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たこ焼きマンが行く
     たこ焼き「旅日記」  (最終更新日 : 2009/05/25)
サンパウロ(日本祭り)篇 [全画像を表示]

サンパウロ(日本祭り)篇 (2003/09/02) この項を書くに当たって先ず最初に記載しておかなければならないのは、ブラジル在住のフリーのジャーナリストで民族派思想家でもある、笹井宏次朗氏の協力により、たこ焼きマン基地として使用できるアジトがサンパウロ市内(アクリマソン地区)にできたことである。
アジトを辞書で引いてみると「Agitating Point の略: 左翼運動を指導する秘密本部、非合法活動家や犯罪組織者の隠れ家」とある。我々は左翼運動家や犯罪組織者ではないが、非合法活動家ではあるので、正にこれはアジトと呼ぶべき場所なのである。
このアジトは、元々サッカー留学生の寮であるので台所は広く、台所用品も全て完備、部屋は広く、ベットも数え切れないくらいある。たこ焼きグッズの格納やたこ焼きマンが泊り込みで仕込みなどをするには最適である。(勿論、宴会にも最適)
この場所をたこ焼きマン基地として使いたいという申し出を快く承諾してくださった笹井氏にはただただ感謝あるのみ、正に心意気の人なのである。

さて、笹井氏の心意気で環境は整ったが、それだけでは今回の大イベントには立ち向かえない。なにしろ前回までのイベントの10倍以上の売り上げを見込んでいるのである。とても1号、2号、3号の三人でさばける量ではない。ここはどうしても心優しき友人、妻達にご登場願わなければならない。酒、食事、口説き、なし崩し的な巻き込み、あらゆる戦略を駆使して集まって頂いたメンバーを心からの感謝を込めてここで紹介させていただきたい。
以下50音順、敬称略。

アビちゃん(仮名)
某公的機関の職員なので絶対に本名は明かせないが、明かしては立場上マズイ場所にばかり出没してしまう。アラブの王子様のような顔立ちで、なぜか最近「ウメボシ殿下」というアダ名がついた。

アライちゃん
現在、フリーのプログラマー。コンピューターで仕事をしているとはとても思えないアウトドア派サーファー系の人。風貌は椎名誠にそっくり。今回のイベントでは、文句を言う客を睨み付けて黙らせるという大役を任されることになった。

カジサコ氏
フリーのフォトルポライターにして、たこ焼きマンの心の友。ボソリという彼の一言でたこ焼きマンはいつも救われている。

笹井氏
別名「親分」。基地を提供してくれた上に、たこ焼きプロジェクトにも巻き込まれていただいた心意気と思想の人。宴会でのストリップとウンコ話を得意技に持つ。

3号の妻
名前通り3号の妻。日系三世ながら夫以上の過激な民族純血論を説く。柔道の授業中にダラケていた息子を「お前はそれでも日本人か!」と殴り付けたことはメンバーの間では伝説となっている。

じゅんこッピー
1号の嫁はん。アイドルはオナラをしないと固く信じている信念の人。好奇心は人一倍旺盛でメンバーの誰かが携帯で話しているのを見ると必ず「誰から?」と聞く。

助っ人ネーチャン1号エジナさん
 サンパウロ近郊のスザノ出身の日系三世(福伯村という日系移住地育ち)。日本には行ったことがないが、日本語はバリバリのお娘ちゃん。日伯両語を使いこなせ、ポ語力皆無の我々にとっては心強い味方。

助っ人ネーチャン2号ロベルタさん
 「アルバイトしない?」との誘いに快く引き受けてくれたハーフの日系お娘ちゃん。日本語は弱いが日本には興味深々。お祖父様が鹿児島県人。たこ焼きマンに維新魂注入。たこ焼きを食べたことがない彼女が本日の受付娘。(もちろんお土産にたこ焼きは持って行ってもらいました)

たまちゃん
ラベンダーの香りのする美女妻なのだが、なぜかメンバーに。野獣のような男を夫に持ってしまったことが、彼女の人生を変えてしまったのかもしれない。

フクモトさん
関西圏出身の某日系進出企業の社長さん。前日あった飲み会でたまたま2号に誘われる。「日本の自宅にタコ焼き器があり、家ではいつも焼き係りでした」と言ったことがアダとなり、ほぼ強制的に出場決定。自分の意志と関係なくイベントに巻き込まれていただいた人の一人。

以上、錚錚たるメンバーと共に、我々は最大級のイベントへと怒涛の勢いで突入していったのである。


2003年7月24日(木)前々夜祭の夜

規模的に前回までがライブハウス公演だとすると、今回はいきなり東京ドーム公演なのである。売れないライブバンドがいきなり東京ドームに出てしまうのである。いやが上にも緊張度、不安度は高まり、勿論、準備も大変なのである。従ってこのお話は前々日の夜から始まることになる。

この夜、ジャカレイ市在住の3号は妻を伴って、翌日早朝から始まる仕入れ及び仕込みのために車でサンパウロ入りすることになっていた。しかし早くもトラブル発生。3号の息子が高熱をだし、その看病のため明日の仕込み戦力として大きな期待が寄せられていた3号の妻が来られなくなったのである。
仕方なく、ジャカレイで安売りしていたメリケン粉30キロを車に積み込み3号のみサンパウロへ。
2号宅に保管してあったたこ焼きグッズをアジトに搬入。
そこでまたしても緊急事態発生。1号からも「風邪のため妻は明日は来られないであろう」との通達あり。
またしても予想外のトラブル。明日の午前中の準備は、二人の妻のみが戦力として目されていたのである。3号とカジサコ氏はその普段の生活態度から見てまったく役に立たないであろうという暗黙の了解があった。「明日の午前中の仕込みは捨てるしかないな」と口には出さないが誰もが思ったのであった。
搬入を済ませ、この日の夕食はたこ焼きマンお気に入りの中華レストラン「長城飯店」へ(上海料理が売りのガード下風の食堂)。妻がいなかったので家庭内セックスの話題で盛り上がる。トラブルにもめげず宴会だけは必ずするのがたこ焼きマンの特徴である。2号と3号はアジトに戻り午前3時まで※「ナターシャ」(焼酎のような味のするウォッカ)を呑む。深酒。

※ナターシャ:たこ焼きマン1号が弓場農場で発見した焼酎のような味のするウォッカ。学生時代に飲んだ安焼酎を彷彿とさせる懐かしの一品。飲み方としては「咽び泣くお湯割」と「めくるめく水割り」がある。貧乏酒飲みの我々にとっては欠かせないたこ焼きマンドリンクである。ちなみに今回は景気付けもあって事前に3リットル購入、アジトに運び込む。


2003年7月25日(金)仕入れ及び仕込みの一日

3号は年のせいで朝が早い。ムズがる2号を何とか起こして仕入れに出発。
市営市場でタコ、東洋人街でネギと紅生姜を無事購入。
この日に用意した材料はタコ30キロ。ネギ20束。紅生姜20袋。
金曜日ということで2号は本業の仕事に向かう。残された3号はアジトでモッソリとネギを刻みはじめる。やがてカジサコ氏が約束よりも大幅に遅れて到着。「まあ、ぼちぼち」などとつぶやきながら仕事に取り掛かる。「ネギだけ終わらせれば許されるよね」早くも言い訳めいた会話を交わしはじめる。その時、意外な助っ人登場。サーフィンに行くからと手伝いを渋っていたアライちゃんである。アライちゃんの活躍でネギは刻み終わる。ややホッとして休憩しているところに、笹井氏がなぜか鍋を持って登場。なんとメンバーに昼飯のカレーを振る舞ってくれるという。さらには夕食用のすき焼きの準備も万端だという。三人がカレーをかき回す笹井氏の後ろ姿に合掌したことはいうまでもない。弾みが付いて紅生姜の刻みも完了。2号に電話で報告をするとあまりの手際の良さに「本当にちゃんと切ったんですか?」と疑いをかけられるが、三人は午前中の予想外の戦果に満足しながらカレーを食べる。
昼過ぎ、1号、2号、たまちゃん、3号の妻が登場。1号と2号は会社を説得?し早退、3号の妻は、病気の息子、娘を実家に預けての登場である。(お祭り好きなのである)
大勢揃ったので気分は和み、一番大変なタコの仕込みも順調に進む。
アジトには中庭があるのでジャンジャン水を流しながらタコをさばいたので実に効率が良かった。
午後6時には準備を全て終了。前夜祭は笹井氏おごりのすき焼きで盛り上がるが、明日に備えて午後12時でお開きとなる。この日は3号夫婦だけがアジト泊、他のメンバーは帰宅。普段酒にだらしない3号も久しぶりの夫婦だけの外泊に緊張気味なのか素直に杯を置いた。その夜3号夫婦がどうなったか…。


2003年7月26日(土)晴れ /27日(日)一時雨のち曇りのち晴れ

 県連主催の日本祭り(第6回郷土祭り)に出店。二年前にも出店し、お客さんには申し訳ないほど並んでもらった。にもかかわらず、タコヤキの機器が家庭用のものを無理やり3つ並べたため、当日の寒さもあり思うように焼けず、心身ともにメロメロになった思い出があった。今回も無謀にも同じ家庭用のタコヤキ機器を使用。
しかし、二年前の教訓を生かし、火力を強くする特別装置を我々は付けていた。日本祭りは今や、万単位のお客さんが詰めかける日系社会でも最大級のお祭になっている。半端な気持ではできない。
我々一同は、この日のために周到な準備を重ねて臨んだのだった(前々夜祭の夜参照)。チャリラーン。

 ドゴンドゴンドコドコドン ♪風の中のすーばる~(NHKプロジェクトXテーマ曲、「地上の星」より)以下略。

 26日午前8時半、現場に到着。この日、メンバーは増強されており、1号(松本)、2号(篠崎)、3号(櫻田)の三人以外に、親分の笹井氏、無理やり連れてきたアライちゃん、カメラマンのカジサコ氏、元日本語教師のたまちゃん、3号の妻、1号の嫁はんのじゅんこッピーの9人という豪華メンバーが顔を合わせた。

 2年前と同じく兵庫県人会のブースを使わせてもらう。同じブースにはアリアンサ(サンパウロから約600キロ)から来ているユバ農場の人々が自分たち手作りの味噌、漬物、ゴヤバ(グアバ)のジャムなどをすでに昨日の金曜日から気合を入れて販売している。
が、この日のこの時間、まだユバの人々は来ていない。ブースには扉があり、何と、ちゃちくても鍵がかかっているため、中には入れない。一同待ちきれず、身の軽い者が高さ1メートル30センチほどある正面カウンターを乗り越えて、次から次へと持って来た道具を運び込む。そうこうするうちにユバの人々が登場。
我々はなぜかテレ笑いしながら「ヤアヤア、おはようございます。今年もよろしくお願い致します」などと、正月早々のようなあいさつを行う。
 
 まずは会場設定。持参したスチールの机にタコヤキ機器三台を置き、ガスをつなぐ作業が行われる。同時進行でメリケン粉を溶く作業を1号が担当。装飾用に持って来た神戸市の街が描かれた風呂敷(以前、兵庫県関係者がブラジルに来た時にお土産でもらったもの)、「一番」と書かれた提灯(今年の岐阜県の高校生農業実習生たちにお土産でもらったもの)、松本がこれまでに撮影したユバ農場やブラジルの人々の写真(メンバーから写真展示を行うように事前に指示をされていた)などの飾り付け作業を女性陣が行う。

日本祭り1.jpg

 タコヤキの素が出来上がると、早速試し焼き。すでに時間は午前9時半頃。「何、売ってんのやろ?」と不思議そうな顔したお客さんたちが、タコヤキに興味を見せ、買ってくれる。受付を女性に任せたのには訳がある。ブスッとした表情で愛想の悪いオッサンたちが前面に出ては、お客さんたちは怖がってしまう。それに、会計が面倒くさい。男衆は皆、奥の方でタコヤキ機器を囲んでいる。しかし、その姿は他人目で見れば、いかにも無気味だ。イカツイおっさんたちが小手先でコチョコチョ何をやっているのかと人には思われるかもしれない。しかし、これこそが客の目を引く最大の武器だったのだ(ほんまかいな)。
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 「アレ、なんやろう」
 「さあな、でもエエおっさんたちが、何や一生懸命焼いとるで」
と、日系人やブラジル人が言ったかどうかは知らないが、ガラスの外側で興味深そうに足を止めて見入っている人たちが確かにかなりいた。

 実際、昼時間になるとメシもまともに食べられないほど、メチャ多忙となった。二年前は、1日に約50リットル入りバケツ3杯分ほどが売れたが、今年はそれを軽く上回る。昼過ぎには早くも3杯目を超えていた。粉を溶いても溶いても減っていく。嬉しい悲鳴とは、このことだ。その間、知り合いなど色々な人たちが入れ替わり立ち代わりカウンター越しに来てくれるのだが、まともに相手もしていられないほど忙しい(皆さん愛想がなくて、申し訳ありませんでした)。ジャカレイやモジで暇を持て余していたことが嘘のように思えるほど、売れに売れた(皆様のご協力に感謝します)。
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 昼には事前に兵庫県人会の方々と約束していた通り、兵庫県出身のブラジル大使・池田維氏と記念行事のために来伯している藤本和弘兵庫県副知事も来てくれた。タコヤキをサービスする。

 昼過ぎには買っておいたメリケン粉が早くも足りなくなりそうだった。この日は昼までの約束というアライちゃんに、やはり昼までという約束だった3号の妻とともにパウリスタ大通り付近まで送ってもらう。そこでそれぞれ分かれ、1号はスーパーでメリケン粉(20キロ分)、玉子、つまようじなどを買い増した。

日本祭り4.jpg
 アライちゃんと入れ替えに駐在員のフクモトさんも焼き手として来てくれた。関西出身というだけあって手つきは慣れたもの。大型助っ人参加に一同喜ぶ。しかし、それ以上のこの日、超ファインプレーをやってのけたのはアライちゃんだ。当初は「えっ、自分も参加するの?冗談よしてよ~」といったノリだったが、メンバーの強引とも言える説得で、タコヤキをやらざるを得なかった。そんなアライちゃんだったが、終始無言で手を動かし続けている。初めてやったとは思えないほどの器用さで、タコヤキをクルクルと回していく。

 実は二年前、同じ祭りで初めて公の場所でタコヤキをやるとなった際、親分の笹井氏は、東洋街にある馴染みのビデオ屋で、「愛の○○大作戦」という番組のビデオを借り、我々一同に巡廻、半強制的に見させた。その内容は、年商一億を越える売上を上げているという大阪のタコヤキ屋に職を失った中年の男性が修行に行った話。女房に別れられ子連れの中年男性は、店の主人たちにクソミソに言われながら、プロなら可能と言われる「(タコヤキの鉄板の)3面焼き」ができるまで挑戦するという愛と涙の物語なのだ。その中で、元自衛隊だったというプロの親方は「タコヤキというのは外側カリカリ、中はトロリが原則」と強調。この言葉が我々の脳裏に刻まれ、合言葉のようになっていたのだった。

 そこで話は元に戻るが、アライちゃんは難なくこの掟(おきて)をクリア。皆の賞賛を買っていた。また、ほかの人の活躍も見逃せない。親分の笹井氏は、人の気が付かないところに行き届き、メンバーのために他のブースで販売している食料を買ってきて補給してくれたり、手の足りないところを手伝ってくれたりと、あえて縁の下の力持ちに徹してくれる。また、カジサコ氏、3号も怖いくらい無表情で黙々とタコヤキを回し続けている。フクモトさんは駐在員という肩書きをこの日だけはかなぐり捨てて、タコヤキを回すことに没頭してくれる。二年前には泥酔した2号も今年は真剣そのもの。チームリーダーとしての責任感がこの日の顔に出ていた(ほめ過ぎか)。文句も言わずに会計を担当してくれた3号の妻、助っ人ネーチャン1号エジナさん、助っ人ネーチャン2号ロベルタさん。受付のたまちゃん、じゅんこッピーは笑顔を浮かべて男衆にはできないお客さんとのやり取りをしてくれる。メンバーの息が自然と合い、皆、忙しくても、どこか嬉しそうだ。この日、焼き手が多いためにタコヤキを回す「タコピン」が足りなかったが、割り箸で代用するなど、何とか事なきを得た。

 結局、皆の努力で二日間にわたって実に約1400食分が売れた。終盤駆けつけてくれたアビちゃん、突然乱入してくれたヒラマくん、差し入れをしてくれたオイスカのワタナベさん、自分の店で作ったチラシ寿司を持ってきてくれたフジタ・エミさん、隣で色々と気を遣ってくれたユバの皆さん、それに誰よりも、この日、並んで買っていただいたお客さんたち、ありがとうございました。


[今日の教訓]
 メリケン粉を溶くには、電動大型ミキサーがほしいところ(ぜいたくな!)。次の日の筋肉痛を避けるため、普段から身体の練磨が必要(飲酒で肝臓は鍛えているが)。やはり、家庭用タコヤキ機器で大量生産するには限界がある。タコピンは人数分揃えること。


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