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(最終更新日 : 2015/01/16)
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イタケーラ寿会 森田けさ子さん
イタケーラ寿会 森田けさ子さん (2008/04/08)
「おめでとう!百歳」
丹精こめた大輪の菊畑で(60歳の頃)
イタケーラ寿会会員の森田けさ子さんは長野県上水内郡小川村の出身です。一九〇九年二月八日生まれ今年百歳になります。先月二月二十四日には多数の親戚や寿会会員を招いて百歳の誕生日を祝いました。その席上お孫さん達が作ったけさ子さんのこれまでの道のりが紙芝居で紹介されました。以下は紙芝居からの抜粋です。
けさ子さんは実際は一九〇八年十一月の生まれだそうです。未熟児だった為出生届けは三ヵ月後の一九〇九年二月になってから行いました。家族は父高橋トシエ、母リツヨ、兄クニキチ、妹ノミエの五人でした。八歳の頃は従姉妹をおぶって学校へ通う毎日だったそうです。いくら小さな赤ちゃんでも「重たいもんだった」と振り返っています。その後、成人して農協に勤めておりましたが、ブラシル移住の話が出てきました。当時けさ子さんには好きな人がおりましたが、その人はブラシルに来る勇気が出ず、ブラジルに行ってもいいと言ってくれた森田ひさじさんと結婚。一九三四年に二十五歳で渡伯しました。
移民船「ありぞな丸」での航海は、船酔いで食事ものどを通らず大変でしたが、二ヵ月後の五月二十五日、漸くサントス港に着きました。ブラジル人の第一印象は「皆、目の大きな人ばかり。日本人みたいに目の細い人はいないんだなぁ…」と思ったとか。
そして、入植先モジ・ダス・クルゼスに向かい汽車に乗りました。窓外に続く広い平野を見ていてふと目にとまったのが里イモの葉でした。「ああ、ブラジルにもイモがあるんだなあ」と思うと、それだけで嬉しくなりました。モジでの生活は何もかも初めてのことばかりでした。畑仕事も大変な苦労で、食物に事欠く日々もありましたが、こんな遠いブラシルまで来たんだからぜったに負けまいとがんばり、一年後イタケーラに移転しました。
初めて作ったのは茅葺の家だったけれど幸せで一杯でした。しかし、最初に作付けしたトマトは大雨と雷で全滅してしまいました。それでもがんっばてトマトを植え、収穫したトマトを抱え子供を背負って六キロの道のりを町まで歩き、売り歩いた日々もありました。一九四〇年には肉鳥を育てることをはじめ、子育てと仕事とで目の回るような忙しさでしたが、充実した毎日でした。一九五〇年には「為せば成る」と決心して果樹栽培もはじめ、生活は軌道に乗り始めました。その矢先、一九五九年、苦楽を共にしたご主人のひさじさんに先立たれましたが、子供達に励まされ一九七〇年には元気で母国訪問し、懐かしい人たちと再会しました。
紙芝居の最後はけさ子さんのコロニアでの大活躍ぶりが語られ、締め括られています。
けさ子さんは数年前カーマから落ちて股関節を痛めた為、今は歩行器に頼っていますが寿会の例会には必ず出席します。目も耳もしっかりしていて時間があると新聞や読書をして過ごします。なかでもビデオケは大好きで得意は「さざんかの宿」だとか。
日本人移民百年の年に百歳を迎える森田けさ子さん。二人から始まったこの国での歴史も子供七人、孫十七人、ひ孫十四人と増え、玄孫も一人生まれました。これからも益々お元気でお過ごし下さい。
子供達に囲まれて100歳のお祝い
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