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たこ焼き「旅日記」
(最終更新日 : 2009/05/25)
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- 番外、たこ焼き、牛タン・パーティー(本番
篇)
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サンパウロ(日本語祭り)篇
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サンパウロ(日本語祭り)篇 (2003/10/22)
2003年10月5日(日)快晴
日本語教師の養成、教師同士のレベルアップを図ることなどを目的とした団体「日本語普及センター」。毎年のスピーチ・コンテストのマンネリ化を避け、ブラジルで日本語を勉強している子供たちに少しでも日本の祭りの雰囲気を味わってもらうことを目的に、今年初めてセンター主催で「日本語祭り」を開催した。我々は、センターからの依頼もあり、「タコ焼き」という日本文化を広く一般にも知ってもらうため、売上を度外視した上での活動をこの日、実行したのだった。
日本語祭りでは、教師によるオペレッタ(小歌劇)をはじめ、絵画・作文などコンクール受賞者の作品がセンターの会場内に張り出され、午後からはメインのスピーチ・コンテストなど、様々な催しが行われることを事前に聞かされていた。開催1週間前、食券の前売り販売数は同時点で約200枚。センターの事務局長からは、「タコ焼きの数を多目に見積もってもらって、とにかく、食券を買った人の分が足りなくなることは避けてほしい」と言われていた。しかし、何分初めてのイベントのため、どれくらいの人々が集まるのか、主催者側でさえ検討がつかない。結局、350食分をこちら側で用意して臨んだ。
今回のメンバーは1号(松本)、3号(櫻田)、笹井さんと1号の嫁の4人。前回と同じく、南米神宮から借りたプロ仕様のタコ焼き機器を持参。この日、センターには食べ物と言えば、メインとなる教師たち手作りのカレーライスと我々のタコ焼きしかないという。イベント開催時間の一時間半前に現場入りした我々だったが、すでにロンドリーナ(パラナ州)から来たという人々が早くもセンターに到着しており、玄関先で待っているのことには驚かされた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」と業者のような顔でセンター関係者にあいさつしながら、早速、準備に取りかかる。横でカレーの準備をしていた教師たちは、インド人にカレーの作り方を教えてもらったというツワモノだ。
ここで思わぬ助っ人を事務局長の丹羽(にわ)さんが紹介してくれる。何と丹羽さんの別嬪(べっぴん)さんの奥さんとその子供たち。この日のために丹羽さんは、自分も含めて5人の家族全員を投入。その意気込みのほどが伺えた。しかし、いいようにコキ使われる家族はたまったものではないと思うのだが・・・。
遠慮の知らない1号は一応、「えーっ、ほんまに、よろしいんですか?」と問いかける。
丹羽さんは「いいから、いいから、好きなように使ってやてください」という。我々は素直に好意に甘えることにした。
日本語祭りでは前述のように様々なイベントが目白押しとなっている。昼間の一時(いっとき)に食べ物の場所に人々が集中し、混雑することは目に見えている。そこで、今までやったことがないある試みを行うことになった。
それは、タコ焼きを出来る限り多く事前に作り、イゾポール(発泡スチロール)の大箱に入れておくといったものだ。最初は「そんなことをすれば、タコ焼きは食べる時には冷めてしまい、形がペッチャンコに潰れしまうのでは」という危惧があった。しかし、やってみれば、これが大きな効果を発揮した。イゾポールの箱の中にアルミホイルを敷くと、更に保温効果が高まる。出来たタコ焼きを次々に入れ、皿に入れて重ねておく。こうすれば、ちょっとやそっとじゃ冷めないことも分かった。何より、客に合わせずに、自分のペースでタコ焼きを焼くことができるのが嬉しい。
この日も朝からテンションの高い3号。鉄板の前で「宝石のようなこの焼き上がり。至極の品ですな」と、自画自賛。しかし、タコ焼きを回すその手つきは、いつになく冴え渡る。丹羽さんの奥さんも初めてにしては上出来で、他のメンバーの焼く手つきを見よう見真似で覚えている。終始無言でタコ焼きを回す面々の中で、ハイテンションをキープし続ける3号のしゃべりには、思わず笑ってしまう。サンパウロ近郊のジャカレイで日本語教師をやっていた経験を持つ3号は、「何か久々だよ、この雰囲気」と意味深(いみしん)な発言。日本語教師のみが知る独特の雰囲気を言っているのだろう。「とにかく、名前を知らなくても『先生、先生』と言っておけばいい」という声もあるほどで、なるほど、買いに来るお客と言えば、作品コンテスト入賞者やスピーチコンテストに出場しに来た子供たち以外は、ほとんどが日本語教師ばかり。それも女性のベテラン(以前に「初老の教師」と記事に書いて怒られたことがある)が多い。
午前10時半頃、第一回目のピーク。1つの催しが終って人々が押し寄せる。イゾポールに保存していたタコ焼きもあっという間になくなり、列ができる。小さな子供たちがタコ焼きに興味を持ち、「美味しい」と目を細めて食べてくれるのが何より嬉しい。「このイベントに呼んでもらって良かった」と思える瞬間だ。
次のイベントが始まったため、客足もおさまる。第一次ピークが予想以上にすごかったため、休んではいられない。昼間に予想される混雑に控えて、イゾポールにドンドコ、タコ焼きを入れなければならない。
この日、タコ焼きには1種類、具が増えていた。ある日本語教師が「タコ焼きなら桜エビ(小エビ)を入れた方が美味しい」と1号の嫁に事前に手渡していたのだ。あまり、量がないために、最初はほんの少しずつ入れていた。が、最後は、この桜エビが我々の活動を助けることになろうとは!
昼前には取材をある程度終えたS紙の平間記者が、タコ焼きづくりを手伝ってくれた。これでメンバーは6人へと増えた。イゾポールの中のタコ焼きはほぼ満タンの状態になりつつある。昼食の時間になり、客足は自然と食い物の場所へと向く。メインのカレーライスとともに、我々タコ焼きのブースにも長蛇の列ができだした。半時間とたたない間にイゾポールの在庫分はカラッポ。事前に食券を買っているお客さんには、焼き上がるまで待ってもらうしかない。第一次ピーク以上に、どっと人が混んでくる。3号は相変わらず「タコ焼きどっと混む(ドット、コム=.com)」とウェブデザイナーらしいシャレを飛ばし、絶好調だ。
と、ここである重大な事態に気付いた。肝心のタコが残り少ないのだ。主催者側から「あと、どれくらい焼けるのか」と聞いてくる。「あと50皿ほど」なので、当日券の発売を慌てて中止してもらった。もうすでに、270~280食前後は売っていると思われるが、まだ前売り券を持っている人がどれくらいいるのか検討がつかない。まだ、タコ焼きを待つ行列はできている。ノンストップで焼かざるを得ないのだ。
ようやく、列も少なくなりだした時、いよいよ最後のタコも他の具も無くなった。しかし、前売り券を持っていた人がまだ数人はいたのだった。
「どうしましょうか?」
「桜エビを大量に入れて、エビ焼きにするしかあるまい」
我々の一致した判断により、急きょ、エビ焼きを焼くことになった。
タコがない分、桜エビとともにネギや紅ショウガもふんだんに使用する(あまり嬉しくないかも)。
結局、この日、バケツ三杯分のメリケン粉を溶いたタコ焼きの素もなくなり、早くも午後2時過ぎには閉店した。
最後の方でタコが入ってなかったお客さんたち、食券を持っていたにもかかわらず売切れのためタコ焼きを食べることができなかったお客さんたちには、大変ご迷惑をかけました。
しかし、あとで食券数を勘定してみると、当初の予定の350食を超えていた。恐るべき日本語教師のパワーと日本語普及センターのイベントの威力を見せ付けられた気がした。もし、来年も呼んでもらえる機会があるとすれば、その時には今年の教訓を生かしたいと我々は心に刻み、センターをあとにしたのだった。
この日、タコ焼きづくりを手伝っていただいた丹羽さん家族、飲物をお客さんに渡すなど協力してもらったフジタ・ミエさんをはじめとする若手日本語教師の皆さん、本当にありがとうございました。
[今日の教訓]
イゾポールは今後、他の場所でも応用できそう。タコの具は予定より多目に準備すること。(混ぜたしょうゆがイマイチだったので・・・)ソースにはしょう油を混ぜないこと。ヤケド用にいつもアロエを持参すること(1号妻負傷)。
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