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宇江木リカルド作品集
     掌編小説  (最終更新日 : 2003/10/01)
嫉妬

嫉妬 (2003/10/01)  夫の還暦祝いをしようと息子が言い出して、親戚、友人らを招待し、もう賑やかな歓談の渦があちらこちらでできている頃になってから、わたしが招待した松山京子が、人目を引く颯爽とした様子で玄関を入ってきた。
「あの人、誰」
 傍に立っていた隣人で日ごろ親しくしている主婦がささやくように訊ねた。
「わたしの女学校時代からの友人なの」
「こんなことおしどり夫婦のあなたに言わないほうがいいと思っていたんだけど、用心したほうがいいわよ」
「どういうことぉ」
「このあいだリベルダーデ(自由)広場で、あなたのご主人といっしょにタクシーに乗った人だわ」
「まさか、人違いでしょう」
「すごい美人だもの、見間違うはずはないわ」
「ありがとう、ご忠告」
 わたしは、隣人には、「人違いだろう」と言ったけれど、やはり、と心のなかでは、ずっと持ちつづけてきた夫への疑惑に、スポットを当てられたのを確認していた。
 わたしたち夫婦は、誰からも「あなたたち夫婦は偕老同穴の見本みたい」と言われるほどだったのだ。
 わたしが主人と結婚する以前に、すこぶるつきの美人京子に主人が惹かれているのを感じてはいたのだけれど、主人がわたしを選んだのは、私の家のほうが経済的に恵まれていたし、京子の家が貧しい母子家庭だったからだと思う。
 わたしは平凡な主婦専業をつづけてきたけれど、京子は獅子奮迅に働いて、高級洋装店をモルンビーの豪邸が建ち並ぶなかに開いていた。そして結婚をせず、「男関係なぞ煩わしいだけだわ」と言ってきたのだ。
わたしは、かつて一度も嫉妬という感情をもったことがなく、嫉妬は最低の動物的感情だと思ってきたのに、それがいまわたしの胸のなかにどっとどす黒い渦を巻きはじめているのを感じた。
わたしは京子を出迎えるために、玄関のほうに出ていきながら、夫の傍を通るとき、熱いコーヒーを配るために持って歩いていたトレイを、過って落としたように、あらあ、と声をこぼしたけれど、心のなかでは憤怒に燃えて、床に投げつけていた。


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