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     FOTO  (最終更新日 : 2015/01/16)
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セントロ桜会 土橋敏恵さん (2008/10/14) 「何でもござれの博多女」
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 土橋敏恵さん(旧姓・新富)は一九二四(大正十三)年生まれ、今年八十四歳になります。福岡県福岡市博多出身で、一九二九年十二月五歳半の時、両親に連れられ、兄弟姉妹合わせて九人家族で渡伯しました。
 敏恵さんの実家は代々建設業を営み、親戚からは貴族院議員も出ている程の旧家でしたが敏恵さんの父親は五男坊で一風変わった人でした。日露戦争が終わって誰もが日本へ引き上げる中、陸路馬でチベットに渡り、どういう手ずるを得たのか、チベット王に謁見したと言います。自由闊達(かったつ)、進取(しんしゅ)の気性に富んだ人でした。
 その後、海外興業会社に勤め、移民監督として何度もブラジルに来ているうちに当時、カフェーの好景気に沸いているカフェー成金を見て「よし、俺も」と移住を決心したと言います。
 ブラジルに着き、最初に入ったのはベベドーロ近くのボッタフォーゴ耕地でした。そこで十か月ほど義務農年を過ごし、すぐサンパウロ近郊のイタクアーに移り、お父さんは古巣の海興に通訳として勤めることになりました。移民船が着くたびにサントスへ迎えに出たお父さんは、船中で奥さんを亡くした人の乳飲み子や事情のある子供達を預かって帰って来ることも度々で、お母さんは赤ん坊のために山羊を飼い、親身になって面倒をみていたそうです。
 そのうち戦争が激しくなり、交換船で日本へ帰る話も出てきましたが、お父さんはブラジル生まれの子も含めて八人の子を連れて、戦下の日本へ帰るより、ブラジルへ残る決心をしました。「お陰で今があるのよ」と敏恵さんはお父さんの決断に感謝しています。
 海興が日本に引き上げた後は、農業で生活を立てなければならなくなりましたが「ママイもパパイも百姓はからきし駄目」で、兄さんと敏恵さんが中心となってエンシャーダを使い、アラードをかけ、水汲みでも何でもしました。「兄なんかより余程働いたものよ」。お母さんはいつも「敏恵が男の子に生れてくれば良かったのに」と言っていたとか。とにかく体力も気性も男顔負け。十四歳の頃、全伯少年陸上競技大会に聖市女子部の主将として出場し、百m、走り幅跳び、高飛び、砲丸投など出るものは皆優勝したというのですから、元気一杯の少女だったようです。
 日本人の女性で最初に運転免許を取ったのも敏恵さんだったとか。八十四歳の今でもこの混雑した聖市の道路を難無く走り回っています。
 敏恵さんは二十一歳で長野県出身の土橋正路さんと結婚しました。正路さんは当時、数少ない大学出の一人で、会計事務所を経営しており、敏恵さんの親同様に移住者の相談に乗り、力になっていたそうです。
 敏恵さんは子供に手が掛からなくなってからは、婦人会や県人会など日系団体の役員や手伝いをしておりましたが、お父さん譲りの冒険心が顔を出し、ぜひ世界を見てみたいと思うようになりました。そして考えたのが、十五人以上の人を集め団体を作り一人分を浮かせる方法でした。その上、五%の手数料も入り、小遣いにも困りません。この方法で南米はもとより北米、中国、ヨーロッパ、日本と世界中を回りました。もちろん、旅行先や道中の地理歴史をしっかりと勉強し覚え、その上、長い旅行には梅干や佃煮を持ち、電気釜を持参し、旅先でおにぎりを作ってあげる等の心遣いをしたそうです。
 敏恵さんは今まで一度も病気をしたことがないと言います。丈夫で気風が良くて、敏恵さんのお母さんではありませんが本当に女にしておくのが惜しい博多女性です。
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第1回全伯陸上大会に出場。エスペリヤ競技場にて。右端が敏恵さん


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