05年日本祭り:完結篇 (2005/09/09)
7月17日(日)晴れのち俄(にわか)雨
「もう、エエ加減終われや」とお嘆きの貴兄もおられるでしょうが、05年日本祭りも晴れて(やっと)完結篇を迎えることができました。しばしのお時間を頂戴いたしとう存じます。
ーーーーーーーーーー (完結篇)
最終日、昨日の大量販売で、すでに皿や具の残量がわずかとなっている。今回ははじめから「タコが無くなったら終わり」と話していたので、この日売る量は400皿程度に過ぎない。
もはや気持ちも軽やかで、お客の皆様には申し訳ないが「早くに終わったら、トットと帰ろう」と示し合わせていた。主催者側にも確認したら、「終わったら途中で片付けて帰っても良い」と聞いていた。後方支援部隊にはこの日、夕飯を作ることに専念してもらい、会場入りは外れてもらう余裕ぶりだった。毎年の経験から、個人的に欲しいものは早く買っておいた方が良いとの判断で、農協婦人部(ADESC)の栗まんじゅうや弓場農場の手作りクッキーや辛味噌コチジャンなどを速攻で買う。スタッフ一同にも、それぞれに早く買っておくことを勧めた。
そんな訳で慌てず急がずボチボチと準備をしていたら、早くも昨日よりもエライ人出。昼前には観覧席が人波で埋まり、「これは昨年以上の人出やな」と実感する。
知り合いがいる老人クラブ連合会のブース(室内会場)をたまたま通ったら、「私たちは昨日からずっと外に出る暇がないのよ」とのこと。そのため、たこ焼きを6人分ほど注文され急いで帰るが、ブース前にもすでにお客さんが列をなしている。
注文の品を後回しにして、目の前にいるお客さんの分を作ろうとするが、なかなか列が切れない。他のお客さんには申し訳ないが注文の品を優先させてもらい、先に老ク連ブースに届けた。そうでもしないと、いつまで経っても注文された品は揃わなかっただろう。最終日はそれほど客足も早く、混みだしたのだった。
気が付いたら、昼過ぎになっていた。すでにタコをはじめ、紅ショウガ、ネギも底を尽きつつあった。
「これで終わろう」との笹井親分の判断で終了。まだ午後3時頃と早かったが、店仕舞することにした。予定通り、この日は約400食が完売。三日間のトータルで、約2000皿が売れたことになる。当初の目標は2500皿だったが、皆もう満足していた。
片付けとともに遅い昼食を交代で摂ろうとしたが、どこのブースもお客さんでいっぱい。同じブース内で頑張っている「播州ソーメン」のスタッフに昼食兼用の肴を笹井さんが注文。皆でそれをツツきながら、ビール片手に満足げに祝勝の杯を傾けた。
この日、昼過ぎに来て手伝ってもらうはずだった毒研究家のコンノ夫妻は会場付近まで車で来ていながら、あまりの人の多さに入れず諦めて帰ったという。家族が来ていたミヤガワさんや無理言って手伝ってもらった紺野さんには連日の疲れもあることであろうし、お礼を言って先にアガッてもらった。後で紺野さんに聞いた話では、早くに終わったので会場のアチコチ見て歩き、けっこう楽しめたとのことだったが、夕方になってもどんどんと増える人出には閉口したらしい。
ブース内で祝勝会を開いていたたこ焼きマンのメンバーも1時間ほど待機したあと、「もうそろそろアジトに帰ろう」と空の雲行きが怪しくなってきた午後4時頃には荷物をまとめて、会場を後にした。
アジトではソグラとオオクボが用意した最後の献立「すき焼き」が一同を待っていた。滞りなく終了した今回の成功とメンバーそれぞれの惜しみない協力を称え合い、再びたこ焼きマンたちは杯を傾けたのだった。
ご協力していただいた兵庫県人会の皆様、たこ焼きを買っていただいた皆様、本当にありがとうございました。来年の日本祭りは果たしてどうなるのか。それは今のところ誰も知らない。(おわり)
[今日の教訓] 雨が降って最終日の店仕舞は混雑を極めたと後で聞いた。早めに帰って正解だった。
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