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     番外「ダンゴでビンゴ!」  (最終更新日 : 2006/07/26)
番外「蘇るダンゴー」(老ク連芸能祭) 準備篇 [全画像を表示]

番外「蘇るダンゴー」(老ク連芸能祭) 準備篇 (2006/06/25)
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「蘇る金狼」ならぬ「蘇るダンゴー」
 05年11月19日に開かれた老人クラブ連合会主催のビンゴ大会で、好評を得た(?)とされる「みたらしダンゴ」の出店依頼が同連合会事務局から再び来たのは、本番である06年4月9日の約3週間くらい前のことだった。今回は、老ク連の年間4大イベントの1つである芸能祭にバザリスタ(バザー業者)として、文協大講堂前サロンで出店するというもの。事務局長のウエハラさんからこの話を聞いてきた老ク連青年部でもある嫁はんは、「どうする?やる?出店したら、絶対儲かると言うんだけど」と問う。さらに、今回は自分たちが現場に出動しなくても、モノを作りさえすれば、あとは老ク連側で販売までしてくれるという話だった。しかし、それでは利益があまり出ない。欲にくらんだ1号は最終的に、「まあ、自分らで売ってもエエんとちゃうか」と軽いノリで決定した。が、人生は「そんなに甘いもんやおまへんねや。もっとマジメにヤレ~」と、往年の「オラは死んじまっただ」の歌の文句ではないが、またもや商売の厳しさを思い知らされた挑戦となったのだった。大量の売れ残りかと諦(あきら)めかけたその時、思いも寄らぬ救世主が登場。我々が目にした光景とは・・・。

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【準備篇】

(2006年4月8日(土) 曇り)

 まず、準備にあたって頭を悩ませたのが、「果たして、何本分作るか」ということだった。前回のビンゴ大会では、参加人数が約200人弱。1人1本買ってもらったとしても「150本もあったら充分やで」(1号)との目算ができた。しかし、今回は違う。「観客動員委員会」の異名を誇る老ク連は、約1300人が入れる文協大講堂を1団体だけで満杯にすることができる、今や唯一の団体であると言っても過言ではない。恐るべし老人パワーを侮ることが出来ないのは、これまでの数々の経験で思い知らされている。かと言って、バザリスタは毎回、歴戦のツワモノが参戦しており、我々のダンゴがそれほど売れるとも限らない。

 それでも1号は、「まあ、当日、1200人が来たとして、その半分に買ってもらったとしても600本やな」と、「捕らぬ狸の皮算用」的思考で本数を決定した。

 本数を決定した時点で、本番の数日前に1号が串とプラスチック容器をカンタレーラ(中央市場)付近の問屋街で購入。嫁はんとソグラ(義母)が東洋街に、上新粉と餅米粉などを買出しに行った。さらに、ダンゴを炭火で焼くために、前回は1号の勘違いで使用できなかったシュラスケイロ(焼肉焼き機器、バーベキュー用品)をアジトまで取りに行くなど、実際にダンゴ作りを始めるまでに綿密な準備を進めていたのだった(まあ、当たり前のことではあるのだが)。

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これぞ、1串4つの正統派スタイル
 実際のダンゴづくりは、1号がこの日、昼過ぎまでの週末取材を終えたあとの午後4時から開始した。今回は、責任を感じた1号が粉の練り役を担当。4対1ほどの割合で上新粉と餅米粉を大型ボールにぶち込み、お湯と水を加えて練り込む。実はこの作業が一番大変で、練りだして数分もしないうちに両腕がダルくなり、額に汗が滲(にじ)んでくる。

 次に、適度な固さに練り上げたダンゴの素を前回と同様、まな板に乗せて長細くする。この作業を終えたところで、もう1度、新たに粉を溶いたが、その間に1回目のダンゴの素は、見る見る表面が乾燥していく。嫁はんが慌てて水分を含んだフキンをかけ、湿らせて事なきを得た。

 2回練ったダンゴの素をそれぞれ、包丁で同じくらいの大きさに切り分け、丸めたダンゴを沸騰した大鍋で湯がく。

 今回気付いたのは、日本の店頭などで販売されている正当な「みたらしダンゴ」は、1串に4つのダンゴが刺されていることだった。某日本の公共放送で何年か前に流行った「ダンゴ3兄弟」なるものに惑わされて、前回は1串に3つを刺していたが、今回我々は正統派のストロング・スタイルを貫くべく、「1串4つ」の掟(おきて)を守り抜いたのであった。

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準備を終えた時にはヘロヘロ状態
 茹であがったダンゴを水冷し、あらかじめ水で濡らしておいた串にダンゴを4つずつ刺していく。それをトレイ(トイレではないです)に山積みにして乗せ、ラップをかける(踊るラップではないです)。それらと並行して、嫁はんが蜜づくりを担当。途中、時間と体力的問題、さらに当日の売れ残りを懸念して、当初予定していた600本の計算を減らした結果、471本分の串ができた。この日の全ての作業が終了したのは、午後11時40分。夕食をはさんだ時間を省(はぶ)いても、実に6間時半以上を準備に費やしていたことになる。

 しかし、まだ次の日にはダンゴを炭火で焼き、蜜をかけるという最終作業が待っている。老人たちの朝は早い。芸能祭の開始時間は午前8時だが、「午前7時半には人々が押しかける」(老ク連筋)ということで、それまでに会場入りしなければならない。逆算すると、午前5時には起きなければ「焼き」が間に合わない。

 我々1号家族は翌日の成功を祈願しつつも、「明日のことは明日考えよう」と開き直りながら、疲れた身体をベッドに横たわらせたのであった。(つづく)

 

 

 


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