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続木善夫 / 私の科学的有機農業論
     農薬論争  (最終更新日 : 2009/07/26)
農薬論争

農薬論争 (2009/07/26)           農薬論争 
1.化学合成農薬は本当に安全か?
2.化学肥料は悪者か?
3.無農薬で病虫害は防げるか?

化学合成農薬は本当に安全か?
 農水省や厚生省が販売を許可している農薬は本当に安全か、これは消費者が一番知りたい点であると思う。
 生産者で農薬を使いたくて使っている者は一人もいない。皆仕方なくいやいや使っているのである。一方消費者は、安全性や栄養価、香味など本当の価値よりも、見かけのよい野菜や果物を求めるのである。流通業者も外観のきれいなものをより高く売って儲けようとする。消費者の欲、流通業者の欲、そしてできるだけ高く売って儲けたいという生産者の欲、これらの欲が絡み合って竜巻のようなエネルギーとなり、食品の農薬汚染、環境汚染など、形のなってあらわれたのが現状ではなかろうか。
 10年ほど前、こうして世界一経済大国と成った日本は、世界一の農薬消費国、農地の汚染大国になってしまった。
 私は1993年から毎年2回は訪日し、関東5県を中心に、各地の農協や農家を訪問しているが、一番驚くのは農薬の使いすぎである。野菜を果物を扱う農協の防除暦を見て、防除回数の多さに始めは腹が立つよりあきれ返っていたが、よくよく考えてみると、それを作った農協ばかりが悪いのではない、皆の欲の総結集がなさしめた結果という図式が見えてきた。
 農協の防除暦のとおりに農薬を使うと、外国にくらべ数倍の農薬代がかか、るがこれは最終的には消費者が払わされる。このムチャな防除暦を作った農協には二つの下心があったと思う。一つは値の高い新農薬を農家が使えば使うほど、農協は儲かるのである。二つ目は、農水省と厚生省の許可している農薬ならいくら使っても安全であるという自己弁護。
 農薬の恐ろしさについて、アメリカの生物学者レイチェル・カースンが名著「サイレント・スプリング」を発表したのが昭和37年。日本ではそれから数年して農薬禍が大きく取り上げられ、昭和46年には日本有機農業研究会が結成された。昭和50年には有吉佐和子の有名な「複合汚染」が発表された。この頃から、急性中毒や人体への残留毒の強いものは一掃され姿を消し、一見安全そうに見える農薬に置き換えられたが、農薬の本質は変わっていない。眼に見えず、地下で静かに進行しているようで一層ぶきみである。この農薬の本質的な恐さが忘れられたのか無視されたのか、日本で裁培されている作物で農薬の使われていないものは一つもないほど事態は進んでしまった。そのうらには心理的に「赤信号皆で渡れば恐くない」に似たようなものがあり、遂に日本全土が汚染されてしまったのではないか。
農水省や農協が安全だといい、生産者も消費者も安全だと思っている市販を認められた農薬は本当に安全なのだろうか?テストはまず植物の病気や害虫に効く、ついで、植物に使っても薬害が出ない。それから人の健康に害がないかを調べる。人間ではテストできないから、その代わりになるのは実験用のマウスである。口から摂らせた場合、皮膚に塗った場合、肺にガス状で入った場合、の3ツの場合の夫々の致死量を調べる。これは、私がバイエル社で働いていた1960年頃のことで、いまはもっと簡単かもしれない。マウスのグル-プの50%が死ぬ量を生体1kg当たり何mgであったかをLD50として表示する。この表示は現在も使われている。
 問題は安全性の試験はマウスで行なわれており、マウスで安全だから人間にも安全かという点にある。寿命の短いマウスの一生で、見かけ上異状がなかったとしても、マウス自体にとっては体調の不調、例えば不眠やイライラなど具合の悪いことがあったかもしれない。これら小さな異状は試験では現れてこない。また人間は寿命長く、マウスに安全でも、數10年ごく微量の農薬を摂り続けるとどうなるかは分からない。安全だといわれ、數10年たってから害のあることが分かり、発売禁止になった農薬は数え切れないほどあるが、そのなかで消費者もよく知っているものをいくつかあげてみよう。まずはBHC。これは日本では昭和22年から発売され、46年にやっと禁止になった。DDTも同年禁止になった。有名な公害病といわれる水俣病の原因が水銀と熊本大学の研究班が発表したのは昭和34年だというのに農薬水銀が禁止されたのは10年あとだった。その時には日本全土の水稲に一斉に使われ出してから16年も経っていた。昭和27年から使われだしたパラチオンはLD50が10mg以下という猛毒で昭和28~37年の間に約4600人の自殺者を出したことで知られている。問題は被害者のほとんど全部が農民だという点にある。農村医学者によれば、農薬の中毒では先ず神経系統が犯され、情緒不安定や不眠症の徴候があらわれ、徐々に自殺願望が大きくなるためと言っている。樹木も枯らす除草剤2-4-5Tはヴェトナム戦争で飛行機で散布され、参加したアメリカ兵の子供の1%が奇形児だったことで有名である。しかもその影響は子や孫にまで及ぶのである。これの販売が禁止された当時、私はブラジルで農薬の販売会社を経営しており、その捨て場に困ったことを覚えている。
 私の身近かな体験が二三ある。親戚の一人がサバンナを開拓して養魚を始めた。数年してから池の周辺の穀物裁培に除草剤を使い始めてから魚の奇形が見られるようになった。1993年、養魚兼釣り堀を始めたが、買った鯉の成魚の背骨が曲がっているのが1%以上もあったのに驚いたことがあった。その鯉が育てられた池には除草剤を使った農地からの雨水が流れ込んでいた。知人が中国の精力劑である種のコクゾ-ムシを飼っていた。餌は落花生である。ある日突然この虫の繁殖が悪くなった。研究熱心な彼はそれが除草剤を使った畑の落花生を餌とした場合に起こるのを突き止めた。同じような報告を科学雑誌で読んだことがある。研究者はあるバクテリアの培養にバナナを使っていたが、除草剤を使っている畑のバナナではバクテリアの増殖が正常に行かなかった、と言うのである。これらの事実は除草剤が動物の遺伝子にも影響を及ぼすためではないだろうか。
 殺虫剤の有機塩素劑と有機燐劑のほとんど全部が販売中止になったが、現在まで発売された後に禁止された農薬は100を下らないだろう。また1997年頃、発売の認可を受けていた農薬は、600前後あったと聞いたことがある。仮に半分の300としても、それらの人間に対する安全性の確認テストをするのは不可能ではないか。
 もう一つの問題点は、次々に合成され発売される新農薬に対して病原菌や害虫が耐性を獲得し、効き目がなくなることである。そのために、新農薬の開発にますます拍車がかかり、病害虫の耐性獲得が先か新農薬の開発が先かということになるが、この勝負はもう決まっている。耐性獲得の方が早いのである。日本でも殺虫剤では防除できない害虫のエリ-ト達が4種になり、今後もエリ-ト病害虫の数は増え続けるだろう。つまり農薬に頼る病害虫の防除は行き詰まっている。
 ではどうすればよいのだと心配される方のために解決法はある、と申し上げておきたい。
 これだけ新農薬が次々と市場に出てくると人間に対する安全性を確認するのは不可能であり、それを保証するのもおかしいのではないか。更に、農薬や添加物の毒性には単独毒性以外に、二つ以上の毒物による相乗汚染と相加汚染がある。学術用語で複合汚染という。この複合毒性になると、これだけ多種類の農薬が使われている現在では安全性の保証は勿論、追求も解明もできず、お手上げ状態と言ってよい。 実際に農協や農家を回ってみると、農薬を使わない農産物は一つもないことがわかる。つまり、ごく微量ではあるが、毎日何種類かの農薬と食品添加物を摂り続けていることになる。このような食生活を何十年も続けていると、日本人の体質も変わるのではないかと思う。日本総合医学会によれば、50年前に較べて日本人男子の精液中の精子數は半分になったという。分解された養分を吸収する小腸の絨毛も半減して毒物も一緒に吸収してしまうのが、近年増えてきた色々なアレルギ-の原因ではないか、と言われている。体力のほうも、メキシコオリンピック当たりから体格は良くなったが体力は低下した、と指摘されている。昔は成人だけと言われていたガンが最近は小児ガンの多さに驚かされる。これはガン病院で教えられた。免疫力の低下らしい。
 以上の様な状況の中で、農水省は確証のないまま、この農薬は安全であると保証して新農薬の販売を認可している。いや認可せざるをえないのである。なぜならば、病虫害防除の基本を知らず、新農薬なしには病虫害は防げない、日本の農業生産は落ちる、と思いこんでいるのだから。
 五條市慈光会の梁瀬義亮医師(故人)は化学肥料と農薬で作る近代農法を「死の農法」と呼ぶ。土を殺し人を殺すからである。日本の有機農業運動はこの人の実践で勇気づけられ広まったといえる。しかし、有機農業が伸び悩んでいるのは葉野菜は易しいが、稲作や果菜類になると慣行農法に匹敵する収量と品質を得るには技術が要る。更に果樹裁培になると、もっと高度の技術が要る。この当たりの技術が誰でもがやれる普遍的なものでないために、有機農業は収量と品質(見かけ上の)が劣り儲からない、と白い眼で見られているのではないかと思う。
 私は25年間この問題を研究した結果、無農薬で慣行農法と同じあるいはそれ以上の収量と品質を得るには、1-夫々の畑に適した土壌矯正、2-作物に応じた栄養バランス、3-光合成能力を高める簡単で安価な技術、に解決の鍵があることを知った。2-の中心となる施肥技術では有機肥料を主として化学肥料を補助的に使うのが最良であることを「農薬論争-有機か無機か その1」で説明したが、特に有機農業の実践者には次のことを進言しておきたい。微量要素と3-の応用である。これによって、作物の収量と品質が飛躍的に向上するものと思う。以上のように農薬を使わなくとも作物はできる。生命力の高い作物は病害虫を寄せつけない。病害虫の発生は生命力が低下して新陳代謝の狂った作物にのみ発生する。このことを真に理解できれば、無農薬裁培の実現は手の届くところにあり、、農協も協力を惜しまないと思う。消費者も食べ物の価値は見かけではなく、作物の見えない生命エネルギ-であり高い栄養価であることを知り、健康な土に育った無農薬の健康な食べものを求めるべきである、ことを認識して欲しい。これら三者の求めるものが一つになれば、自ずから間違った近代農法は是正され、病人の少ない世の中になると思う。

1997年11月
続木善夫
        
              




化学肥料は悪者か?       

1990年代前半から、日本では農産物の食品としての安全性とその表示について大変議論されるようになってきた。そして、有機裁培、無農薬裁培、減農薬裁培などといった言葉が飛び交い、消費者もその内容が十分理解できないまま、これらの表示のある食べ物を求めるようになってきた。
 そこでこれらの差はどこにあるのか、説明してみたいと思う。有機農産物の有機認証設定に先立ち、平成7年4月から実施されていた農水省指導のガイドラインにある定義用語として

定義用語の区別 農薬の使用 化学肥料の使用 燻蒸劑の使用
有機裁培 認めない 認めない 認めない
無農薬裁培 認めない 認められる 認めない
無化学肥料裁培 認められる 認めない 認めない

と記されている。
 まず有機裁培というのは、農薬と化学肥料を全く使わず、有機肥料、つまり油粕、家畜糞尿やワラ、刈草、モミガラ、木材屑、魚や家畜の肉処理の残廃物、など、有機物を原料とする有機肥料を基として、無農薬で裁培する。植物性の堆肥を使うか、或いは一切使わない自然農法もこのなかに入る。
 無農薬裁培とは、農薬を一切使わず、肥料は化学肥料を使ってもよろしいという農法である。現実には、化学肥料だけで安定した無農薬裁培を続けることは難しく、有機肥料や土壌改良劑で地力の維持または向上を計りながら化学肥料を使いこなすことになる。
 無化学肥料裁培の定義から考えると、化学肥料の使用を認めず農薬の使用を認めるというのは、有機肥料を使っても病気や害虫がでるので農薬を使うというケースであるが、これはむしろ失敗した有機農法の見本のようなものである。
 
 以上3種の定義で消費者が一番疑問に思うのは有機肥料と化学肥料の違いではないだろうか。農薬問題は簡単、使わない方がよいに決まっているが、農薬の必要悪についての論争は別の機会のゆずりたい。
 有機農法の信者には化学肥料が大変な悪者のように考えている人が多いが、その優劣を取り上げてみよう。
 まず人畜の健康について。化学チッソ肥料の使用で植物の根から過剰吸収が起こった場合、その中の硝酸態チッソが酸素の運搬と交換を受け持つ赤血球の働きを阻害して、いろいろな病気のもとになると言われている。これは特に人間の赤ちゃん(ブル‐ベイビ‐病)や子牛に起こりやすい。また亜硝酸態チッソが人体に吸収されて魚や肉の焦げた部分と結合するとガンの原因となるニトロソアミンを作る、と言われている。
 有機肥料も土中で分解して化学肥料と同じ無機態チッソになるが、分解には時間がかるので過剰吸収はまず起こらない。全然心配ないかというとそうではない。速効性の有機肥料の大量施肥や、高温で分解が急に進んで、植物のチッソ同化能力を越えた場合は同じことがおこる。根から吸収された硝酸態チッソ(水田以外は有機肥料も大部分がこの形で吸収される)はアミノ酸になり蛋白に合成されるが、合成能力以上に供給された場合は無機態チッソやアミノ酸の形のままでとどまり、スム-スに蛋白には変わってくれない。この時には植物の汁液中の硝酸態チッソが増え、病害虫も増えてくるのですぐ分かる。逆にこの新陳代謝がうまく進んでいる場合は病害虫の発生は少なくなる。有機裁培で病虫害が少ない理由の一つがここにある。
 では、化学肥料も過剰吸収が起こらないように施肥すると人畜に害がないか、と言うと害がないと言える。化学チッソ肥料は空気中のチッソ及び酸素と、水の水素から合成されて、硝酸アンモニア、尿素などになるので、成分そのものには有害な元素はふくまれていない。これらの大部分が土から硝酸態チッソの形で吸収され、さらに人間の腸から許容量を越えて吸収され、血液に入り込むのが問題なのである。 そこで化学肥料を、人間にも植物にも土にも有益無害に使いこなすにはどうするかと言うと、1-植物が必要な量だけを何回にも分けて与える(分施という)。2-収穫の一定期間前に化肥チッソの施肥をやめる。これで硝酸態チッソが少なくなり蛋白に変わってしまう。
 次に、化学肥料が悪者扱いされる第二の理由は、土を傷め、植物の根を傷めるからだと思う。植物に吸収されない過剰のチッソは土中の陽イオン(主としてカルシウムとマグネシウム)と結合して、雨水に溶けて流れ去ってしまう。こうして、土中のカルシウムやマグネシウムが減ると土は酸性となり、土中の有機物がない場合には土は死んでしまう。
 土のなかには1グラム当り何千万~何億という微生物が住んでいて、その多くは植物と共生関係にある善玉微生物である。化肥チッソを少量やると善玉微生物が増えるが、やりすぎると善玉が減り病原菌のような悪玉微生物が幅をきかすようになる。専門用語では土中微生物のアンバランスというが、ここまでくると病虫害の発生に歯止めがかからなくなる。
 これから日本で問題になるのは、有機にしろ無機にしろ肥料の使いすぎではないかと思う。どちらも根が吸収できなかったチッソは地下水から井戸に入ると飲料水を汚染する。日本の有名な茶の産地で魚粕や油粕の使いすぎで、井戸水の硝酸態チッソが許容量を越えてしまったことがあった。私が日本で調べた野菜と果樹の生産地帯ではどこも施肥過剰で、そのために病虫害の多発を招いていた。
 以上化学肥料の欠点を説明したが、これを見事に克服し、化学肥料の利点を活かしているのに緑健農法のグル-プがある。
 緑健農法では健全な根を育て、通常の數分の一の化学肥料と水を液肥として何回にも分けて与えていく。できた野菜や果物は品質や収量でも、普通の有機裁培のものよりすぐれたものが多い。硝酸態チッソの含有量も下手な有機裁培のものよりも少ない。また無農薬と高品質適正収量を目標にした「病虫害の生理的防除法」(別冊子参照)を応用した裁培では、無機態チッソは速やかに同化され蛋白に合成されてしまうので、化学肥料硝酸態チッソの低い作物を収穫できる。
要は化学肥料も有機肥料も使い方次第ということになる。有機農法だ、化学農法だ、とこだわることはない。有機でも無機でもない。農業の目的はあくまでも栄養に富んだ健康な食べ物の生産と安定供給にある。有機肥料に固執せず、これをベ-スにして、誰にでもできる簡単な高度技術を使って無機態チッソの同化能力を高め、必要な時パンチを効かせるように適期に最低量の化学肥料を使用すると、無機態チッソが少なく健康に良い、無農薬で食べておいしく日持ちも良い食べ物ができる。    
それ以外の他の化学肥料では、使いすぎて人の健康に悪かった例は知られていない。逆に、化学肥料の一部である微量要素など、土と人畜の健康向上に効果があったという報告が多い。 最後に一言付け加えると、健康な土に育った健康な植物は病気や害虫に犯されないので農薬が要らない。生き生きとしていて見かけも味も良く日持ちが良い。このような食べ物を食べてこそ人生の幸せを味わい、真の健康を保つことができるのではないだろうか。


 続木善夫
1997.11.14.








          無農薬で病虫害は防げるか?
   (真実を見つめ、発想を転換しよう)  
 
農水省ガイドラインに低農薬或いは減農薬裁培というのがあるが、農薬の慢性中毒や残留毒の点から考えるとこの裁培法は余り意味がない。農薬裁培から無農薬に移る過程でのみ有用かもしれない。
 焦点は、本当に無農薬で商品価値のある作物が育つのかと言う点にあるが、ごく一部の作物を除いて無農薬で穀類は勿論、りっぱな野菜や果物が取れるのである。
 有機裁培がなぜ生産者の間で普及しないかというと、収量が低い、病気や害虫にやられ易い、儲からない、などと言う点ではないかと思う。それはその人の技術が低いから、と言ってしまえばそれまでであるが、私はむしろ誰がやっても失敗しない有機裁培の技術が確立していないからだと思う。ここでは、この問題を取り上げたいが、その前に病害虫による被害はなぜ起こるのか、その原因を知っておく必要がある。
 それを知らないから病虫害が発生すると、農薬を使うことしか頭に浮かんでこないのである。指導員に聞くと、この害虫を防ぐにはこの殺虫剤、この病気にはこの殺菌剤、これらの答えは条件反射的にすぐかえってくる。生産者(農民という言葉を使いたいが、今の日本には農民はほとんどいなくなってしまったのではないか)を指導する立場にある農協の指導員や技術普及員がこれであるから、農薬を使わない作物は一つもないほど日本中が農薬づけになってしまったのも無理はない。病害虫の発生は結果であって原因ではない。植物に生命エネルギ-がなくなると植物体中に虫や微生物のエサが増え、本来持っている病原抵抗性が低下する。そのために、病気や害虫が発生するのである。これはまさに、生命力のないものは消えてなくなれ、という天の配剤ではなかろうか。
 自然の原野には我々が想像する以上に多くの種類の昆虫が植物に依存して生きている。アマゾン原生林の地表の土には、1フィ-ト平方当たり1万5千匹の動物(主に昆虫、ミミズ、ダニ類など)がいた、というアメリカの科学者の報告がある。葉にいる微生物の数は裁培地よりずっと多いが、病気の葉は見当たらない。公害のない自然の原野では熱帯イナゴのような特殊な例を除いて病虫害の被害を受けることはない。ここで見られる自然の原理は裁培地にも当てはまる。裁培地で農薬をかけなければならないほど被害を受ける時には、光、温度、空気(土中の)、水、養分、無害(公害、連作障害、塩濃度障害など)、土壌条件、などの植物生育の諸条件が狂っていないかどうかチェックする必要がある。これらの一つでも不適であれば、根は張らず働かず、光合成が低くなる。こうして生命エネルギ-が低下してくると、上記のような理由で病気や害虫が出てくるのである。逆に生命エネルギ-を高めて狂った新陳代謝を正常に戻すと病虫害はなくなる。   
 農業技術とは、環境を破壊せず、作物の生育条件を生育過程に応じ最適に維持していくことであると思う。この場合の収穫は、無農薬で品質、収量ともに、肥料と農薬をたっぷり使ったものより優れたものとなる。
 病虫害の発生は、害虫や病原菌が原因ではなく、真の原因は代謝系の狂いであるが、ではなぜ代謝系が狂うのかというと、次のようなストレスやアンバランスのためである。
1-気象的ストレス:異状高温や異状低温、多雨や干ばつ、など。
2-農薬ストレス:農薬の使い過ぎ、一つの病気あるいは害虫を押さえると他の病気や害虫が増える。
3-物理的ストレス:中耕や除草で根を切る。移植の際、直根を曲がったまま植える、など。
4-土壌のアンバランス:通気性、透水性が悪い。土が硬すぎて根が入らない。酸度(pH)、腐植、チッソ、りん酸、カリ、石灰、マグネシウムなど、養分間バランスと量が適当でない。特に微量要素の過不足は病虫害の発生に影響が大きい。日本では燐酸やカリ過剰の土地が目立つようになってきた。
5-施肥の誤り:肥料の与え過ぎ、特にチッソの与え過ぎは軟弱徒長を招き病虫害多発のもととなる。
6-その他:裁培管理のミスなど。
 代謝系が狂うと、植物の汁液中に昆虫やバクテリアのエサである遊離アミノ酸が増えてくる。そのために、数が少なくただの昆虫にすぎない虫が大繁殖して害虫に変身する。また病気の場合は、植物が本来持っている防御機構が働かなくなり、病原菌に犯される。或いはただの微生物が病原菌に変身する。
 害虫防除では殺虫剤の予防散布は間違いである。例えばリンゴやミカンの、一枚の葉に一二匹のダニがいても被害はゼロに等しい。三匹に増えた時に散布を始めても間に合う。このように、発生状況を観察しながら、防除する方法を総合防除という。ブラジルでは病害防除にもこの方法が応用されている。上記6点に留意し、総合防除法で防除すると、現在の農薬使用量は三分の一以下になると思う。
 さらに狂った代謝系の早期回復、または狂わせないための新技術を併用すると、大部分の作物が無農薬で裁培できるのである。私は光合成能力を飛躍的に高める生理活性劑と微量要素の葉面散布をすすめている。効果の再現性は90%以上と非常に高い。無農薬裁培の助けとなる生理活性劑は数多くあるが、再現性の高いものは少ないようである。これらの技術は公的機関ではほとんど研究されておらずデ-タ-も少ないが、今後は高品質高収量で無農薬の裁培技術の決め手になると思う。

続木善夫
    1997.11.23.


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