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     FOTO  (最終更新日 : 2015/01/16)
サンパウロ中央老壮会 大沢恵子さん [全画像を表示]

サンパウロ中央老壮会 大沢恵子さん (2007/12/08)
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漢口飛行場にて(左から2人目)
「民謡が何よりの生きがい」
 一九四二(昭和十七)年、十八歳の時、司令部付の従兄弟の勧めで、陸軍要員として中支の司令部にタイピストとして採用されました。
 司令部は江漢一路にあり、司令長官は畑大将でした。この写真はそんな時代のものです。休日に仲良しの同僚と漢口飛行場で写した物で、その日は特別の許可で上空から漢口市を見物させて頂いたそうです。
 戦況は激しさを増しており、緊張の日々の連続でしたが、そんな中でも楽しいこともありました。内地から色々な人が慰問に来てくれました。渡辺はま子さんが慰問に来た時は、服地探しを手伝いました。買って来た服地をその日のうちに衣装に仕上げ、夜の公演に着て登場した時にはその速さにびっくりしました。そしてその公演が終わった後でものすごい爆撃があり公演中でなくて良かったと思ったものでした。
 その後、渡辺さんがブラジル公演に来られた時は「ヨー戦友」と声を掛けれられ、懐かしさで一杯だったとか。
 大沢さんは終戦後、お兄さんが戦地で行方不明になり帰国できなかった為、家のあとを継ぐことになり、婿養子を取りました。
 御主人はシベリアから引き上げた後、東邦亜鉛という会社に勤めておりましたが、労働組合運動をしたため辞めなくてはならなくなり、一九六〇(昭和三五)年、子供三人と共にブラジルへ移住しました。
 しかし、渡伯一年で突然御主人が食中毒で亡くなってしまいました。悲しみにくれる間もなく一家の柱としてがんばらなければなりません。ブラジルに来る時、家、田畑を整理して来ていたので、すぐにはお金には困りませんでしたが、その後の生活を立てるため、バールを始めました。
 その後も色々ありましたが、子供たちは皆、大学を出て、それぞれ立派にがんばってくれているので、今は安心しているとのことです。
 大沢さんは一九二〇(大正九)年四月十四日生まれで今年八十七歳になりますが、毎週二回、老ク連の民謡教室に欠かさず元気に出席しております。得意は「喜代節」、「生内おばこ」などです。
 今は民謡教室に来るのが何よりの生きがいとなっているそうです。
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子供たちに囲まれて会食


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