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たこ焼きマンが行く
     たこ焼き「旅日記」  (最終更新日 : 2009/05/25)
「移民とたこ焼き」ジャカレイ篇 1

「移民とたこ焼き」ジャカレイ篇 1 (2005/06/27) 2005年5月、6月。(計画立案から準備期間を含む)

 『大エンコントロ(大集会)、「移民とたこ焼き」』と題した豪華(?)なイベントが05年6月19日、サンパウロ近郊ジャカレイ市のメイアルーア会館で行われ、地元や周辺地域から日本人一世を中心に約60人が出席した。
内容は、サンパウロ在住の記録映像作家・岡村淳氏が9年の歳月をかけて取材・制作した渾身のドキュメンタリー作品「アマゾンの読経」(詳細は http://www.100nen.com.br/okajun/ )上映会(全3部作5時間15分のうち、第1部を上映:1時間47分)に、1号(松本)の初写真展「移民Ⅰ」、それに上映後のたこ焼きパーティーという三本立て。
主旨は、「ドキュメンタリーや写真を見て、たこ焼きをつまみに語り合う、そんな移民の集い」というもの。我々たこ焼きマンは、この日のために一か月ほど前から計画を立てていたのだったが、果たしてその結果は・・・。

 同イベント開催は、サンパウロ在住の記録映像作家・岡村淳氏が、ウェブ・デザイーナーでたこ焼きマン3号でもある櫻田氏と会合した際に盛り上がり、「(岡村氏の)上映会の合い間に、たこ焼きをやって参加者に楽しんもらっては」と発案したのがきかっけ。それを伝え聞き、「ぜひ実現化したい」と意気込んだ1号が後日、岡村氏と会い、「やるなら、たこ焼きマンのデビュー地であるジャカレイにしては」と軽率な発言をしたのが始まりだった。ジャカレイを会場に選んだことが、この後、3号の大きな精神的負担になろうとは・・・。

 会場となったメイアルーア会館は、地元日本人・日系人の憩の場だが、最近は別の場所に新会館ができたことなどもあり、現在はあまり使用されていないようだ。
この日のために、緻密な事前取材をしていた岡村氏の話によると、1950年代、60年代の同地の大きな娯楽は映画上映会で、同会館では座布団を敷いての上映会が行われていたという。「シネマ屋が、天皇以上の扱いを受けた」と岡村氏が説明するように、ブラジルという異国に来た移民たちにとって最大の楽しみは、日本の映画上映だったようだ。

 3号の苦労はまず、この会館場所を選定し、無料で借りることから始まった。
参加人数が少なすぎても、多すぎてもいけない。参加した人達が心から楽しめるように、3号の配慮は並大抵のものではなかったのだった。その後の企画案は、すべて3号が担当した。上映会の値段設定(上映会、タコヤキ込みで10レアル)、ポスター作り、冒頭の題名などなど。

 中でも大変だったのが、参加してくれる人への前売り券販売という営業活動だった。しかし、そこは同地で日本語学校教師の経験があり、日頃から地元の人々との付き合いを絶やさない3号の人徳がモノを言った。苦労の末、3号は50人以上の前売り券を販売。当日も10人ほどが会場に足を運ぶなど、思った以上の成果を出すことができた。数多くの人々の協力とともに忘れてはならないのは、地元「金曜会」の多大な協力。代表の池田さんという方が、櫻田さんの心意気に触れ、一挙に10数枚のチケットを買ってくれたのだった。

 また、下準備として、岡村氏が上映するビデオ装置の問題と、会場を暗くするための暗幕の必要性をクリアしなければならなかった。3号は奔走したが、無料で貸してくれる人はいない。結局、ビデオ上映装置は有料で業者から借り、暗幕も以外と安価なビニール・シートを農業品店から購入することで事なきを得たという。
3号の上映会に賭ける熱い思いが、人々を動かしたのだった。

 一方の岡村氏は、本番を前にジャカレイを訪問。3号とともに「金曜会」の人々との飲み会で打ち解けるなど、万全の準備を整えていた。

 こうした3号、岡村氏の動きとは裏腹に、サンパウロにいる1号の動きは鈍かった。岡村氏の上映会と同時並行して、「移民Ⅰ」というテーマの初写真展を開催させてもらうことになっていたが、写真の選定、キャプションの作成、写真をどう飾るかなど数日前になってようやく動きだす始末だった。家族の協力を得て、何とか準備を終えたのは、本番前日の夜だった。

 これらと並行して、1号と3号が事前にたこ焼き材料の準備。3号は地元ジャカレイでのメリケン粉と玉子購入を担当。鉄板は、1号が持っている一般用機器の調子が思わしくないので、事前に南米大神宮の逢坂さんにプロ用機器を借りていた。肝心のタコ購入として、1号がソグラ(=義母)とともにサンパウロ市内の地下鉄サン・ベント駅から徒歩10分ほどの距離にあるサンパウロ中央市場(俗称:カンタレーラ)に出向いた。案の定、タコの値段は今まで以上に高かった。3号からは「とにかく、当日は参加者に文句を言わせないために、タコを多目に買ってほしい」と頼まれていた。そのため、当初2キロで間に合う予定だったタコ購入を3・5キロに増量するつもりだったのだ。

 実は今だから言えるのだが、タコの購入は結果的に2・2キロだったのだ。(ガビ~ン!)言い訳になるが、カンタレーラにはたこ焼き用の小ぶりのタコがなく(ブラジルで、たこ焼きそのものが普及していないので、当然だが)、寿司用の大ダコばかりが店頭に並んでいた。客が要望するキロ数に合わせて大きなタコを中途半端に切ると商品にならないので、売り手も客の言い分をそのまま聞くことはできない。
一匹ずつ売るのが、商売というものだった。
 
 タコが新鮮で安価な店に目を付け、店の兄ちゃん(ブラジル人)に「タコ、3・5キロ分ちょうだい」と言ったが、一匹分でその重さに達するモノが、なかなか無かった。と、兄ちゃんが「これでもか」と言わんばかりに、特別大きなタコを一匹量りに乗せた。(デジタル量りでない)アナログの針を見ると、3・2キロを指している。
少なくとも、自分の目にはそう見えた。「まあ、これだけあれば充分やで」と自分に言い聞かせ、購入した。
 
 ところが、思っていたより価格が安い。単純な1号は「やった!。あの兄ちゃん、勘定間違えよった」と心の中でほくそえんでいたが、家に着いてから改めて領収証を見ると、何と「2200(グラム)」と書かれてある。値段と照らし合わせると、確かに2・2キロ分しか買っていないことに気付いた。間違っていたのは、自分の方だったのだ。今から思えば、1・7キロほどのタコを二匹買えば良かっただけの話だが、その時の1号は何も考えていなかったのだった。(アホやな)

 「うわ、どうしょう。少ないやんけ。櫻田さんに怒られる」と1号はもう一度、カンタレーラまで買いに行くかどうか迷ったが、「まあ、何とかなるやろ」と、いつもの悪いクセが出てしまったのだった(櫻田さん、すんません)。

 そうこうしている間に当日を迎え、いよいよ我々たこ焼きマンはジャカレイ目指して出陣したのだった。しかし、そこにまた思いもしない事態が待っていようとは・・。(つづく)


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