05年日本祭り本番・初日篇 (2005/08/19)
2005年7月15日(金)晴れ。
いよいよ今年も本番を迎えた。今年のメンバーは笹井さん家族(笹井さん、奥さん、息子のシンジ君、娘さん)、3号家族(3号、奥さん)、1号家族(1号、オオクボ、ソグラ)を中心に、兵庫県人会前事務局長の紺野さん、昨年も参加してもらった出版社勤務のミヤガワさんの11人。それに土曜日は、飛び入り参加としてガイドのヨシエさん、毒研究の権威・コンノ夫妻も協力してくれた。
兵庫のブースではこれまで、弓場農場と場所をシェアして使用させてもらっていたが、今年、弓場農場は専用ブースを確保していた。その代わりに、元日本レストランで働いていたという1号と同じ苗字の松本さんグループが、「揖保(いぼ)の糸」などで有名な兵庫名物の「播州ソーメン」を作るという。事前にあいさつを交わし、それぞれの健闘を誓い合っていた。
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(本番・初日篇)
本番の前夜、笹井さん家族にタコなどの具をアジトから持ち帰ってもらい、1号家族と3号(1号宅泊)は当日、メトロと無料専用バスを乗り継いで現場まで。現地集合時間は午前10時。 出入り自由のクラッシャー(専用入場カード)を持つ1号、3号に対して、無料引き換え券しか持たないオオクボとソグラは、ガイジン(本来はワシら日本人がブラジルでは外人なんですが)の会場係りのニイちゃんに入り口付近で止められた。引き換え券の係り員が、午前11時頃にならないと来ず、「それまでは入場できない」と、のたまう。 「おいおい、女性を1時間も入り口で待たすんかい(便所行きたくなって漏らしたら、どうしてくれんねん=心の声)。会場の中で準備手伝ってもらわなアカンねやから、中に入れんかい」とツタないポルトガル語で抗議しても、ニイちゃんは首を横に振るばかり。 「しゃあないのお。とりあえず、笹井さんらが来てると思うから、俺らだけ先に入って見てくるわ。スマンけど、ちょっとその辺でプラプラしとってくれ」 そう言い残して男二人は中に入り、兵庫県のブースへと向かう。すでに笹井さん家族が到着しており、会場裏側からの搬入では、何も問題なく入れたという。 そうこうしているうちに、オオクボとソグラもブース前に姿を見せた。 「やっと係員も来たんか?」(1号) 「違うの、逢坂さん(たこ焼き機器をいつも借りている恩人でございます)にクラッシャーを借りて入れてもらったの」(オオクボ) 「そしたら、まだ他に待ってる人もようけ(たくさん)おるんかいな」(1号) 「そうみたいよ」(オオクボ) 「・・・」(1号) 昨年と会場が変ったことで、どうも融通が利かない。
ブース内で準備を進めていると、昨日の大荷物を搬入した際には気付かなかったが、目の前には日系大手自動車メーカーのブースでブラジル人の別嬪(べっぴん)のネエちゃんらがコンパニオンとして、どっさりといるのが見える。 「いやー、いい場所だねえ」と3号、喜ぶことしきり。 笹井さんの奥さんの話では、これらのスーパーモデル系ネエちゃんは、皆トイレで真っ裸になってコンパニオン用の服に着替えていたという。スケベ目になった我々たこ焼きマンたちは、果てしなく想像力をたくましくして、ニヤけていたのだった。
粉を溶いて、早速試し焼き。鉄板が割合に早く馴染む。今回のファインプレーは笹井さん。これまで青海苔を手でつまんでイチイチかけていたが、日本の海苔の缶が用意された。一部に切れ込みを入れたプラスチックの中蓋を海苔缶にかぶせ、缶を振ると適量の青海苔が上手くたこ焼きの上に良い按配(あんばい)で散りばめられるという仕組みだ。ソースも、市販のプラスチック容器の先端をストローを切って1ミリくらいに細く調整し、日本の近年のたこ焼き屋のようにソースが線状にデコレーションできるのが嬉しい。 「これは大ヒットですね」と1号、感心することしきり。 「まあ、昨年と会場も変わったことやし、(平日でもある)初日はそんなに人も入らんやろう」と思っていたが、案外人々がたこ焼きを買いに来てくれる。一般客というよりも、日本祭りに参加している各県人会のスタッフの人たちが、買ってくれていたのだ。
ブース内で播州ソーメン・グループも準備を始めていたが、寿司ネタ用に使う冷蔵ショーケースの調子が悪いという。 「このトマーダ(コンセント)は本当に110ボルト(ブラジルは110Vと220Vがある)なの?」と何度も聞かれて、1号が「確かに110Vで頼んだんですけど」と説明するが、どうも電気の調子は良くならないようだ。大体、我々たこ焼きマンは今まで日本祭りで電気類など使ったことがない。 後で分かったのは、主催者が頼んだブースの設立業者が、隣の滋賀県人会が頼んでいた220Vと間違え、「テレコ」になっていたらしい。そのため、播州ソーメン・グループの冷蔵ショーケースのバッテリー部分がイカれ、滋賀県人会では「シジミご飯」用の肝心の飯が午前中は炊けなかったという。
ハプニング続出の中、我々たこ焼きマンは取り立てた失敗もなく、お客さんに追い立てられる訳でもなく、ゆっくりながら着々と売上を伸ばしていったのである(ハプニングに遭われた方、どうもスンマセン)。
昼過ぎになり、「後方支援部隊」のオオクボとソグラが夕飯の支度のためにアジトに戻った。その後も比較的マイペースでたこ焼きを作りつづけ、バケツ一杯分の粉が無くなったところで初日は終了。
初参加で会計を担当してくれた笹井さんの息子さん・シンジ君の話では、約300食ほどが売れたという。「初日にしては上出来ですよ」と我々は笹井さんの車でアジトへと向かい、「後方支援部隊」が愛情込めて作った関東煮(おでん)とモツ煮もどき(1号がモツだと思って買ったのは、本物のモツではなかった)を頬張った。 「やはり、持つべきものはモツですな(意味不明ですが)」と言ったかどうかは定かでないが、我々たこ焼きマン初日の挑戦は何とかクリアーできたのであった。
[今日の教訓] 電気類は、できる限り使用しないことが望ましい。スーパーモデルに見惚れないこと。
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