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宇江木リカルド作品集
     詩集「引き裂いた風景画」  (最終更新日 : 2003/05/21)
サン・パウロ州

サン・パウロ州 (2003/05/21) 坂の町サンパウロ


サンパウロは坂の町だ
低いイビラプエラ公園から
パウリスタ大通りのほうを見ると
段々に積み重なった高層建築群が
天を貫こうとする傲慢さで建ち並び
明日の崩壊を知らぬげに超然としている

サンパウロは坂の町だ
高層建築の屋上から沼地のように
黒々として見えるのは
犇めき合っている小屋掛けの貧民窟
地に潜ろうとする卑屈さは感じない
明日の勝利を信じているかのように
襤褸の旗がはためく

サンパウロは坂の町だ
朝靄に溶解すると幻影の町となり
夕映えに燃え立つと鮮麗な姿態を演じ
すでにして未来の廃墟を予告する
永遠なる存在を信じているかのような
人々が彷徨い歩く

坂の町サンパウロに
浸水が度重なり地盤がゆるみ
亀裂が生じ崩壊の前触れがあり
傾斜してゆく街のなかを
現在の惰性のままに日々がすぎ
汚穢の堆積物になってゆく

坂の町サンパウロが
いつの日か崩壊して瓦礫の荒野と化し
人みなが死に絶えて
薄ずみの静けさのなかへ沈潜してゆくとき
冷たく嗤っている
私自身の姿を私は見たい



ルース驛で


今日もまたルース驛のプラットホームに
飢餓と悲哀と
わずかな鍋を麻袋につめて
襤褸を纏った家族が降り立つ

プラットホームに糞を撒き散らす鳩の群れに似た
愚鈍さと高慢さと
大いなる夢で鳩胸を膨らませて
成り行き任せに出てきた人たち

煤けた煉瓦色のルース驛の雑踏のなかで
無知と放埒と
限りない鈍感さに救われて
大都市の陰翳になるために



パチオ・ド・コレジオ


過去の時間を独占して
丘のうえに誇り高く
偽善をひろめる根拠地が
煤けた緑のなかに
民衆の眼を欺く
人参色の屋根で覆った白壁の建物
これをパチオ・ド・コレジオという

現在の時間を隠匿して
高層建築群のかげで
善意を圧縮して惰眠を貪り
日々に悪化してゆく
民衆のうえに罪をなすりつけ
白々しい顏の牧師が目を細める

いにしえに飢餓に喘ぎ
いまもまだ飢餓を訴え
痩せ細る民の頭に手をかざす樞機卿は
いにしえの飽食にげっぷし
いまもなお飽食に腹鼓をうつ
教示する虚偽と欺瞞は承知している彼ら

発展した都市は良心の廃墟
高層建築群は野辺の十字架
煤煙のなかで増殖する鳩の群れ
鳩が平和の象徴とは信じがたい



ユーカリの


ユーカリの林に入ると
幽界と明界の境をさまようこころになる
ユーカリの樹々のもつ魔性に触れて
やわらかな樹皮のぬくもり
毛穴から浸透する麻薬に似て
脳漿が天へ吸い取られ
全天空の球体が見え
ヒトの住処の収斂をみる

ユーカリの林に入ると
物思う人となり得も言えぬ恍惚をさまよう
ユーカリの樹々の語らい妙なる音色
ざわめきは異界のことば
世捨て人の固執を捨てず
遠くに都市の雑音を思いつつ
甲斐もなき生活に飽きて
ヒトの世界の空転をみる

ユーカリの林に入ると
超自然への逃避が茫洋のうちに果たせる
ユーカリの樹々の芳香に陶酔して
煩瑣な日々を忘却し
ただ己が身の念いに落ちる
静謐の奈落の底に
ようやくにして平静を得て
ヒトの世の虚しさをみる



辣韮の花咲いて


辣韮の花が咲いていると
澄んだ妻の声の
硬い空気を突き抜けてきて
耳に軽くはじけて

辣韮の花の薄紫の雪洞模様の
影もないほの明かりになって
細い畔道の花道になって
立ち並ぶ花行灯の花模様の

花の翳りに隈取りもなく
花の愁いの哀れさの見え
遠い郷愁のまぼろしのごと
目の虹彩をぼやけさせる

の隠居仕事の裏庭の小さな畑に
辣韮の花のかぼそく匂い
薄紫の雪洞のときのまの移ろいに
湿った土の香りのなかの

町のなかの一握りのつちから
自然につらなる広がりがあって
妻の頬刷く綿刷毛に似て
辣韮の花のほのかに咲いて
カンピーナス驛から


赤煉瓦の古びた驛の
意味ありげなたたずまいに幻惑をおぼえ
どこに行くあてもなく列車に乗る

なけなしの銭をはたいて
子供っぽい満足に浸るため
一等車の切符を買って

車窓から突き出した顏に風の感触
心のうらを通り過ぎる濃いかげり
子供の頃の紙細工のかろやかな記憶

頭のうらにこびりついた憧憬は
超音速で貫通して
脳震盪の彼方へ連れ去る

赤煉瓦の意味ありげな驛舎の遠退き
引き摺りだされた稚い詩情の
黒い脳裏をカンバスにした

白い輪郭のある赤煉瓦の
積み木細工を想わせる誘惑に
車輪の音は時代を遡る

どこかで見た遠い思い出の
崖縁を音なく走るオモチャの列車の
小さな車窓の一齣づつの幻灯画

苛立ちを誘う点滅の連想は
ブリキの突起の胸の痛みに
白い肉片の嘲笑う幻覚

赤い血の玉の吹き出す予感に
顏怯えさせて眺めた夕映え
銀河鉄道の稚いおののき

引き裂かれた古い記憶の
意味ありげな赤い煉瓦の
過去を追う愚かしさに

流れ去る沿線の馴染みのない風景に
再現の不可能な悔しさだけの繰り返し
融解し得ない自嘲のみ残滓のひろがり



アカシヤは


アカシヤは太陽の涙の雫
水にしたたり波紋を描き
凝縮してゆく悲痛な叫びを
水面の亀裂にして永遠なる痕跡となる

解剖された胃のなかの襞に
溶解しきれない唾液の澱みの斑紋になって
浸透してゆく歓喜のつぶやきは
死に瀕したものの瞬間の真実になる

すでに世紀の終曲の吐息の聞こえ
混沌へ回帰する旅立ちははじまる
原初のあけぼのへの融解はあるか
再生する虚無のひびきのなかに

アカシヤは太陽の涙の雫
せめて希望をそこに繋いで
水面にひろがる音響におもねて
水面にたゆたう夢のまにまに



自然が織り成す色について


裏庭の池の面に
空のかけらが青く浮き
花の咲かない樹の葉が
まっ赤に燃えて花を擬装する
なんという強烈な配色
なんという配色の妙
繊細な情緒が破壊され飛散する

タヒチに逃避したゴーギャンが
野獣派になった由縁は
種を証せばこれだったのかもと
こじつけではなく想わせる

フランスで立体派を宣言し
平面なキャンバスに立体を組み立てようと
むだな努力を重ねた人よ
四次元でも五次元でも好き放題に構成する
自然を模倣する虚しさを知ればよかった

もうやぶれかぶれの純粋抽象派の画家たちは
「無題」とか「コンポジションⅤ」とか
色の染みを得意顔して売り付けるしかない
物知り顔でコレクションする人が救済してくれるから

空の欠けらが水に浮き
花のない樹が葉を染めるのだから



独立記念日に


もう三日つづきの空っ風は
長い日々を独り寝した女の肌のように
大地をかさかさにさせ
化粧を忘れた女の肌のように
醜く罅割れさせている

私の心もひび割れて
持っていた絵筆をおいて
「きょうわぁ」と意味もなく妻に問う
「セグンダ・フェイラ」
「いや」と私の目が白濁する
「セッテ・デ・セテンブロ、独立記念日だわ」
「そうかぁ、セッテデセテンブロかぁ」
べつだん感慨することもなく感慨ふかげに言う
妻の白菜を切る包丁の音が止んで
淡いみどりの光が漂う

今年はテレビが故障していて
「実況放送観られないわねぇ」
べつだん恨みがましい言い方ではなかったけれど
私はだまって絵筆を執り
キャンバスに朱を擦り付ける
生きている時間の証左に小さな日当たりが動いて
パレットナイフに残った絵の具がぬるりとして
移した目を眩い光が突き刺す
白々しい静謐
乾燥した硬い空
小鳥が風に逆らって飛び
空の白さにすがりつき
虚しく落ちて押し流される
凝視している私の舌が渇き
軒先に吊した風鈴が
肌触りのわるい風に煽られて騒ぎ立てる
「170年だって」
白菜を切る音のなかで妻が言う甘い声に
「なにがぁ」
と私は頭のうらで間の抜けた返事をする
「コメモラソン・ダ・インデペンデンシア・ド・ブラジルがよ」
「ふん」
白い絵の具を黄に潜らせて
「腹減ったなぁ」と私は言う
「カフェーにするぅ?」
「うん」
下腹に力を入れて
キャンバスに明るい黄を投げ付ける
パレットナイフで分厚く引き伸ばす
引き伸ばせない今日の日を思いながら
それでももうそこに来ている春の匂いを嗅ぐ
「そうかぁ、セッテデセテンブロかぁ」
九月七日は毎年くるけれど
私の今日は今日だけ
悲鳴を大地にすりつけて風が吹き抜け
庭の土が干涸びて白い目を剥き
小鳥が空に散って木の葉になり
錯覚の日々のなかで狂気の前触れを聴く



ただ静謐だけがあり


遠い雑木林の青さは過去の怨嗟か
大きな空間を斜めに
掠める小鳥のかげは虚しい執着か

白々しい陽光に
金箔を欺瞞する自らの衒学に嫌気して
明日の改悛を誓う虚しさ

目のなかの黒い斑点がものの影をぼやけさせ
その裏側に狡猾さが逃げ込む

破壊された音階の果てを
飛翔する小鳥の引っ掻き傷に
日陰に逃避しようとして果たせず
私は暑さに眩暈する

一瞬すべての音が消え深い恐怖を保存し
周囲が淡紅色の薄板となって愉楽をほのめかす

私は太い破線を引きながら
静寂のなかに埋没してゆく
静謐という字句はこんなところにあったのかと

緑の葉の甘い匂いに
諦めと口惜しさとを味わいながら
無責任に生きた過去を凝縮させ
自らは小さい水玉になって

白い空間は明日の改悛
梢の青さは過去の怨嗟
遠い風景は幼児の幻影
などと惚けて唄いつづける


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