弓場農場(番外篇) (2004/03/22)
2003年4月 (気分は)快晴
4月の復活祭の連休を利用して、サンパウロから北西に約600キロ離れた弓場農場でタコヤキをやることに。今回は出店ではなく、弓場農場に住む人々にタコヤキを食べてもらうことが目的だ。 サンパウロ在住の弓場関係者で、タコヤキの際にはいつも何かと協力してもらっているチヒロさんに依頼されたことによるもの。
鉄板の持ち運びが大変なので、家庭用の24玉のものを1機サンパウロから持っていこうと思っていたら、何と弓場農場には手作りの鉄板があるという。それもそのはず、弓場農場の創始者・弓場勇氏は兵庫県名塩(なじお)の出身だったのだ。タコヤキの元祖とも言える(その辺の詳細は知りませんが)明石焼きは兵庫県の名物だったことにあとで気づいた。
肝心のタコは、チヒロさんが事前に買ってくれていた。タコの刺身もできるほどの大ダコだ。タコヤキを実行したのは、週末の昼過ぎ。おやつの時間に合わせて作らせてもらった。
まずは材料づくり。約70人分のメリケン粉(と言っても大体だが)を溶く。同行した元サンパウロ新聞の同僚だったコンタニ氏と奥さんのタマちゃん、サンパウロの企業駐在員で元日伯毎日新聞(現ニッケイ新聞)の同僚だった田辺くん、1号(松本)の嫁のオオクボには、紅ショウガやネギを刻んでもらう。
弓場農場では、3度の食事の際にはいつも一度きに70人分のメシをつくるので、台所と言ってもハンパな広さではない。そこに大鍋や大お玉じゃくしがいくつも並んでおり、心は小学校時代の給食のオバチャンになった気分だ。
材料の準備も整い、いよいよ焼く段階になって初めて弓場製のタコヤキ機器を見た。何と、業務用ガスコンロに合わせて、鉄板が円形になっている。しかも、タコヤキを焼く丸い穴以外に、ところどころ小さな穴があいている。聞けば、機器は鉄板ではなくアルミ製で、近所の鉄工所で特別に作ってもらったらしい。また、小さな穴は熱の伝導をよくするためだとか。
早速、試し焼きをしてみる。と、業務用ガスコンロの周りには、弓場の子供達がすでに取り囲んでいる。こちらが指示しなくても、もうすでに子供達が勝手に焼き始めている。しかし、その手付きはタダモノではない。あれよあれよという間に、クルクルとタコヤキを回していく。それにタコピンも自家製。木切れに、ぶっとい5寸釘を突き刺しているような、ゴツイものだが、それでもタコヤキは回せるのだ。
再び聞いてみると、毎年第一アリアンサ移住地の盆踊りの時にはタコヤキの屋台を出し、子供達が率先して手伝っているという。その時の売れ行きは凄まじいらしい。祭り、盆踊りと言えば、昔からタコヤキの屋台は付き物。日本の懐かしい風景は、ここアリアンサ村でも生きているようだ。
子供達に交じって実際にタコヤキを焼いてみる。確かにアルミ製でも火の通りはよく、あっと言う間に焼ける。それと普通の鉄板に比べて、くり抜いてある穴の奥行きが深い。そのため、溶かしたメリケン粉をアルミ板にナミナミと注ぐと、多少ひっくり返すのは往生するが、卵のような楕円形のタコヤキができて面白い。こちらがタコヤキを振舞っているというより、子供達に作ってもらっているという気分だ。
タコヤキを焼いている反対側では、弓場の女性陣が平らな鉄板の上でミニホットケーキを焼いている。その手付きも慣れたもので、タコヤキは子供達に任せてホットケーキをご馳走になる。
何とかタコヤキも無事終わり、弓場の皆さんには「美味しかったよ。ありがとう」などと声をかけてもらったが、実はその大半は弓場の子供達が焼いたものだったのだ。こちらこそ、どうもありがとうございました。
我々はこの貴重な体験を踏まえて、次の出店に生かそうと心に誓ったのだった。ジャジャーーン。
[今日の教訓] タコヤキの鉄板とタコピンは、工夫しだいで作れるのだ。今後、地方の盆踊りに出店すると言う手もある。(移動が大変だが)
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