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たこ焼きマンが行く
     たこ焼き「旅日記」  (最終更新日 : 2009/05/25)
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2004年日本祭り(本番完結篇) (2004/09/26)  7月24日(土)朝から快晴

 初日の売れ行きが良かったことに気をよくした我々は、二日目の24日、午前8時にアジトに集合。タコなどの具を持って張り切って現場へと向った。

 昨日、たこ焼き機器のL字型の設置では動きにくいと、今度はプロ用と一般用機器を並行に起き、その間に人が入れるように工夫した。そのことが知らぬ間に「1軍」と「2軍」というように焼き手を分かれさせたようだ。「1軍」はプロ用機器でブースの前衛でタコピンによる手さばきを見せ、客に興味を持たせる人たち。「2軍」は一般用機器を囲むように怪しげに焼く人たち。しかし、焼き易いのは全体に火の通りが良いプロ用の機器だったのだ。つまり、誰がやってもプロ用のは上手いこと焼けるのだった。

 例年通り客が並んでは大変とドンドンたこ焼きを焼いていくが、何故か昼前までは客足が遅い。
 「あれ、おかしいな。去年は今の時間帯やったら、ドッと混んでたのに」―。 ふと、2軍の方を見ると、黒焦げになったたこ焼きが山のように皿に積まれている。
 「おいおい、皆さん、火の調整せな、あきませんで」と1号。
 「はいはい」と言いながら、焦げたたこ焼きをバクバクと食べ続けるマサ。
 「おいおい、商品に手をつけたらあきませんがな」と言いつつも、「まあ、焦げすぎて商品にならんのやから、しゃーないか」と思いながら、メンバーひとりひとりに昼飯代を渡す。ところが、やはり例年通り昼になると、「早くメシ、食わさんかい」とばかりに目がマジになっている客たちの列があちらこちらのブースで長くなっている(食物の恨みは怖いのですよ)。とてもこちら側が昼飯を食っている場合ではない。

タイガーマスク登場.jpg
謎のレスラー、タイガーマスク登場!
 と、謎の覆面レスラー、タイガーマスク(自称:グレート・ムタ)が乱入だ!たこ焼きを一緒に焼いてくれ、客も思わず「あれま!」と口を空けている。ダテ・ナオトでもなく、佐山サトルでもないタイガーマスクの正体は、某邦字紙記者。「取材があるので」と言って颯爽(さっそう)とブースを飛び出たタイガーマスクは、再びブース内に姿を見せることはなかったのだった。チビッ子ハウスのケンタ君に会いに行っていると思いきや、タイガーマスクは某邦字新聞のブースで、何と「グレート・ムタ」の入場コスチュームを身につけ、デンと座っていたのだった。まあ、それはええとして話を元に戻すと・・

 必死の形相で焼くメンバーの格闘が続く中、思いも寄らない事態が発生。
 「あれ、タコがもうあんまりないですよ」とメンバーからの声。
 「ナヌーッ!?」と動揺する1号。
 今日1日分は何とか足りるが、同じ調子でやれば明日の分は確実にタコは無くなりそうだ。

 「何でやろな、タコをデカく切りすぎたんやろか」と考えてみても仕方がないが、40キロものタコを準備していたので、まさかタコが無くなるとは想像だにしなかったのだ。

 うろたえる1号にオオクボが冷静な案を発言。
 「ウエハラ夫妻にタコ買ってきてもらって、明日用に湯がいて切ってきてもらったら。彼は元々、プロの寿司マンなんだから」

 「なるほど。そうや、その手があった。ウエハラさん、すみませんが、今日はもう上がってもらってよろしいですから、奥さんと一緒にどこかのスーパーでタコ買ってもらって、下準備してもらえませんか」と1号の無責任な依頼を行なったのが午後3時頃。
 「はい、いいですよ」ということになったのだが、ウエハラ夫妻がこの日、依頼したのタコを揃えることができたのは、午後7時過ぎ。あちこちのスーパーでを車で駆け回り、少しずつタコを買い揃えてくれたのだった。さらに、「母と弟にも手伝ってもらって下準備が終ったのは午後11時でした」と翌日聞かされた時は、「本当にお世話かけました」とウエハラ夫妻にただひたすら頭を下げるしかなかった。

 そうとも知らず現場では、相変わらずたこ焼きとの格闘が続き、この日は1日で800皿以上と予想以上に売れたのだった。

 アジトに帰ってから、ネギ、紅ショウガ、卵など最終日のための更なる買出しに走り、そのあと反省会と晩メシ。ヘトヘトになりながらも最終日への気合を入れ直したメンバーだった。

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 最終日 7月25日(日)晴れ

 この日は最終日とあって、アジトに住むケイ君と日伯交流協会生の燃えるネエちゃん、トワコちゃんも参加。ケイ君には、その数日前から「ねえ、手伝ってよ。ブースの中でコンサートしてもいいからさ。そうだ、ギター持ってってよ」と酒の入った3号は良い意味で(悪い意味かもしれませんが)絡むことしきり。
「まあ、最終日だけなら」と、さすがにギターは持参しなかったものの、ケイ君も快く引き受けてくれたようだ。ウエハラ夫妻から受け取ったタコは、丁寧にビニール袋に小分けしてきれいに詰められ、「さすがプロの仕事」と感心させられた。

 二日目に想像以上の数が売れたことから、フタ付きの皿が残りわずか。以前に買っていた皿をアジトから1000皿以上持っていく。「これだけ持っていったら、充分いけるで」と思っていたが、結果的には皿が足りなくなる始末。日本祭りの恐ろしさを改めて我々一同は噛みしめた。
ひたすら焼き続ける.jpg
真剣な表情のたこ焼きマンたち
ひたすら売り続ける.jpg
受付の女性陣たち

 この日も昼前後から、前後不覚になるほどの多忙さ。三日目ともなると、さすがに疲れもピークに達している。タコ以外の材料もどんどんと無くなり、そのたびに笹井さんや3号、アライちゃんたちに買出しに行ってもらう始末。判断能力も無くなった1号は、お客さんたちには申し訳ないが、愛想もなく無言でたこ焼きの粉を練り、焼くという繰り返し。皆、必死の形相で焼いている中、マサだけが「たこ焼きどうでーぃ」とデカイ声で叫び、さすがに元気な若者だと一同感心。

 話は変わるが、一般用機器は隅っこの穴は火が回りにくく、実はプロ用機器よりも焼きにくい。これをフォローしていたのが、昨年も出場したアライちゃんとカジサコ氏だった。言葉こそ少ないものの、2年目の慣れで手際がいい。それを見て、ミヤガワさん、ハヤシ、マサ、それにこの日デビューのケイ君、トワコちゃんたちが見よう見真似ながら、たこ焼きをクルクルと回していく。コンタニ氏は、笹井さん、3号とともに前衛に上がり、お客さんにジーッと手元を見られ、「内心はドキドキした」と言いながらも手先の器用さを見せ付けていた。

 と、たまたま前衛で焼いていた1号のところに日系の女の子から「これは生じゃないの?」とクレーム。そのネエちゃんのたこ焼きをつまんで食べるや1号は、「確かにこれは少しゆるいかもナ」と心の隅に思いつつ、「まあ、たこ焼きいうのは、こんなもんやで」と開き直った。悪いと思いつつ、「それなら、違う皿を持っていってもらおう」と考えた時には、そのネエちゃんの姿は人込みの中に消えていた。

 「すまん、ネエちゃん、人のたこ焼きを食ってしまった」と思いつつも1号は、「まあ、しゃあないな」と心の中で一人自分を慰めたのだった。

 メロメロになりながらも皆の大同団結により、持っていった皿は全部無くなった。お隣の弓場さんから小さい皿を数十個購入してまでやったが、「もうこの辺でいいよ」との笹井さんの意見で午後5時20分、お開きとなったのであった。結果は2000皿完売と、昨年の1400皿を大きく上回った。たこ焼き機器をフル稼働したことが勝因だった。

 だが、失敗もあった。今回、途中でタコの買出しに奔走してもらったウエハラさんに1号が再びタコが無くならないよう念のために、「できるだけ、タコは小さく切ってもらえますか」と言っていた。そのことが原因で、お客さんたちからは「何や、全然、タコ入ってないやないの」と後に複数の人々から小言を言われた。「どうも、すみませんでした」

 ただ、言い訳をすると、タコは一つのたこ焼きに小さいものが複数入っていたのだが、小さすぎてたこ焼きを回している時にポロポロと飛び出たり、食べた時にタコ独特の歯ざわりがなかったのかもしれない。今後の教訓として次に生かすべきだと考えながら、我々は現場を後にしたのだった。

 買っていただいた皆様、本当にありがとうございました。

 3日間のハードな日々を何とか乗り越えた我々は、アジトで祝勝会をあげ、美酒に酔ったのだった。普段無口なミヤガワさんとハヤシが、「いやー、本当に楽しかったですよ」と本心から言ってくれたことが嬉しかった。普段の仕事とは違ったルーチン・ワークが新鮮に映ったようだ。笹井さんは、日本から帰国してすぐに日本祭りに参加した疲れが、その後に少し出たと言っていた。また、主にお客さんの応対をしてもらっていたタマちゃんからも持病の腰痛が、後日悪化したことを聞かされた。誰しもが日本祭りで全精力を出し切ったのだった。皆の惜しみない労力の提供と団結に感謝しつつ、たこ焼きマンたちは、次の再会を誓ったのだった。


 [今日の教訓]今までまったく生かされていなかった教訓を生かすこと。今年もタコピンを人数分用意できなかった。タコはあまり小さく切らないこと。最後のバケツ二杯分は粉が薄すぎた。材料のデータをしっかり取ること。たこ焼き日記は早めに書くこと。


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