番外、たこ焼き、牛タン・パーティー(本番篇) (2006/05/01)
(2006年4月1日(土) 晴れ時々曇り)
午後3時からの長丁場に備えて、「少し昼寝でもすっか」と思っていたら、家のベルが「ビーッ」と鳴った。「誰かいな」と思って覗き窓を見ると、大阪人の1人であるヨージ君だった。
「アレ?えらい早いな。まあエエけど。上がりや」と1号。 「え?今日は3時からですか。聞いてなかった」と苦笑いするヨージ君。 「迷わず、来れたようやね」(1号) 「それが、別のところに行ってしまって・・・」(ヨージ君) 「え?・・・」(1号)
ヨージ君の話によると、この日は近所でも日本人の集りがあり、その家に上がりこんだのだという。
「何故かほとんど知らない人ばかりで、たこ焼きもやってなく、その場に2分ほど居たんですけど何か雰囲気が違うので聞いてみたら、別の人の家でした」とヨージ君は、頭を掻きながら恐縮している。
「ところで、昼メシ食べたん?」(1号) 「まだです」(ヨージ君) ということで、ソグラ(義母)が牛タンをおかずに昼食をこしらえる。
「ほな、まあ早いけど、たこ焼きも作ってみるか」と1号が、メリケン粉を練り始めた。
そうこうしているうちに、午後2時頃に親分の笹井さんがセルベージャ(ビール)の缶ケース(12本入り)を持って到着。いつもながら、近くの魚屋で仕入れた刺身と魚のアラの部分を持ってきてくれた。
その後、開始時間の午後3時になり、日系4世でまだ17歳のケンジ君、鹿児島の研修生である「ジャッキー」ことカミムラさんとチョウサさんのネエちゃんコンビが来たほか、大工のシバタさんもセルベージャを持って駆けつけた。
しかし、この日来ることになっている仲間の1人であるコーイチ君が、なかなか姿を見せない。聞くところでは、某団体の総会資料作成のため、鬼のような上司に軟禁されているという。
「まあ、そのうち来るやろ」ということで出席者一同で乾杯する。
この時点で缶セルベージャは72本あったが、みるみるうちに空になっていく。初めて顔を合わせた人もいたが、アルコールが入ると皆、陽気になる。ジャッキーが日本でやっていたという「よさこい・ソーラン」の話をし、ケンジ君がそれに合わせて沖縄の「エイサー踊り」を披露するなど、若者らしい活気が漲(みなぎ)る。
「それにしても遅いなあ」と、コーイチ君のケイタイに何回か電話してもらうが、仕事はなかなか終らないらしい。
早めに来ていた笹井さんが先に帰り、ヨージ君も夕方から別の用事がある言って帰っていった。その後、鹿児島のネエちゃんたちも帰宅したが、それでもコーイチ君は姿を見せない。
「もう今日は、来えへんのとちゃうか」と諦めていたら、午後9時頃になってようやくコーイチ君がやって来た。
「いやーっ、大変でしたよ」と何故か気分がハイになっているコーイチ君は、たこ焼きを焼く1号のそばに来るなり、今までのウップンを晴らすべくセルベージャを立て続けに飲み始めた。
粘り強く残ってくれていたシバタさんも帰り、その前後入れ替わりに日系企業で働くタナベ君が来た。まだセルベージャが数本残っていたが、「外で飲みましょうよ」というタナベ君の気持ちに応えて、一同、近くのBARに向った。
外は結構寒かったが、皆ヘベレケになるまで飲む。タナベ君はその足で帰ったが、ケンジ君、コーイチ君、1号夫婦は家に戻って再び飲み始めるという耐久レースのような状態に突入。1号は夜中2時でダウン。残った3人は朝の4時まで熱い話をしていたようだが、内容は覚えていない様子。
翌日の午後、起きだしてきた4人は二日酔い(ケンジ君は心身と肝臓が若いので、二日酔いにはならなかったらしい)状態。ソグラがアラで出汁(だし)を取った味噌汁を「美味い、美味い」と飲みながら、体力の回復を試みたのでした。(おわり)
[今日の反省] 若い人とペースを合わせて飲まない。
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