませんでした。いつも私が子守りをしている七つ年下の弟を背負ったまま行きました。そして先生の奥さんにお乳を飲ませてもらいました。家に帰ると家の下の小川から水を汲み、水桶をいっぱいにしてから二つ年上の姉と二人で、薪を切り、それを割って、家に運びました。その後は、姉と一緒に家の庭や畠の草を取り、遊ぶことを知らない子供でした。でも時々、ケンカはしました。昔の女の人は五十五歳位でもうお婆ちゃんと呼ばれ、御飯炊きをしていました。いつもあまり美味しいものは食べさせてもらえませんでした。塩魚の骨は味噌汁に入れ、カボチャ、バタチンニャ(小さい馬鈴薯)とトウキビに大豆ごはん、たまには蕎麦とごはんといった具合で、その殆どが自分の家で採れた物ばかりでした。
私が九歳の時、父は家から出て行ってしまいました。「畑仕事が嫌だ」と言ったそうです。あとに残されたのは、父の母とお母さん、姉が三人と私、その下に弟が二人と八人でした。この家族が食べていく為に女ばかりで野良仕事、男の仕事もすべてやりました。
私が十四歳の時、近くに炭鉱ができ、私が働きに行くことになりました。それまではあまり人も見たこともなかった私でしたが、炭鉱に働きに行くようになって、たくさんの男の人がいて楽しく、女ながらもどんな仕事でもやって力持ちになり、色々と変わった仕事をし、楽しい日々でした。
そんな炭鉱も二年半程で石炭がなくなり、閉まってしまいました。遠くから働きにきていた人たちと一緒に別な炭鉱へ行って働いていましたが間もなく戦争になり、男の人たちは戦地に行ってしまい、私たち女と年寄りばかりで働きました。
その頃の男の人は、五十歳そこそこですでに年寄りぶっておじいちゃんみたいで、仕事がさっぱりできず、私たち女の方がよく働いたものです。
そこで何年か働いているうちに戦争は終わり、外地から兵隊さんをはじめ多くの人たちが引き揚げて来ました。炭鉱で働いていた時にはたくさんの男の人たちを知っておりながら、その引き揚げて来た男の人と見合いをしました。優しそうな人に見えたので結婚しました。
ところが女ばかりの家庭で育った為、男の人は知らないので、騙されてしまったのです。見かけとは裏腹で気難しい人で、その上、大酒飲みで、何かにつけて私を怒り、叩くのでした。私は女のすることは何でもやりました。男の仕事もみんなやりました。それなのに作り事を言って、打たれたりしましたが、我慢しました。しまいには叩くだけではなく、足で蹴られたこともありました。主人はパチンコが好きで毎日のように行ってました。私は三人の子供を抱えている上に、主人の弟二人と妹一人が私たちを頼って、一緒に住むようになりました。そのせいか、主人はますます凶暴になり、私を怒鳴りつけ叩くのでした。
そして一九六一年八月、ブラジルに来ました。ブラジルへ来てからも田舎で毎晩ピンガ(酒)を飲んで怒鳴り散らして暴れるので、夜がこないで昼間ばかりがいいと思ったりしました。
私の子は女の子ばかりで六つ、九つと十歳でしたが、お茶の木をはじめて見て珍らしかったらしく、茶をよく摘んでくれました。毎日が楽しく、急に天候が変わって雷が鳴り、大雨が降って来ても家に帰ろうともせず、よく働いた子供たちです。
夜に帰ると、一人、男の主人がカミナリを落として大変でした。あまり怒鳴られるので、私は物置に隠れて、夕食を食べました。そんなにまでしてもちゃんと食べたお陰で今も元気なのだと自分では思っています。
私はどんなことがあっても、興奮したり逆上したりすることはありません。知らないのです。ですから怒鳴られても叩かれても蹴られても反抗して逆らうということはしたことがありません。
この頃は主人も寄る年波で、酒もタバコもきっぱりやめて猫みたいにおとなしくなりました。その分、頭の方も半分しか働かないようで、食べ物だけは何でも美味しそうにたくさん食べます。でも毎日シシー(尿)を漏らすし、ウンチも週のうち、半分位は漏らして、私に仕事を作ってくれます。仕事を作ってくれるから、私は元気でいられるのです。女が我慢したら家は円満に行くと常に私は考えて今までやってきました。今では主人を可愛がってやらないといけないと思っています。だって夫婦なんてそんなものじゃないかしら?
若い頃は叩かれると「今に見ろ。年を取ったら苛め返そう」と思ったこともあったけど、今じゃ出来ません。
私は声が大きいのは生まれつきで、気持ちは優しいの。どんな人にも優しくしてあげようといつも思っています。どんな人にも挨拶をして、仲良くしていくつもりです。それが好きです。
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