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(最終更新日 : 2006/10/09)
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2006年8月号
2006年8月号 (2006/08/15)
私の人生 ①
カンピーナス明治会 後藤留吉(九十八歳)
私のような水飲み百姓のセガレがなぜにただ一人この国に流れてきたか、ようやく徴兵検査を終えただけで……。
私の生まれは兵庫県神崎郡船津村仁色。大正十二年三月にようやく高等小学校を終え、十六歳で鉄道省の鷹取工場の給仕に入った。
一年余して、当時西代に教習所があったが、そこを受験し、一年教習を終えれば、駅員として採用されるというのがあり、同じ給仕をしていた青年の一人が合格して止めていったので、僕も一応試してみようと半年程して入所試験を受けた。が、受からなかった。仕方なく、又給仕を続けていたが、係の人に「君はもう給仕の年ではない」と言われ、一時食堂の給仕をしていたが、ようやく十八歳になって「塗装(工)部の職工手伝いに行け」と言われ、塗装工部で働くこととなる。
塗装部では、ただ塗るだけではない。客車が入ってくると、まずソーダ水で洗い、ペンキを塗る。これは主に先輩の仕事で、私は毎日客車の天井にソーダ水をつけて水洗いの仕事。汚れた水を頭からカブル。一年くらいこんな仕事をしていると、自分はこんな仕事をしなければ生きて行けないのか、と独り考えながら過ごす毎日となった。
そんな矢先の大正十四年頃、新聞にブラジル移民が盛んに取り上げられてきて、また神戸に日伯協会が出来、水上署の四階にそれがあった。
夜、仕事を終えて協会へ行くと原梅三郎理事が居られたので、私の意を話すと、「あぁそうか。では、これから講習会が開かれるから、それに入っていなさい」と言われ、午後七時からとの事で、その日から鷹取駅から汽車で三宮駅までの鉄道パスをもらって毎晩通う事とした。ブラジル語やブラジルにおける農業や百姓事情などの講義を受けて三、四ヶ月が過ぎた頃、原さんが「後藤君よ。ブラジルに行きたいなら自分が友達に手紙を書いて、彼から呼寄状を送って貰うことにする」と、言われた。
彼は坂元靖という元熊本師団の中佐で仲間と気が合わずブラジルに行き、海外興行株式会社のリベロンプレットの出張所長になっているとのことであり、その呼寄状も県庁に届ける手配をしようとのことであった。私は原さんに「有難うございます。近く徴兵検査がありますので、総てはそれがすんでから」と申し上げた。(つづく)
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