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続木善夫 / 私の科学的有機農業論
     続木善夫 遺稿/追悼文  (最終更新日 : 2016/12/19)
続木善夫追悼文「義父・続木善夫と『アマゾンの読経』」(ニッケイ新聞掲載) [画像を表示]

続木善夫追悼文「義父・続木善夫と『アマゾンの読経』」(ニッケイ新聞掲載) (2016/11/14) 義父・続木善夫と『アマゾンの読経』 サンパウロ 岡村淳

 ブラジルの無農薬農業の草分けであり、生涯をその普及に賭けた義父の続木善夫は、リオ五輪開幕の日に八十六歳の人生の幕を閉じた。
 娘婿で日本人一世でもある私が、邦字紙への死亡広告を発注した。

 その掲載日の八月十六日のニッケイ新聞には驚いた。一面の社説に「無縁仏が呼ぶ声が聞こえる」と題して拙作ドキュメンタリー映画『アマゾンの読経』が紹介されていたのだ。
 1986年にアマゾン川流域の奥地で日本人移民の無縁仏の供養中に謎の失踪を遂げた伊豆大島富士見観音堂の堂守・藤川辰雄氏の数奇な足跡を追って、十一年の歳月をかけた五時間十六分の長編だ。この作品をめぐって、義父との確執があった。

 十二年前、この作品の初版を完成させた際、義父はサンパウロで入院中だった。
 病室でビデオ観賞が可能だったので、私は出来立てのテープを持参した。後日、感想を尋ねると「感動が足らん」のひと言だった。移民正史に顧みられない秘史に、孤軍奮闘、渾身の思いで取り組んだ作品だ。あまりの言葉に面喰いながらも具体的にどういうことか、と義父に聞いてみた。すると、登場する日本人ジャーナリストのインタビューが聞き取れなかった、とだけ指摘した。

 このジャーナリストは生前の藤川氏を取材して雑誌の記事にした人だ。多忙なこの人が謝礼も出せない私の取材に応じ、指定した東京の喫茶店での一期一会の撮影だった。周囲の雑音はかえって臨場感を高め、集中すれば聞き取れると私は判断したのだが。

 私は日本でテレビ番組制作勤務を経て、ブラジル移住を決意した。有名タレントの起用、大仰なナレーションや音楽で、その場しのぎの「感動」を押し付ける風潮に疑問を持ち、自ら納得のいく作品づくりを模索してきたつもりだ。
 義父は、自ら販売を続けた農薬の毒性への猛省から無農薬栽培にたどり着いた。しかし、日本のテレビ番組の中毒からは抜けられなかったのかもしれない。咀嚼力が衰えて、ハンバーグしか受付けない人にシュラスコ焼肉を提供しても「かみ合わない」というものだろう。

 義父は篤志家として日系社会にも寄付や資金援助を行なってきたが、徒手空拳で映像記録を続ける私の作業には、一銭の援助も施すことはなかった。

 拙作『アマゾンの読経』はブラジル各地で上映され、日本では今も上映が続いている。
 今年は主人公の藤川氏の生誕百周年かつ失踪三十周年にあたり、この九月には無住となった伊豆大島の富士見観音堂でこの作品の上映会を行なう予定だ。

 私は他人のことを執拗に取材する活動を続けながら、稀有な日本人移民であった義父を記録に残すことはなかった。
 しかし義父の「感動」は得られなくても、カネにもならない仕事にのめりこむ不肖の婿として「勘当」されなかったことは、感謝しなければならないだろう。

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続木善夫の(左から二人目)の最後の家族旅行のひとコマ


(ブラジルの日本語新聞『ニッケイ新聞』西暦2016年9月10日号に掲載されたものを、ウエブ画面用に改行しました。)


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