番外「蘇るダンゴー」(老ク連芸能祭)本番篇 (2006/07/26)
【本番篇】
(2006年4月9日(日) 曇りのち晴れ) ーーーーーーーーーーー (焼き作業)
ダンゴ屋さんの朝は早い(ダンゴ屋ではありませんけど)。当日は午前5時起き。1号は早速、小型シュラスケイラ(バーベキュー用品)に炭をくべ、火をおこす作業を裏庭の小さな空間で行う。それと同時にソグラ(義母)が台所のガスでダンゴを焼く。つまり、炭とガスの2段構えで時間の効率化を図ろうとする作戦だ。
クソ寒いのに団扇(うちわ)で仰ぎながら、炭には何とか火が点いた。が、ダンゴがある程度、均等に焼けるようになるまでには約30分の時間を要した。
早速、ダンゴを炭火で焼いてみる。前日、嫁はんがダンゴそのものの長さに合うように、アルミホイルを巻いた2本の板を網の上に置くように調整していたことが功を奏した。そのまま何もせずに網の上で串ごと焼くと、多分、串の部分が焼け焦げて、手で持つところがポキッと折れて無くなってしまっていたことであろう。
ガスで焼く場合、ダンゴが焼けるというより膨れ上がってしまう傾向にあったが、炭火だと表面が滑らかに焼けるのが良い。まだ、早朝の薄暗い中で、炭の火が渋い赤味を帯びて燃えるのを見ていると、妙に気分が落ち着く。しかし、一番の問題は煙が目に沁みること。汚い話だが、洟汁(はなじる)が次々と垂れて来、便所紙(トイレットペーパー)を丸めて両方の鼻の穴に突っ込まざるを得ないため、非常に息苦しい(ちなみに、洟汁はダンゴにはかかってないので、ご安心を)。
「朝っぱらから俺は一体、何をやっとんねん」と情けなくなるが、「いやいや、これも試しの人生の一環やで」と自らを慰める。
焼くこと1時間。少しずつ空が明るくなり始める。焼けたダンゴを複数の大皿に乗せ、それを嫁はんが蜜(みつ)をかけて、プラスチックの箱に詰めていく。順調に作業が進んでいたその時、思わぬ事態が発生した。ガビーン。
何と、充分に余裕があると思っていた蜜が足りなくなってきたという。慌てて増量を考慮するが、蜜の「とろみ」を出す片栗粉も全部使ってしまっていた。「ええい、ままよ」とばかりに、片栗粉の代わりにマイゼーナ(トウモロコシで作った粉)と砂糖を入れるが、ガス火にかけて掻き混ぜても掻き混ぜても「トロッ」とした感じが出ない。
「これじゃあ、しょうがないわね。片栗粉を買うのに、日本食品店が開くのを待つしかないか」と嫁はん。
「せやな、変なモノを出して、年寄りにヤイヤイ言われてもカナワンしの」と1号も納得し、とりあえず出来上がっている分を段ボール箱に詰め込む。
そうこうしているうちに午前7時半と出陣の時間となった。ソグラに「焼き」を代わってもらい、1号は単独で会場の文協サロンへと向ったのだった。
ーーーーーーーーーーーーー (いざ、会場へ)
蜜が足らんようになったために、会場へは1号が1人で行くことになった。このことが、精神的負担を増大させた。
まず会場に着いて、主催者側である老ク連事務局長のウエハラさんに会い、販売場所を確認する。他の業者や出店者はすでに、きれいに商品を並べている。我々が指定された場所は、フェイラ(青空市場)などで使用する組み立て式の机が置かれているだけ。他の業者や出店者はすでに、机上に敷布(シーツ)などを敷き、きれいに商品を並べている。
「そやった。机の上に敷くもんを忘れた」と1号。仕方がないので、ウエハラさんに「何ぞ敷くもん、おまへんやろか」と問うと、「これを使って」とロール式の厚紙を渡された。それを机の上に敷いて、テープで止める。
次に、家から持参の紙にマジックで商品名とダンゴの図柄を書く。値段設定をどうしようか迷った挙句、1本1・5レアル、1箱(3本入り)4・5レアルにした。そうしている合間にも老人たちが、どんどんと会場に押し寄せる。そして、忙しい時に限って、しょうもないことを言うヤツが現れるのも世の常か。準備でバタバタしている際に商品のダンゴを目ざとく見つけ、何故か3人揃って同じような、しかめっ面をしている或るオバハン・グループが近づき、聞いてきた。 「何これ?」(オバ・グル) 「みたらしダンゴ。甘い蜜をかけたダンゴですわ」(1号) 「何や、あんまり美味しそうじゃないな」(オバ・グル) 「手作りやねんから、まあ、そう厳しいこと言わんといてよ」と1号は顔では笑いながら、心の中では「やかましいの。そう思うんやったら、このクソ忙しい時にイチイチ声かけんなよ」と叫び、「やっぱり、ワシは商売向きやないで」と思ってしまうのであった。
しかし、世の中、そういう変な客ばかりではない。
「まあ、美味しそう、1つもらっていくわ」という老婦人もいれば、「売り切れる前に買っとくわ」とお金を先払いしてくれる会員さんも居られた。
こういう時に心細いのは、単品のみの販売という現実問題だ。右隣のブースはいつも出店している常連さんで、しかもプロ。弁当をはじめ、饅頭、白餅、アンコ餅、ドラヤキなど10種類以上の商品が山のように積まれている。それが見ている間に売れてゆき、「やっぱり、プロは違いまんなあ」と1号は他人事のように(他人事ですけど)、それらの状況に見とれていた。
それにしてもダンゴが売れない。あまりの閑さ加減に欠伸(あくび)ばかりが出る。気が緩み、眠気が襲う。ふと、「他の出店者に比べて値段が高いんとちゃうか」と思い出したのは、商売開始から1時間ほど経った時だった。3本4・5レアルを独断で4レアルに値下げし、値段表も変更を加える。
その途端に客が来た! と思ったら、さっき1箱買ってくれたオバチャンだった。
「アレ?、さっき私は4・5レアルで買ったのに、アンタ今は4レアルに値下げしたの」とオバチャンはこっちの一番痛いところを突いて来る。 「いやいや、あんまり売れへんので値下げしたんですわ。何やったら、50センターボ(0・5レアル)返しますけど」と言い訳したらオバチャンは、「まあ、ええわ」と、そのまま行ってしまった。
「ヤレヤレ、アカン時は何やってもアカンもんやで」と滅入っている時、ソグラが追加のダンゴを持って登場。その後、片栗粉を買うことができ蜜を作り直せたと言う嫁はんが、エスペリメンタ(試食)用のダンゴを1個ずつ皿に乗せて持ってきた。
試食品の効果も出て、少しずつ売れ出す。しかし、その中でもツワモノはいるものだ。試食用のダンゴを1人で2個もつまんでおきながら、こちらと目を合わせずに無表情でその場を去り、結局は買わないというオバチャンもおり、思わずその人の後姿をマジマジと見てしまった。 そのほか、「3本で3レアルにしてよ」と食い下がる人もおり、商売の難しさと人間模様の多様さを学んだ1日でもあった。
昼食前後が勝負となり、用意したダンゴの数がようやくハケ(ハゲやおまへん)だした。しかし、芸能祭終了約1時間前の午後2時頃になって再び客足が止まった。
その時、どこからともなく現れたのが(月光仮面か!)、日伯毎日新聞時代に公私ともに大変お世話になった社長秘書のヤマネさんだった。「あら、みたらしダンゴ売っているの。懐かしいわね」と言いながら合計で8箱も買ってくれる。
「ところで売れゆきは?」(ヤマネさん)と聞くから、「いや、それが、あんまり売れてませんねん」と1号が率直な窮状を訴えた。
と、ヤマネさんが「それじゃ、私が売ってあげる」と商品のダンゴのパックを鷲掴みにしたかと思いきや、そこら辺にいる会員たちに強引に売り始めた。会場では芸能祭の最後の演目が終ったようで、サロンには帰り客がゾロゾロと出口に向って動き始めている。 その列に突進し、「美味しいダンゴ、いかがですか。ご家族のお土産にどうですか」と1人1人聞いて回ってくれる。そうすると、不思議なことに言われた客も「そう、それじゃ、1つもらうわ」という人が案外いた。
その光景をただ呆然と見守っていた1号に嫁はんの叱咤する声が飛ぶ。
「ホラ、アンタも売ってきな」 「ハイーッ」(1号)ということで、金魚のフンよろしく1号はヤマネさんの後を釣銭を持って付いてまわり、嬉しいことにダンゴが見る見る売れていく。この際、多少の値引きは仕方がない。最後は3パックで10レアルにまで値段が下がったものの、見事ダンゴのパックは売り切れたのであった。
思わぬ救世主の登場に我々家族は、ただただ頭を下げるのみだった。それにしても、普段はオシトヤカな印象が強いヤマネさんの底知れぬパワーを直視し、主婦の逞しさを見せ付けられた思いだった。ダンゴを買っていただいた皆様、それにヤマネさん、本当にありがとうございました。(おわり)
[今日の教訓] ダンゴの販売は、ヤマネさんに任せることに尽きる。
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