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たこ焼きマンが行く
     たこ焼き「旅日記」  (最終更新日 : 2009/05/25)
モジ・ダス・クルーゼス篇 [全画像を表示]

モジ・ダス・クルーゼス篇 (2003/06/16)  5月4日(日)うす曇り、体感温度十度。

 前回のジャカレイで紹介してもらったカラオケ関係者のツテを頼って、今回はモジ・ダス・クルーゼス文化協会会館で出店することに。一回目の教訓を生かして、会場には早めに着くことが義務付けられている。前日に泊めてもらった櫻田さんの家を出たのは午前6時過ぎだった。冷気が体を震えさせる中、「今日の寒さはタコヤキ日和やで」と内心ほくそえむ。車中、篠崎くんが「途中でトマ・カフェ(コーヒーを飲むこと)しましょうよ」とコロニア語で主張していたが、結局実現はしなかった。
 
 午前7時半頃、同会館に到着。まだ正式には始まっていないものの、すでに何人かがカラオケの練習をしている。関係者に出店場所を聞く。何と、表玄関の真横だ。その近くには水道もあり、「おっ!、今日の場所はわりかしエエところやん」と思った。が、後にそれが思いもよらぬ事態を招こうとはー。

 早速、店開きにとりかかる。昨日は櫻田さんの家でタコも鍋で茹でてもらい、櫻田さんの奥さんの献身的な協力もあるなど、下準備は万端だ。ただ、我々三人は、やってはいけない過ちを犯していた。というのは、この日の成功への思いが強すぎて、昨晩午前2時過ぎまで飲んでいた。誰もが二日酔いだった。櫻田さんは昨晩の酔いを体内に残しながら、珍しくハイ・テンションをキープしていた。

 午前8時からの開会となると、会館には人が増えだした。
 「さー、いらっしゃい! タコヤキですよ」ー。櫻田さんの声が飛ぶ。
前回同様、出来たてのタコヤキをまず主催者と婦人部の皆さんに試食してもらう。婦人部からはやはり「味が薄い」と指摘される。思い切って、塩とカツオだしを多量に混ぜる。ジャカレイで買ってもらった知った顔のお客さんもチラホラ姿を見せる。やはり、皆さんカラオケが好きなのだ。

 しかし、何故かサッパリ売れない。
 
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 「まー、まだ時間が早いんでしょ」ー。篠崎くんが自分を励ますようにつぶやく。しかし、それでも売れない。2時間、3時間たち、我々の表情にしだいに焦りの色が見え出した。とにかく、寒い。その上に風がビュービュー吹いている。タコヤキを作るのだが、櫻田さんが購入した火力強化機具の威力も発揮されず、風の勢いでなかなか焼けない。
モジ関係者のはからいで、大型掲示板や机を持ってきては防風対策を講じるが、大した効果は得られない。効果どころか、強風で掲示板が倒れてくるなど、とてもタコヤキどころの話ではない。
会場とは頑丈なガラス扉で閉鎖されている。ガラスにはマジックテープが施されているのか、外からは中の様子があまり分からない。我々だけがポツンと外界に取り残された気がしてならない。バケツにはまだ、なみなみとメリケン粉を溶かしたタコヤキの素が入っている。

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 「寒い、身も心も寒い・・・」ー。

 結局、昼前までに売れたのは、わずかに3皿ほど。我々3人は完全に打ちのめされていた。ガビーン。
 「何や全然売れませんなー」(松本)
 「最悪だねー」(櫻田さん)
 「もう帰りたい気分ですよ。これ、一人なら悲惨だよ」(篠崎くん)
まだ話す仲間がいるのがせめてもの救いだが、一同早くもギプ・アップ寸前の状態に陥っていた。
帰りたくても、迎えの車(櫻田さんの奥さん運転)が来るのは夕方とのこと。
 「(プロパン)ガスかついで帰りましょうか?」ー。
篠崎くんの溜息交じりの冗談が3人の胸に重くのしかかる。この間、櫻田さんが突然、歌手のマルシアのお母さんを発見(マルシアはモジ出身)。何故か大ぶりのゴヤバを2個もらってきた。

 正午近くになり、腹も減ってきたが、売上がないことを考えると、とても文協で販売されている弁当を買う気にもなれない。
 「どうせ売れないなら、自分達でタコヤキ焼いて食べようよ」ー。
開きなおった我々3人は、遂に商品であるタコヤキに手を付けるという最悪の事態を迎えた。
「もう、今日はこれを食べて店じまいしよう」と決め、景気良くタコヤキを焼き、食べ始めた。 と、その時だった。
 「タコヤキ、ちょうだい」
自分の歌を歌い終わった人が、実に数時間ぶりに注文をしてきたのだった。
 「い・・、いらっしゃいませ!?」
その客を皮切りに、一転してタコヤキが売れ始めた。実に20皿ほどが飛ぶように売れる。モジ関係者のマイクでのタコヤキ宣伝も効を奏した(ありがとうございました)。

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 「午前中のあの寒い思いは何やったんや?」
 
 午後1時頃、客足はようやく収まったが、客の反応が痛いほど嬉しい。
 「美味しい。私、日本でタコヤキ食べたけど何か甘かった。ここのは、日本のより美味しいわ」と言ってくれる、おばちゃん。
冥利に尽きるとはこのことだ。また、味見のために1個タコヤキをサービスしたお客さんからは「美味しいから、その(一個)分も払います」と言う人も。

 冷静になって会場の様子を見ていた櫻田さんと篠崎くんが、或ることを発見した。
 「客が来るのは(カラオケの)カテゴリーが変わる時と表彰式の時。それと僕がタバコを吸っている時」と篠崎くん。ようやく、我々3人の表情にも明るさが漂い始めた。そして、篠崎くんがある提案を持ち出した。それは、「このまま時間を延長して、夕食として家族にタコヤキを持ち帰る客を待とう」というものだった。この提案が見事に的中した。この日の超ファインプレーとも言える。

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 その後に客として来てくれたのが、日本でモデルをやっているというジャニーズ系の甘いマスクを持った木村俊二くん(24、3世)とその仲間たち。ガールフレンドの女の子(日系)は、「美味しい」と2皿も買ってくれた。また、大阪府堺(さかい)市にあるスーパー「イトー・ヨーカドー」で5年間働いていたという30代の日系男性は、「大阪でタコヤキを食べた思いが忘れられず、ブラジルで色々探したが見つからなかった。できたら、ここでずっと店だしてよ」とタコヤキが焼けるのを待ってくれながら感激してくれることしきり。思わず涙がちょちょ切れるほどの嬉しい反応だ。

 すでに周りは暗くなっている。気が付けば、バケツに満杯だったタコヤキの素はすでに底をついていた。
結果的には売上が前回のジャカレイより多かったことを、この時初めて知った。

 「午前中のあの時、もしあのまま帰っていたら、今の我々はなかったであろう」ー。

 長く苦しい一日だったが、我々3人は心地良い疲れを感じていた。午後6時半、この日の営業を終了。売上は当初の予想の100食を達成していた。この日、タコヤキを買ってくださった皆様、どうもありがとうございました。


 [今日の教訓]
 カラオケ大会では、歌いに来ることが目的のため、人が疎(まば)らにしか来ず、あまり売れないこと。タコヤキをポルトガル語で「BOLINHA DE POVO」と書いていたが、「POVO」は市民の意味で、タコは「POLVO」と表記するのが正解とのこと。どうりで客の反応が悪いと思った。防風対策を講じること。チャッカマンは正解だった。


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