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ヨサコイ・ソーラン [全画像を表示]

ヨサコイ・ソーラン (2003/10/22)  今や日本の若者の心をとらえ、爆発的な広がりを見せる「ヨサコイ・ソーラン」。日本の伝統文化であることに加え、ロック調の早い音楽テンポがその秘密のようだ。ここブラジルでも七月の第一回大会開催に向け、盛り上がりを見せようとしている。これまで、それぞれの地域で独自に行なわれてきた「ヨサコイ・ソーラン」だが、大会をきっかけに各団体のネットワークづくりが大いに望まれている。一過性の事業でなく、若い世代を日系社会に取り込むイベントとして大きな期待がかかる中、単なるチームの紹介ではない各地域の動きをレポートする。

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 「腕が伸びてないよー」「笑ってー」。
 指導者の川添敏江さんの叱咤激励の声が飛ぶ。 サンパウロ南部リベイロン・ピーレス市にある同文化協会に属する「グループ民舞」(川添博代表)は、長崎県の伝統舞踊「皿踊り」を正式に始めて十年。「社会に出ても役に立つ人間形成」を目的に現在、「ヨサコイ・ソーラン」も含め毎週土曜日に練習を行なっている。今では同文協の強力なバックアップを受けて、七歳から二十歳代半ばまでと二世から四世世代にわたって三十二人の青少年たちが活動しているが、始めた当初は日本語学校の生徒八人ほどに過ぎなかったという。

 十五年ほど前、同文協の日本語教師として指導をしていた川添夫人の敏江さんが子供たちに皿踊りを教えたところ好評だったことから、それまであった陸上部に変わるクラブ活動の一環として開始された。皿踊りの「祭りのんのこ」は十年前の長崎県人会三十周年記念式典の際、母県の諫早(いさはや)市などの議員団らが踊ったことがきっかけだ。「アップテンポで動きの速い踊りはブラジルで育った子供たちにも合うのでは」と取り入れられ、学生時代に民族舞踊を勉強していたという川添夫妻のその後の熱心な指導が大きく作用した。

 しかし、皿踊りに使用する陶器製の皿も満足になかったために自分たちで工夫せざるを得なかったという。現在、練習では陶器の代わりに手作りの木製皿を使用。練習中に皿が割れて「ケガをする」と、子供たちの父兄から苦情が出たことも背景にある。

 今では練習で使用する音響機器、小道具の準備はそれぞれ子供たちに係りとして任せ、本番での化粧や着付けなども父兄に手伝ってもらうなど、「単に押し付けるのでなく、各自に自分が踊りを行なっているという自主性を持ってもらっている」(川添さん)ことが大きい。

 そうした中でも団体生活に慣れていないブラジルの学校教育の中で育った子供たちは、時として練習に遅れて来たりもする。今年三月からは同文協で空手を教えているブラジル人師範に練習に来てもらい、礼儀作法も取り入れている。

 「練習中に踊り方がまずいと注意すると、中にはグチをこぼす子もいます。ブラジル人がやっている空手ではグチをこぼすことはほとんどないと聞いて、空手でできて踊りでできないことはないと思い、来てもらっています」と川添さん。「人数だけが集まれば良いというものではなく、踊りを踊ることが子供たちにとって良い影響を与えないと意味がない」と強調する。

 そうした中、四年前の九九年に「ヨサコイ・ソーランの存在を初めて知った川添さんは、その動きに魅了され、「民舞」の一つとしてどうしても取り入れたいと思うようになっていた。

 日本の知人を通じて「ヨサコイ・ソーラン」を知った川添さんは早速、試しに子供たちに踊らせたが、どうもうまくいかない。踊りの解説用ビデオをサンパウロをはじめ日本に一時帰国した際にも探したが見つからなかった。二〇〇一年五月、思い切って「南中ソーラン」で有名な北海道の稚内(わっかない)南中学に直接手紙を書いた。

 しかし、「南中ソーラン」のビデオそのものは同中学ではもはや貸し出しできないという返事があり、学校側から著作権のあるTV局への問い合わせ依頼により、川添さんは翌年、根気よくTV局へ手紙を送った。その結果、「世界各地で南中ソーランが踊られていることは何よりも嬉しいことで、何も心配せずに楽しんでください」との返事により、TV側と「ヨサコイ・ソーラン」歌手の伊藤多喜雄氏側から承諾を得ることができた。

 グループ民舞ではそれまで試行錯誤で「ヨサコイ・ソーラン」の練習を続けてきたが、正式な承諾を得て早速、昨年四月にモジダスクルーゼスで開催された秋祭りで初披露。その後も各地の出演依頼で奉仕活動を続けているが、踊る前には必ずTV局をはじめ歌手の伊藤氏、稚内南中学の許可を得ていることを報告している。

 現在、グループ民舞では時期にもよるが一ヵ月に二回のペースで各地のイベントへの出演依頼があり、現場までのバス代と子供たちへの軽食などを現地で出してもらうこと以外は、「ほとんどがボランティア」(川添さん)の状態で活動している。

 実際に踊っている子供たち自身、様々な場所での舞台を踏み、一世の高齢者たちが涙を流して見てくれることなど観客の反応を肌で感じてきた。厳しい練習の背景には、晴れの舞台で「(踊りが)上手くキマった!」との喜びがあることを知っている。

 今年のはじめには先輩格で踊りの中心的存在だった青年たち四人が進学などのためにグループを抜けた。川添さんたちにとって最も大きな痛手だが、子供たちの将来を考えると、無理には引き止められない。

 「本音を言うと子供たちが良い学校に進学したと聞けばドキッとする。我々もあと何年指導できるか分からない。後継者を育てる体制づくりが必要です」と川添さん。しかし、踊りをしていた子供たちは社会に出ても規律、礼儀などの面で自然と身に付いており、喜ばれることも多い。最近ある父兄から短期で日本に働きにいった子供が仕事先で「何事も熱心にやってくれる」とほめられたとの報告が入った。「踊りをやっていたおかげです」と川添さんたちに感謝の言葉をかけてくる父兄も少なくない。そのことが、文協の大きなバックアップにもつながっている。

 十年前から踊りを続けている西川リナさん(二三、三世)は「ヨサコイ・ソーランは動きも激しく足を出すのがつらい」と言いつつ「お年寄りやブラジルの人たちに私たちの踊りを見てもらうことが嬉しい」と笑顔を見せる。また、一昨年に日本に行き、昨年帰伯してから再び続けているという中村精士さん(二〇、三世)は練習で汗びっしょりになり「あー、きつい」を連発しながらも、「地方に行って舞台に出れることが楽しい」と爽やかな表情を見せてくれた。

 川添さんは言う。「我々が日系社会の中だけで活動する時代は過ぎた。日系社会がブラジル社会に入って消えるのではなく、我々の中にブラジルを取り込む必要がある。その意味で七月に第一回目のヨサコイ・ソーラン大会を行うことの意義は大きい。これを機会に各団体の横のネットワークを広げ、移民百周年に向けた一環事業として持っていくことができれば」と。

 地道だが、将来に向けた夢のある活動は今後も続いていく。

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(松本浩治、サンパウロ新聞 2003年4月掲載)


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