ジャカレイ篇 (2003/06/16)
2003年4月27日(日)晴れ ジャカレイ市(サンパウロから約80㎞)にあるジャミック会館でのカラオケ大会で出店。タコヤキ屋の参加者は同地に住む櫻田さん、サンパウロ在住の篠崎くんと私(松本)の三人。櫻田さんの義父のツテで、ジャカレイ文化体育協会カラオケ部(後藤栄司部長)に話をつけてもらい、同婦人部の皆さんの協力を得てカラオケ大会での出店が実現した。
公の形で出店するのは久々のため、緊張の色を隠せない。 前日にサンパウロ市内にあるカンタレーラ(中央卸売り市場)でタコとネギを購入。篠崎くんと待ち合わせて松本の家で下準備。 家内の提言により、タコを圧力鍋で煮たが、これが大失敗だった。煮込みすぎて慌てて氷でしめたもののタコはベチョッとなり、はじめの大きさの半分以下に縮んでいた。不幸中の幸い、買ってきたタコは小ぶりもものが10匹と量が多かったので、1度にはゆできれず、3匹を残していたのが良かった。失敗に懲りた我々は、残りの3匹分は今度は普通の鍋で塩茹(ゆで)した。出来上がったものは、失敗した7匹分のそれと大して量は変わらなかった。 「このプリプリ感がタコというものですよ」と篠崎くん。 「まあ、何とかなるやろ」と言いつつも双方、顔を引きつらせながらネギ、紅しょうがを刻む。
前日にジャカレイの櫻田さんの家に泊めてもらって、当日会場に着いたのは朝の9時頃。すでにカラオケの音が外にまで鳴り響き、けっこうな数の人が集まっている。 「どうしたのー。遅いじゃないの。もう来ないかと思ったよ」とカラオケ部の人々の声。平謝りし、あいさつをしながら折りたたみの金属製の机を借り、早速準備にかかる。30分ほどで下準備も終わり、試し焼きがてら3台の機器全部に火を入れる。早くも珍しそうに覗き込む人の姿がある。出来上がったタコヤキを会場の世話してくれている関係者の皆さんに食べてもらう。婦人部の方々の感想は「味が薄い!」とのこと。久々で味加減のカンが判らない。塩とカツオだしを入れて調整する。 「何これ?」 「タコヤキです。メリケン粉を溶かして、その中にタコが入ってるんです」。 早目に会場へ来て歌い終わった人や自分の出演の順番待ちの人たちが早速、買ってくれる。ジャカレイは戦後移住者が比較的多く、タコヤキのことを知っている人も結構いる。 「ほんまにタコ入ってんの?」 「入ってますよ、ほらこんなに」 と鉄板を見せながら、景気よくタコヤキを回す。一般的に家庭用のタコヤキ器は火力が弱い。その苦い思いは2年前の郷土祭りの時に嫌というほど経験している。櫻田さんが買ってきてくれた火力強化機具の威力が発揮され、タコヤキは面白いようにクルクルと回る。 10人ほどが立て続けに買ってくれたが、昼食前になると、売れゆきはピタリと止まった。 我々は焦った。客が来ない。婦人部が用意したバイキング方式の昼食には長蛇の列が並んでいる。この日はタコヤキをするには少々気温が高い。このまま、客は来ないのか。我々の顔からは冷や汗が吹き出ていた。 と、昼過ぎからポツリ、ポツリと歌い終わった人たちが買いに来てくれた。 「帰りに家族に持って買えるために、包んでくれ」という。 いわゆる、パラ・ビアージェン(お持ち帰り)だ。「そうか、何もここで食べる人ばかりではないのだ」―。我々の胸は高鳴った。 そうした中、嬉しいのはお客さんたちの素直な反応だ。 「いやー、こんなところでタコヤキ食べれるとは思わへんかったわー」。 「もっとタコ入れてよー」。 「歌い終わったら、また買いに来るからねー」。 思わぬ反応が返ってくるものだ。 結局、午後5時にはタコがなくなったので、小麦粉はまだバケツの底に5分の1ほど残っていたが、閉店することにした。婦人部の人たちが「よく売れたね。美味しかったよ」と労(ねぎら)いの言葉をかけてくれたのが嬉しかった。
後から計算すると、この日は約80食分が売れた。最初の予定が100食だったため、まあまあの結果と言える。ジャカレイ文化体育協会の皆さん、どうもありがとうございました。我々の最初の挑戦は、こうして幕を閉じたのであった。
 | ジャカレイカラオケ会の皆さん、本当にありがとうございました。 |
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[今日の教訓] 客が来ない時に鉄板を上げ下ろししないで済むようチャッカマンが必要。タコヤキは小麦粉や具がこぼれやすく、会場を借りた人に迷惑をかけないよう、ビニールかダンボールなど床に敷くものがいる。火力は抜群だが、長時間、鉄板を空焼きし過ぎると、小麦粉がひっつきやすく、焦げやすい。次回は会が始まると同時に開始すること。タコは圧力鍋では煮ないこと。以上。
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