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続木善夫 / 私の科学的有機農業論
     続木善夫 遺稿/追悼文  (最終更新日 : 2016/12/19)
続木善夫追悼文「義父・続木善夫の遺影」(サンパウロ新聞掲載) [画像を表示]

続木善夫追悼文「義父・続木善夫の遺影」(サンパウロ新聞掲載) (2016/11/11) 義父・続木善夫の遺影 サンパウロ 岡村淳

 義父・続木善夫が八十六年の生涯を閉じたのは、リオ五輪が開会した八月五日だった。

 義父の子供とその配偶者のなかで生粋の日本人一世は、長女の夫である私だけだ。義父はブラジルの無農薬農業の草分けとして活躍した公人でもあり、邦字紙への訃報の連絡は私が引き受けた。
 サンパウロ新聞からは、故人の写真も掲載したいというお申し出があった。義兄弟たちと葬儀の段取りを打ち合わせした際、遺影の手配も伝えておいたのだが、誰も用意した気配がない。私は手持ちの写真を探してみることにした。

 無農薬栽培の普及のために日本との往復、ブラジル各地への旅を繰り返していた義父は、二年前に訪日から戻って脳梗塞を起こし、リハビリ生活を続けていた。
 この七月、介護疲れの義母とともに長女夫妻が伴ない、サンパウロ州内陸の保養地アグア・デ・サンペドロに小旅行に出たところ、義父はホテルでふたたび倒れてしまった。
 この旅で私が撮った写真をチェックした。生気の乏しい写真ばかりだが、義母と並んで満面の笑みを浮かべた義父を見つけ、これを新聞社に送ることにした。

 遺体は荼毘に付すことになり、イタペセリカ市のオルト・ダ・パス(平和の園)霊苑で葬儀を行なった。
 夜、オリンピック開催式をよそに子供らを連れて通夜に駆けつけた私は、祭壇の遺影を見て目を見張った。私の選んだ写真とは、まるで別人だ。寄らば斬る、といった殺気があふれている。仕事ひと筋で、取り付く島のなかった頃の義父だ。
 続木の長男は農学士であり、義父の興した会社に勤める一方、イベント撮影のプロの写真家としても活躍している。彼には一族の集いの折々、どれほど写真を撮られてきたことか。通夜の席で彼に聞くと、これは自分の撮った写真ではないという。
 いったい、この写真は?

 葬儀は、愛媛出身の続木家が帰依していた真言宗の阿闍梨に司式をお願いした。義父母は日本の菩提寺で生前戒名を授かっていたので、義母がその控えを探して仏壇の引き出しを開けてみると、この写真が出てきたという。かつて義父の知人が連れてきた、ブラジルの政治家を撮るのが専門の非日系の女性写真家によるものだった。
 義父はそれを遺影用に選んだが、あまり気に入っていないと義母に漏らしたこともあるという。

 実家に飾る遺影は、実の息子が心を込めて撮り続けたなかから選び直したらどうだろう。
 生前の義父になんの貢献もすることのなかった不詳の婿は、それを言い出しかねている。

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(ブラジルの日本語新聞『サンパウロ新聞』西暦2016年9月17日号に掲載されたものを、ウエブ画面用に改行しました)


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