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(最終更新日 : 2015/01/16)
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スザノ福栄会 杉本鶴代(82歳)
スザノ福栄会 杉本鶴代(82歳) (2010/05/15)
「104歳 母の日によせて」(1934年渡伯)
母を囲んで左が私、右は弟の拓士
私の母は明治三九(一九〇六)年、宮崎県出店町に生れた。旧姓・安松光代と言い、十八歳で橋田家に嫁ぐ。昭和九(一九三四)年十月、母三十歳の折、父と祖母、子供三人(長女私、妹、弟)、母の弟と七名で「らぷらた丸」にて渡伯した。
船に弱い母はブラジルに着くまで半病人で祖母(七十歳)が「洗濯など一切して下さった」と時々話をしてくれた。
母はあの船酔いの苦しさから、もう二度と日本へは帰らないと話していた。
二年契約のコーヒー耕地での労働は皆と同じだったと思う。私は九歳だったので、子守をしていたが、母がいつも仕事から暗くなって帰り、それから炊事をするのを見て、私がご飯を炊くようになった。
コーヒー耕地の二農年契約を終えて、ソロカバナ線のベルナンデスの地に移り住んだ。
母はソロカバナの暑さに負けて死ぬか生きるかの大病をし、私も十二歳になっていたので、一生懸命(けんめい)看護をした。お陰でそれからは病もしない元気な母になった。
第二次世界大戦が始まり、サンパウロ州のモジダスクルーゼス郊外に移り住んで、新たに三人の子に恵まれ合わせて六人の子持ちとなった。仕事は養鶏(ようけい)を始めた。その頃、養鶏の全盛期(ぜんせいき)だったので、幸いだったと思う。
父が五十四歳の時、脳溢血で倒れ、母は七年間、父の介護に尽くした。長男が嫁を貰い、弟と養鶏を受け継いでいた。父が六十一歳で逝ってから、母はモジのコクエーラ植民地の婦人会に入り、すべてを息子達に任せて気ままに暮らしていた。
その頃、母はモラロジー(道徳の会)に入っていて、その責任者の森ドトールから訪日を勧められ、七十歳の時に実現。喜び勇(いさ)んで訪日した姿が今でも目に浮かぶ。
故郷では、母方の叔母たちが健在で、大喜びで迎えてくれたそうだ。母の弟妹も元気で、ちょうど沖縄博覧(はくらん)会が開催されていて、弟妹たちに連れて行ってもらったそうだ。
その後、八十歳になった時に母の弟妹が「訪日のお金を送るから、おいで」との便りがあり、元気だった母は一人で故郷に向かった。その時は、父の故郷、高知県へ弟と父の親戚を訪問。瀬戸大橋(せとおおはし)が開通したばかりの橋を渡ってきた。この際の訪日は半年間も母の妹の家で暮らしてきた。
母が八十八歳の時、弟の嫁の母が訪日することになり、弟は自分の母も連れて行った。故郷が同じ宮崎だったので、叔母のお世話になったとのこと。
船酔いの苦しさに二度と日本には帰らないといった母だけれど、飛行機という便利な乗り物のお陰で、三度もの訪日を果たすことが出来た。
九十一歳の頃と思うが、ちょっとした足の骨折をして手術を受け、完全に良くなったけれど、歩くのが怖くなって車椅子の生活となった。以後、そんな母を温かく見守り世話をしてくれている弟家族のお陰で、今百四歳の長寿を保っている。人手に任せず、家族の愛情と手厚い介護の賜(たまもの)であると感謝している。
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