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(最終更新日 : 2015/01/16)
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サンパウロ中央老壮会 川崎二三男さん
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サンパウロ中央老壮会 川崎二三男さん (2009/08/11)
「今日をよく生きる」
妻・芳江さんとカンポスにて
節くれだった指に思わず、「働き者の手ですね」「あっ、この指ね、まだ骨が固まらない小さい時からカーボ(鍬の柄)をにぎって働き通したから、こんな風に変形しちゃって」と…。
川崎二三男さんは大正十三(一九二四)年十一月五日、北海道芦別市上芦別に生まれた。父は仙台、母は秋田からの開拓移民農家の出で、兄弟は男二人女一人、貧しいながらも幸せな日々を送っていた。ところが、川崎さんが四歳の時、木材を伐採中(ばっさいちゅう)のお父さんが切った木の下敷きになり亡くなってしまった。お母さんは仕方なく離婚暦(りこんれき)八回という男と再婚した。
新しい父は大酒飲みで、酒を飲むと女房、子供を殴り暴れた。母は耐え切れずに何度か子供を連れて逃げ出した事もあった。小学校六年を終えると、口減らしの為、母方の叔父さんのもとへ働きに出された。小さい体で大人に混じって馬を使って畑を耕し、飯前仕事、夜なべ仕事と休む間もなく働いた。しかし次の年、姉が結婚することになり、叔父は結婚式の羽織袴(はおりはかま)の為に五十円を借りたがそれが返せなくて、抵当の様に川崎さんは他の開拓者に渡された。
そこの家での仕事も厳しく、冬は凍てつく雪の下から木を掘りおこし、薪(まき)に切って束ね、売ったりした。「手なんかもうヒビ、あかぎれで痛くで痛くて感覚なんてなかったヨ」と語る。結局五ヶ月ほど我慢したが、あまりの辛さにそこを逃げることにした。姉にだけは逃げることを手紙で知らせ、以前母と父から逃げた名寄のデンプン工場を目指して山を越えた。持ち金はたったの十五銭、うどん一杯のお金だけ。
デンプン工場での仕事もきつかった。早朝から深夜まで、皆でデンプン乾燥所の上で寝るのだが熱くて垢だらけでシラミやノミが一杯いた。それでも「半年程働いて貰った金で弟にセーターを買って家に帰ったら、母親が涙を流して喜んでくれた。
家に帰ってからは山仕事と畑仕事をして働き、昭和十九年、十九歳で旭川連隊に入隊。送られた先は満州のシベリア国境に近いジャムス。そこにしばらく居て、台湾に回された。兵隊時代もよく度づかれたり、叩かれたりしたが、人間の体はつくづく強いもんだと思ったと言う。昭和二十一年三月には除隊して北海道に帰り伝(つて)を頼って三菱の上芦別炭鉱に仕事を得た。
昭和二十六年、妻・芳枝さんと結婚。子供三人にも恵まれ、父母も社宅に同居させ、老後のめんどうをみた。小さい時、あれほどいじめられた義父だったが人伝に「こんなに好くして貰って悪かった」と後悔していたと聞き、「孝行出来て良かった」と言う。
炭鉱では十二年働き、一九六一年、妻と子供三人で渡伯。サンミゲール・アルカンジョの奥に入植した。五十日程テント生活をして解散。ピエダーデに土地を借りて移り一年半、同郷の斉藤グランジャ(養鶏所)で二年程働き、イビウーナのコチア植民地に移った。
良作の玉ねぎで充実した日々
最初は何でも植えてみたが二年ぐらいしてセノーラ(人参)でだいぶ利益を上げることができた。農業は軌道に乗り始め、農作物の競作会ではトマテ、セノーラ、セボーラ(玉ねぎ)などで何度も優勝や入賞した。良い野菜を作ろうと思考錯誤を重ね、色々な農作業道具も考えて製作した一番充実した時代だった。
五十五歳の時、体調を崩したのをきっかけに商売に転じた。ファブリカ(工場)、ペスケーロ(釣り場)と息子も一緒に商売を伸ばしてくれたが、その矢先に息子は五十歳の若さで癌(がん)の為にあっけなく亡くなってしまった。先を楽しみにしていただけにがっかりしたが、これも運命と諦めている。
今は奥さん共々娘さんの家族と同居し、孫に囲まれ静かな日々を送っている。 まるで男性版おしんのような川崎さんの半生だがモットーは「今日をよく生きる」だそうで、「人に恥じることなく、これまで生きてきたと思っている」と元気に語ってくれた。
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