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熟年クラブ連合会
     創立三十周年記念  (最終更新日 : 2005/12/07)
植松紀子氏基調講演 「いつでも青春」より

植松紀子氏基調講演 「いつでも青春」より (2005/11/12)  本日はブラジル日系老人クラブ連合会創立三十周年という大きな大会に御招き頂きまして誠にありがとうございます。私はおととい日本からブラジルに参りました。老ク連の役員の皆様の暖かい歓迎を受け、それから開拓先没者慰霊碑にお参りしてきました。そうしますと昔の人達や今ここにいる皆様の長年の御苦労が本当に心から偲ばれました。
 さて私たちの「百歳万歳」という雑誌も今年創刊二十八年になります。長い間、ブラジル老クを初め大勢の皆様に読み継がれており心から感謝申し上げます。
 私はこの二十八年間に全国各地を歩きまして、色々な高齢者の皆様にお会いしました。その中で時間の許す限り皆様にお話してゆきたいと思っております。
 平均寿命が延びました。日本は男性が七十八歳、女性が八十五歳という長寿になりました。四人のうち三人までが八十歳を生きる時代になったわけです。百歳も二五六〇六人を超えました。もうどこに行っても百歳は珍しくない時代になっております。
 これだけ高齢化が進んでまいりますと、福祉の面では地域の荷物からになう側に、福祉の対象から支える側になってまいりました。地域の行事に高齢者の皆様は欠かせられません。またボランティア活動では高齢者の方々がほぼ八〇%を占めております。こんな中で老人クラブの役割がだんだん大きくなって参っております。
 千葉県松戸市の老人クラブでは「健康いろはカルタ」というのを作っています。最初は寝たきり〇(ゼロ)カレンダーというのを作り、各自が家で健康でいるための二四項目をチェックしていたのですが、それではいい加減になったり続かないということで、みんなで楽しみながら、健康に良い事をしていこうということになりました。例えば、
「イ」いい物を毎日食べよう心掛けて
「メ」面倒と思えばそれが不健康
「ム」むっつりと暮らすは病の巣を作る
 このようなカルタをみんなで作り、おしゃべりをし楽しみながらやっております。
 また名古屋市の老人クラブの女性リーダーたちは、「女性にできることは」と、ゴミ問題に取り組むことにしました。まず調査をすることから始めました。すると名古屋市では一年にごみ処理に二五〇億円もかけていることがわかりました。それを当時名古屋市で不足していた子供たちの体育館に置き換えて考えますと五十一校分にも当たります。ではその一校分だけでも自分たちでやろうということになりました。まず一人が一日百グラムのゴミを出さないようにすると一年間で二十億円が節約できることがわかり、ゴミを減量することから始めました。ゴミの分別、回収、不用品の交換会、洋服のリフォーム、そして「手提げ持参運動」「ポリ袋いいです運動」というのを始めました。そして 一カ月後に調べたところ、手提げ運動、ポリ袋運動を合わせて八千四百五十七枚がゴミにならなかったのです。これを一年続けたら十万枚を超えます。それが老ク全員でやったとしたら天文学的数字になっていきます。さあ、みんなでこれを推し進めていこうと女性たちは励んでおります。
 また、友愛運動これは老人クラブでも歴史のある活動ですが最近ではプライバシーの問題などもありなかなかうまく行かないというのが現状です。そんな時、大阪府の八尾市の老人クラブでは、電話による友愛訪問を思い立ちました。週に二回独り暮らしの人や体の弱っている人などに電話をするようになったといいます。最初は戸惑っていた相手もだんだん慣れ、今度は電話を待っていてくれるようになりました。するとそれがまた老クのメンバーにとってもやりがいのあることとなっております。
 また岩手県千枚町では「お茶パタキ活動」というのをしています。お茶パタキとは岩手県では「お茶のみにきたよう」という意味だそうです。訪問する側も受ける側も緊張せずに話ができ、寝たきりの人やまたそれを介護するお嫁さんも一緒にお茶パタキをしているそうです。
 皆さんは傾聴ボランティアというのを聞いたことがありますか?
耳を傾ける傾聴ですね。これはボランティア精神の一番最初で、皆さんの心にたまっているものをみんなで聞いてあげる友愛訪問の基本だと思います。寝たきりや独り暮らしで寂しい思いをしている人に心を傾け友人として支え助け合う。それが友愛活動の素晴らしいところだと思います。
 全国に百のクラブがあれば百の、千のクラブがあれば千種類の活動があると言われています。ところがいま日本で大きな問題になっているのが若い会員が入らない、会長のなり手がなくて会がつぶれていくということです。でも一方でどんどん会員が増えているというクラブもあるということです。それを私たちは「老クの新しい波」と題して、特集を組んでいます。
 その中の一つの例として、東京都日野市の「ときわクラブ」があります。ときわクラブは以前はたくさんの会員がいたのですが、五年前には五十四人まで減ってしまいました。日野市四十九クラブ中四十三番目という会員の少ない会になってしまったのです。その時、会長になった木下さんは、どうすれば会員が自信を持てる会になれるかと考え、日野市で一番会員の多い会にしようと考えました。そこで今まで二つしかなかったサークルを年ごとに増やし十六のサークルを作ったのです。また全体行事をやる十の委員会も作りました。総務委員会は年間計画を、友愛訪問委員会は入院会員などの退院後のケアーを、奉仕委員会は庭木の剪定やちょっとした家屋の修理や電球の取り換えなどをしてあげます。このようにして今では二三四名の会員となり約五倍にも増えています。そして会員の長期入院も年間十三人から四人に、死亡も五人から一人にとぐんと減りました。木下会長さんは老人クラブが活発になればなるだけ会員も元気になると言っています。 どんどん会員が増えている老クというのは各地にあります。千葉県千葉市のふれあい広場老クは五年間で九倍にも増えました。ここの会長さんは「老クは楽しかった、いい汗をかいた、新しいことを覚えた、みんながそう思えば会員はどんどん入ってきますよ」とおっしゃっています。
 例えばウオーキングクラブがありますが、 kmコースや kmコースもありますが、八十歳を過ぎた人でも無理なく歩けるようにと「郵便局までちょっと歩こう会」というのを作りました。郵便局はその地域の真ん中にあり、どんな人でも十分も歩けば着いてしまいます。そこで郵便局とタイアップして、お茶の接待をしてもらうことにしました。そして、着いたらスタンプを押してもらいます。そのスタンプがたまれば、賞品がもらえます。このようにして八十五歳から九十歳の足の弱い人でも一週に一度は切手を買ったり、はがきを出したり、貯金をしたりと郵便局まで行くようになったといいます。そんなふうにして皆が体を動かすようになりました。
 また、老人クラブは楽しいこと、そして皆でやる、この二つがなければ成り立ちません。「一人の百歩より百人の一歩」という言葉がありますが、遅れそうな人には「サアー一緒に行きましょう」とみんなが一歩ずつ前に出る。それが老人クラブだと思います。
 静岡県に気楽会という老人クラブがあります。猿田さんという会長さんは老人クラブは老年期の思い出づくりの場であるといっています。ですから「歩け歩け運動」でも春は花見、夏は飯盒炊爨、秋は紅葉がりと楽しみを交えながら行い、歩けない人や杖を付いている人でも車を配慮するなどして、全員が参加しています。
 また作品展がありますが、これも昔は得意なことのある人しか出展しなかったそうですが、今では皆で折り紙など何かを作り全員が出品しています。たかが作品展、たかが折り紙ですが、その人にとっては一生の思い出になる作品展になっています。
 東京の国立教育研究所では社会参加をすればどれだけ健康になるかという「社会参加と老人医療の関係」という調査をしました。社会参加率が世界で三%高くなると三千八百九十四億円の医療費が削減でき、五%だと六千四百九十億円そして七%だと九千百八十六億円、約一兆円が削減できると発表されました。私たちの一番身近な社会参加といえば、老人クラブ活動だといえると思います。
 そして、私がボケの研究で有名な千葉県聖心会医療センターの赤間まこと先生にボケないためにはどうしたらいいですかとお聞きしました時に「ボケない五か条」というのを教えてくれました。それは

①友達を持つこと
友達とのおしゃべり、これがボケないためには大変大事なことだそうです。言葉のひとつひとつに、相手の態度に、脳細胞は活発に反応し、働きます。

②目標があること
目標に向かって進んでいる人は、少しの波風では倒れないと言います。「もう年だから」は危険です。
③責任ある役割があること
会社での疾病率は二十代より五十代の方が少ないと言います。これは五十代には責任ある役割が増えているからです。

④誉めてくれる人が近くにいること
子供と同じように年をとってもほめられると元気になりやる気が出てきます。

 以上は老人クラブに入れば全部できることです。でも中には自分は年だからやってもらう方だという人がおります。
 こんな方には私はグランマ・モーデスさん(モーデスおばあちゃん)の話をしたいと思います。アメリカでは年をとってから何かをする人のことをグランマ・モーデスさんのような人と言います。モーデスおばあさんはご主人が亡くなってから、七六歳で初めて絵筆を持ち、八十歳で認められ、世界的な画家となりました。
 八十歳から百一歳で亡くなるまでに千六百枚の絵を描きました。モーデスさんのこの八十歳からの人生を思う時、あなたの人生はこれからどう変わっていくかわかりません。
 日本のきんさん・ぎんさんも九十九歳までは普通の双子のおばあさんでした。百歳でテレビで紹介され、それからアイドルとなりました。百歳を過ぎて初めて海外旅行も経験しました。皆さんもそういう夢や希望をどんどん出し、九十九歳でも「もう」を言ってはいけないと思います。
 私の好きな詩にサミュエル・ウルマンの「青春」というのがあります。

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱
怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心
こういう様相を青春というのだ
年を重ねただけで人は老いない
理想を失う時に初めて老いが来る
歳月は皮膚の皺を増すが
情熱を失う時に精神はしぼむ
苦悶や狐疑や不安、恐怖、失望、こういうものこそあたかも長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう
年は七十であろうと十六であろうとその胸中に抱き得るものは何か
曰く驚異への愛慕心
空にきらめく星晨
その輝きにもに似たる事物や思想に対する欽仰
事に処する剛毅な挑戦
小児の如く求めてやまぬ探求心
人生への歓喜と興味
人は信念と共に若く、疑惑と共に老ゆる
人は自信と共に若く、恐怖と共に老ゆる
希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる
大地より神より人より美と喜悦、勇気と壮大
そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない
これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも覆いつくし、皮肉の厚永がこれを固く閉ざすに至れば、この時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞うる他はなくなる

 皆様の中にはまだまだこのような青春の方がいらっしゃると思います。「夢のないところに目標なし、目標のないところに実行なし」という言葉があります。東大の加藤ひろし先生は「人生に花開く時はいつでもある。学生時代に花開く人もあれば、社会人となって花開く人もいる。また高齢期になって花開く人もいる」と言っております。皆さんの地域で老人クラブでもう一度きれいな花を咲かせて頂きたいと思います。長時間ご清聴ありがとうございました。
(紙面の都合により要旨のみ掲載させて頂きました)


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