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宇江木リカルド作品集
     詩集「引き裂いた風景画」  (最終更新日 : 2003/05/21)
サンタ・カタリーナ州

サンタ・カタリーナ州 (2003/05/21) イタジャイ河


黄土色の混沌
固形化した溜め息
水の下に水が潜り
水の上に水が被さり
水と水が押し合い
水と水が離れたり寄ったり
水が水と戲れ
逆巻きながら流れきたったイタジャイ河の水が
折しも満潮になって河を遡ってくる海の水と
ぶつかって混乱を惹き起こす
大きな渦となり小さな渦となり
逃げ場を失い
青灰色の山脈の失笑を買う
あれは自らの失策を覆い隠す垂れ幕
カモメが白い線となる

粗野で素朴なドイツ人たちが
祖国の切れ端をブラジルに置き換えるために
遡った河の彼方
分厚い緑の使用後の敷布の下の
イタジャイ河は そのときも
黄土色の混沌だったのか
女たちの冷えきった脚の啜り泣きを聴いたか
柔らかい肌の渇きを見たか
カモメが白い影となる

小さな青い曳航船の引き綱がゆるみ
河面に野太い汽笛がひろがる
海へ出て行く黒々とした巨大な鉄の塊
湿った家々は低く頭を垂れて沈黙を守る
黄土色の半導体が飛沫に砕け
底曳網のぬばたまにまだ濡れたままの
鰯船の甲板から潮を含んだ漁師たちの
声が汽罐の排気音の嘲笑ともとれる
カモメが白いきらめきになり点になる

黄土色の固体への還元の過程の
イタジャイ河は永遠の紐帯か
満潮の逆流の上にかぶさり
自らの水位をあげ
改竄された歴史のなかの
文字を修正しようとして
いっそう混乱を招いている
乾ききった崖ふちの土だけが
削り取られた栄光を怨む
そしてカモメは白く消滅する



イタジャイ港


海から河を逆行して
異国の貨物船が黒々と
巨大な鉄の塊を
浅い河底に捕られまいとして
用心しいしい入港する

あぁっ ジャスミンの芳香がする

異国の船の船尾で
異国の旗がはたはたはためく
異国の船乗りたちが黒い影になって白い歯をみせる
潮風をふくんだ赤い旗

河幅を圧して
異国の貨物船が黒々と
嵩高い鉄の塊となって
甘い東洋の夢に濡れて
白い橋頭がさらに首を伸ばして
イタジャイの街を俯瞰している

あぁっ 胡弓の音色が聞こえる

真昼間の白い月と白い星と
はるかな異国の風景と
遠い異国のおんなたちの艶やかな口元の笑みと
なつかしい悲哀を運んできた船

妄想を打ち砕いたのは
居丈高に脚踏張った起重機
唸り声をあげ頭を振り噛み付き振り回し
息絶え絶えになったものを
容赦なく吐き捨てる

鰯船と海老漁船が生臭い息をはきはき帰ってくる
肩を摺り合い押し合いへし合い
生きて行けない忿懣をぶつけ合いながら

深い深い海の底で
深い深い眠りに就く
月の色した貝たちの
星のしずくの夢を見ながら
不漁つづきの今日この頃
鉄錆色した漁師たちの
重たい声が漁網に凍りついている

黒々と巨大な鉄塊の異国の船が
猥雑な小さな漁船たちを
無表情に見下ろしている



町の造船所


老朽船はもう天国に昇りたがっているのに
思いやりのない人間どもが
綱を掛け足場を組み
寄ってたかって延命をはかる
神輿にされた老朽船は
古代からの祭事に酔って老醜を露わにする

新造船は軽薄に天降りしてきて
恥知らずな裸体を晒し
追従者の人間どもが
尾鰭をつけ心臓を埋め込み点眼し
たとえ今日の喜悦が明日の悲嘆につながろうとも
容赦なく海へ押し出す

憂愁と倦怠とが澱む鄙びた町の
ここだけが誇り高き祭場
槌音高くひびくなかに
人間どもの浅はかな勘違いの声がまじる

ナベガンテスの缶詰工場の煙を吐かない煙突が
嘲笑と羨望を綯い交ぜにして見下ろしている
もう貧民に鰯の施しをしなくなった門扉は
堅く閉ざされたままである
私は思う
明日はこの町を出て行こうと



ブルメナウ


おお、ブルメナウ
ヨーロッパの模倣の町
水に漂うのはベネチアの模倣ではない
年毎の水害に無策な恥を曝しているのみ

おお、ブルメナウ
濁流に影映す模倣の町
汚濁に漂っているから
いっそう祖国への懐旧の念深く
いっそう限りなき愛国心を引き立てる

おお、ブルメナウ
無策と怠惰は勲章に値する
ヨーロッパの模倣を
永遠なる課題としよう
誇り高くジョッキをあげて



ブラジル万歳


樹々の葉裏を風が撫で
落葉と見紛う小鳥が舞う
ぬくぬくとした土に種を播き
水を撒き
草を刈り
マンジオカとバナナと蜜柑と玉蜀黍と
山羊の乳があって
鶏の卵がある
怠け者のためには豪勢すぎる食卓

金もなく名もない日本人が
とつぜんやってきて
手品のように手に入れた土地
ブラジル万歳
晴耕雨読
悠悠自適
琴瑟相和す
暇ありて瘡掻く
ここは異国
周囲はガイジン
気遣う人もこともなく
「コモ・バイ」
「トゥド・ベン」
良かろうはずもない人たちが
呑気な顏して「良い」という

「ブラジルへ行ったら働かんでも食えるちゅうで」
死んだ爺さんはほんに莫迦だよ
そんなことをほんきにして来たんだから
何十回となく聴かされた婆さんの愚痴
婆さんよ、爺さんは嘘言わなかったよ
俺は働かんと食ってるもん

自分の土地があって
自分が食うだけのもの作るのなら
こんなに呑気な顏して日々を過ごせる
できたもの売って儲けようなんぞという
慾さえ出さねば
ブラジル万歳
この怠け者の生活が
命あるかぎりつづくはずだから
そう! つづくはずなんだ
神が
ある日
とつぜんに
意地悪いことさえしなければ



あとがき


 北から南へ、大雑把な杜撰な計画で、旅人となる。
 妻を連れての二人旅だから、孤独を楽しむ自由はなかった。
 生来わがままものだから、妻の意志を無視して、奔放に十幾年も旅できて、不服を言うことなどないけれど。
 日本のような箱庭的な美を求める気はもともとなかったから、うたった詩にも詩的な美はないだろう。
 ブラジルの風景は、荒削りで皮相で投げ遣りで粗野で諂いがない。感に堪えぬという感動はないけれど、噛み締めると味の滲み出る外米に似て、これはこれで格別の味わいがある。
 五年ばかりは忠実な自然の従僕として、視えるものを視えたままに描いてきたが、ある日とつぜんの飛躍があって、対象を自らの意志によって抽象化し、私独特の心象風景を描けるようになったと思っている。
 誰かが、自己満足だよ、と言いそうだけれど。
 正直に言うと、私の左眼はほとんど視力がない。右眼ひとつですべてのものを観ている。観ているだけならそれですむが、手に捉えようとすると片眼のせいで距離感が狂って掴みそこねる。そんな私が、片眼で観察し把握するものが偏狭になるのは当然だと自覚している。しかし、それゆえの焦りはある。
 絵によって表現し得なかった情熱は、詩によってぶつけてみようと、私は、私自身のタブローを引き裂いて、風景画の裏側に突き抜け、たとえ目には視えなくても、たしかにそこに存在するはずのものを追い求めてきた。
 理解してもらえないかもしれないけれど、もともと常識の人たちには、いつも私の言動は理解されなかったのだから、私は私の生き方をするしかないと、傲慢に思っている。
 自分の思うままに生きたのだから、後悔はないだろう、と人は言うだろう。しかし、違う。私の日々は後悔の積み重ねである。後悔を垂れ流して旅しているのだから、汚濁に満ちている。清く正しくなどという言葉は聴いても信じない。人間社会でそんな生き方をできるはずはないと思っている。それが自分自身の救いである。汚れきって野垂れ死にするつもりである。
 私が生まれた大阪の、御堂筋の一隅の昔の「花屋」の前に、排気ガスと塵埃をかぶって、芭蕉の碑が建っている。まさか芭蕉の霊が私を誘惑したなどとは考えないけれど、なぜかしらその碑が気になって、なんどもそこに行き、腰を屈めて目を凝らして、薄れて行く碑面を探っているうちに、ある日とつぜん、「野に行き倒れる旅人になろう」と心につよく思うようになった。
 その自らの意志がいま叶えられようとしているのである。これ以上なにを望むことがあろう。

 ブラジルは、あらぶる神の住むところで、心荒んだ詩人にとって申し分のない風景を与えてくれたし、殺伐とした砂漠化の大地が、人知れず死ぬにふさわしい墳墓の地であることを教えてくれた。

ああ、ブラジルよ
世界のなかの大きな赤ん坊よ
自らの手におえない玩具を欲しがり
いくつも片隅におっぽり出している国

ああ、ブラジルよ
世界のなかの小さな管理人よ
管理能力もないのに膨大な空間を欲しがり
埃と黴に埋もれさせている国

ああ、ブラジルよ
未来が混沌としているからこそ
限りなき夢をもてる
可能性をずっしりと秘めた国

大いなる栄光あれ
虚栄に満ちた国よ
愚昧なる民衆よ
民衆のなかの俺は
こよなくブラジルを愛するから
ブラジルの土に溶けさせて欲しい


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