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     FOTO  (最終更新日 : 2015/01/16)
パルケ・コンチネンタル寿会 林田千枝さん [全画像を表示]

パルケ・コンチネンタル寿会 林田千枝さん (2007/05/13)  林田千枝さんは一九二三年五月二十四日カフェランジャに生まれ、今年八十四歳になります。
 林田さんの楽しみは民謡を歌うことです。毎週水曜日の老ク民謡教室には欠かさず参加しています。体調を崩し、引きこもりがちの友人にも「友達に会うのは一番の薬よ。老ク連へ出ていらっしゃい」と誘いの電話をしています。
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 左の写真は林田さんの宝物の一つです。九二年に民謡同志協会の代表で日本に行き、武道館で唄った時のものです。「この頃は声もよく出ていたけれど、今は駄目ね。楽しみで唄っているだけよ」と謙遜していますが、声も肌も艶々としていて、とても八十歳代には見えません。
 林田さんの両親は熊本県菊池郡平真城村出身です。一九一〇年、チエさんの姉を一人日本に残し、グァタパラに入植しました。第一回移民は待遇などを巡って耕主側と対立し、紛争が続出。離散や脱耕が相次いだことから、「第二回移民は、後続移民の為にも何が何でも耐え抜くように」と言われ、「一人ひとりが日本人の誇りを胸に頑張った」と両親はいつも言っていたそうです。
 義務農年を終えて、平野植民地に入耕する予定で同地にたどり着きましたが、マレッタ(マラリア)で毎日バタバタと人が倒れて死んでいくのを見て断念しました。一日に三人も四人も亡くなった日もあり、棺おけの板もメーザの板をはがして作るなど、植民地の入り口に仮小屋を作って、父は葬儀の手伝いをしたそうです。
 「とにかくパパイは真面目な人でした」
 戦後、日本への義援金もブラジル国内を周り、先頭にたって募金を集めました。また学校の建設などにも奔走し、人のために尽して、七十五歳で他界しました。
 そんな両親に育てられたチエさんは、子や孫にも「真面目が一番」と教えています。
 家族は医者をしている長男夫婦と孫と次男の六人住まい。お嫁さんはイタリア人ですが、孫に笑われながらも変なポルトガル語で何とか通じているとか。
 林田さんは熱心な天理教の信者さんですが、信仰心は人を強くも、優しくもします。
 来年は日本移民百周年の年ですが、林田さんは両親が移民した二〇一〇年の自分にとっての百周年まで元気で生きて、もう一度、日本へ行き、先祖の墓参をしたいというのが、今の夢だそうです。


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