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たこ焼きマンが行く
     たこ焼き「旅日記」  (最終更新日 : 2009/05/25)
2004年日本祭り(準備篇) [全画像を表示]

2004年日本祭り(準備篇) (2004/08/16) 2004年7月22日 (心はドン)曇り 23日(金)小雨のち晴れ

 年々、規模を拡大する県連(県人会連合会)主催の日本祭り(郷土食・郷土芸能フェスティバル)。今年は7回目を迎え、昨年に引き続き、またもや兵庫県人会(尾西貞夫会長)のブースを借りて出店した。今年の出店は7月23日から25日までの3日間。日系社会でも最大の祭りと言われる同イベント参加に、当初は戸惑ったが、炎天下の日本に一時帰国していた親分・笹井さんからの「今年も参加するんだろ」との一言に、メンバーたちの気持ちは決まった。しかし、久々のたこ焼きマン出動に、当初の教訓はまったくと言っていいほど生かされておらず、トラブルの連続。そして、思いもよらない成果。てんてこ舞いの活動を、我々たこ焼きマンたちは、何とか乗り越えることができたのだったが、果たしてその顛末(てんまつ)は・・・・。♪風の中のすーばる~(NHKプロジェクトXテーマ曲、「地上の星」より)以下略。

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(前説)

 昨年12月の東洋祭り以来、公の場でたこ焼きを実践していなかった我々にとって日本祭り出店は、ボクシングの「明日のジョー」風に言えば、東洋チャンピオンだったウルフ金串が、矢吹丈にアゴを砕かれていながら、ろくに練習もせずにいきなり世界戦に挑むような心境だった(意味がよく分からないと思いますが、ご了承のほどを)。

 気合を入れて臨んだ昨年と違って、今年は会場内の兵庫県人会のブースがどこにあるのかも分からない状況。取材兼ねがね県連の会議に出席した1号だったが、祭りのその日になって実際の場所を確かめたほどのザマだった。

 日本祭りへの出店が決まり、1号(松本)、3号(櫻田)、カジサコさん、アライちゃん、1号の嫁オオクボたちはリベルダーデにある日本食BARで会合。「もはや、昨年のように一般用たこ焼き機器使用だけでは、追いつかない」というのが話題の中心だった。

 「しかれば、南米大神宮の逢坂さんからプロ用機器を借りるのか」
「しかし、そうすればタコヤキの大きさが違う。大きさを分けてしまうと、注文を受ける際に手間がかかるし、ややこしい」という問題が生じた。飲み会を重ねるものの、結論が出ないまま、日々が過ぎた。

 そうした中、「今年は初日の金曜日も夕方頃に出店し、先に必要機材などの荷物を運び込んでしまおう」との案が挙がった。

 「材料を用意するだけでも大変なのに、金曜日に出店する時間があるのか」―。そう1号は思っていた。
 「まあ、どうにかなるやろ」―。1号の頭の中にはウルフルズの「ええねん、ええねん、どうでもええねん」という曲がグルグルと廻っていたが、現実的には「どうにも、ならなかった」。

 結局、逢坂さんからプロ用機器を借り、家庭用機器と合わせて併用。無謀にも「今年はとりあえず、フル装備で焼いてみよう」と短絡的に話が決まったのだった。

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(準備編)

 昨年売れたのが1400食。今年もそれを目標に、下準備を進める必要があった。まずは皿(舟)の買出し。サンパウロの問屋街地下鉄サン・ベント駅付近にある「3月25日街」へと向う。昨年、前衛で注文を受けていた女性陣からは「パラ・ビアージェン(持ち帰り客)の場合に、いちいち二つの皿を重ねたりするのは面倒なのよね」との声を聞いていた。それを考慮しながら、最近サンパウロで中国人屋台(露天)がヤキソバ用に使っている「ハンバーガー風フタ付き」の入れ物にしてはどうか、との案が3号から挙がっていた。

 「とにかく、ブツを見に行きましょか」と、問屋街を歩くこと数時間。3号が言っていた格好のブツを店内で見つけた。しかも安い。
 
 「本当にここで大量に買ってしまっていいんですかね」と3号。「今、買ってしまわな、もう時間ありませんで。いてまえ、いてまえ」と「近鉄いてまえ打線」にあやかって、フタ付き皿を1200個分購入。「アジトにある残りの皿と合わせれば、何とかなるやろ」と強引に決めた。救援部隊として3号の連絡を受け、途中からカンタレイラに来てくれたアライちゃんの車に乗って、三人は一路アジトへ。

 実はこの日は、カンタレーラ(中央市場)も近いことだし、タコの仕入れ具合も確認していた。
 店内は7月現在、マルタ市長の画策で改装中だが、夕方だというのに何軒かの店は開いており、我々が望んでいたお手頃のタコがそこには並んでいた。

 3号が「今はタコは多く入る時期なのか?」と店屋のブラジル人アンちゃんにポ語で聞くと、「テン・バスタンテ(どっさり、ある)」との答え。
 「今日買ったら、タコの新鮮さがなくなる」と我々は引揚げたのだった。しかし、このことが後で大きな問題になろうとは。ガビ~~ン。

 祭り開催前日の木曜日、主役となるタコを買いに再び、1号と3号は中央市場へ。「金曜日から出店するなら、もうタコも買ってしまおう」という考えだった。しかし、夕方近いこともあってか、店は一軒しか開いていない。タコもこの前来た時の倍の値段で、品物もあまり良くない。

 昨年、2号(篠崎、現在マナウス在住、永久欠番)が事前予約としてタコ30㎏分を注文していたが、結局、注文は通っておらず、その日に直接買っていたことを聞かされていた。ブラジルはそういう曖昧(あいまい)な土地柄。予約などしてみても意味の無いことは、すでに分かっていた。

 「明日の朝早く来て買いましょう。もうそれに賭けるしかない」と3号。我々は意気消沈して市場を後にしたのだった。

 そして、翌朝23日の午前6時半・・・。

 「今日はさすがに店も開いているでしょう」とアジトに泊った3号は、眠い眼をショボつかせながらまだ暗いサンパウロの街に車を走らせる。我々の心境を物語るように、空は朝から小雨模様。「やはり、市場は朝ですよ」と1号も自分を勇気つけるかのように一人言をつぶやく。

 カンタレーラ到着。1号、3号、オオクボの3人は、いち早く車を出て場内へ。店は数軒開いているが、肝心のタコは昨日行った一軒の店にしか置いていない。値段も倍のまんま。それもタコは昨日のままの状態であるかのように、バットの中に納まっている。二日酔い気味の頭が、一気に現実に戻った。
 
 「・・・・・」

 我々の賭けは見事に外れた。

 「これしか無いんなら、これを買うしかないでしょう」―。

 半ばヤケ気味にタコ40㎏分を兄ちゃんに注文。不幸中の幸いは、何とか40㎏ものタコを買えたことだった。一同、無言でアジトへの道のりを帰って行ったのだった。
 (つづく)


 [今日の教訓]
 タコは買える時に買っておくこと。「どうにか、なるやろ」は「どうにも、ならない」ことを改めて実感。

中央市場01.jpg
改装中の中央市場前景
中央市場02.jpg
改装中ながらも営業中。こうして見ると以外にオシャレな感じ


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