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     FOTO  (最終更新日 : 2015/01/16)
イタケーラ寿会 佐舗ゆきさん

イタケーラ寿会 佐舗ゆきさん (2008/07/15) 「お歯黒婆ちゃんの思い出」
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 私は静岡県萩原郡萩間村に生まれまして、十四歳のとき父に連れられてブラジルへやって来ました。船はハワイ丸で一九三四年十二月末神戸港を出港、翌年二月二十日にサントス港に着きました。家族は父母、兄夫婦に子供三人、それに八十歳の祖母、兄、私を入れると合計十人の大家族でした。八十歳の祖母が「一緒に行く」というと、日本に残った姉二人が祖母に「そんな年をして、遠いブラジルへ行かなくても、私たちが世話をするから行かないで」といったそうです。それでも気丈な祖母は「わしは見て貰うべき子に付いて、何処でも行くよ。人こて見ない(誰でも見ない)大きな船に乗って行くんだもの。わしは船の中で死んでもいいから行くよ」と言って、息子である私の父についてきました。船の中では船酔いもせず元気で、お正月はお祝いのご馳走を腹いっぱい食べて「本当に来てよかった」と言って喜んでいました。
 着いた植民地はパウリスタ延長線ドアルチーナの福寿植民地で古賀正倫さんのお父さんが経営するコーヒー園でした。コロニアの人々はみんな日系人ばかりです。みんなに優しくしてもらえるし、ブラジルには、みかん、バナナ、マモン等の果物がたくさんあり祖母は大喜びでした。
 祖母はその頃日本の老婦人がしていた、お歯黒(はぐろ)にして入れ歯を黒く染めていました。それを見た村の子供達が面白がって「ばあちやん歯を見せて」とせがむと「見たいかい、そうれ」と言って口を大きく開けて「ほうら、ほうら」と言うと、子供達は、わっといって逃げるのです。その逃げる子供たちの後姿が面白く、祖母は楽しんで黒い歯を見せていました。
 私たちの生活は、毎日コーヒーの手入れです。平常は草取り、収穫時期には手が痛くなります。ベネイラの扱いも大人より早く覚えました。祖母は家に残って家族が着る着物の継ぎあてをしてくれました。私たちは畑に行く前、祖母の針仕事が早く出来るように針があるだけ糸を通して家を出ます。明るい所で一生懸命縫い物をしている姿が今でも目に浮かびます。その祖母はブラジルへ着いて四年目に亡くなりました。私は祖母が亡くなった年を越しました。祖母を思い出すと涙が出ます。年を越すごとに昔が懐かしく思い出されます。
 お蔭様で今日まで元気に生かして下さりありがたい事です。毎日神様に感謝の日々を送っています。
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現在は植物学者の橋本梧郎(右)と再婚。記録映像作家の岡村淳氏(中央)の取材に同行して。


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