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マツモトコージ苑
     1995年  (最終更新日 : 2005/10/30)
ピラレタ移住地(パラグアイ) [画像を表示]

ピラレタ移住地(パラグアイ) (2005/10/30)  パラグアイの首都アスンシオンから東へ約百キロ。近郊農家の借地農脱却、蔬菜を主体とした永年作物の定着を目的に設定されたピラレタ移住地。農家の次男、三男を対象にJICA(現:国際協力機構)の直轄小移住地として、一九八三年に土地購入を行い、翌八四年に分譲が行われたが、現在入植している日系人はわずかに四家族のみとなっている。入植当時、為替レートの大幅変動による土地代の高騰、出稼ぎによる人離れ、また霜の被害や高台にある事などの悪条件が重なり、移住地としての発展は困難を極めた。現在も円高による影響で土地の値段は上がる一方で、入植者が増えることはないという。現状はどうなのか、移住地の四家族に話をい聞いた。

(1)

 ピラレタ移住地開設当時から入植を行い、今年で十三年目になる和田唯雄さん(六五、高知県出身)。入植以前、アスンシオン近郊に住む農家の七五%は借地農と言われ、永年作物を主体とした集団移住地を目指して作られた「独立期成会」の委員長を務めた。
 当時、四十六家族の責任者として入植した和田さんは現在、十町歩の土地に永年作物のマンゴーを主体として、トマト、メロン、白菜などの栽培を行なっている。
 「当時はマンゴー作りは苗もなく、自分で作るしかなく思うようにいかんことが多かった。マンゴーは九町歩植えているが、今年は雨が多くて値段も上がらず売れんかった。しかし、マンゴーに取り付いた以上、結果が出るまでは何と言われようと辛抱している。もっと楽にマンゴーができる場所もあるが、責任者として入った以上、実らせてから移住地を出たい」
 入植当時、十八人の土地契約者は土地代の一〇%の頭金を支払うことで購入できたが、「悪いこと」は続いた。インフレによる為替レートの急変動で土地代が高騰、頭金さえ払えない人が続出した。加えて、日本の入管法改正による出稼ぎの増加で、契約者の中からも土地を捨てて出て行く人が多かった。
 また、その土地への不法侵入が問題となり、日系人の小移住地としての建設は思い通りに進まなかった。
 「当時は(ピラレタに)入りたいという人はいっぱいおった。入らなくなったのは、アスンシオンから百キロも離れていることもあるが、やはり土地の値段が高いこと。今も円高で益々値段は上がる。そうなると、手をつける者はいない。このままでは入植者は増えんじゃろ」
 土地の高さに加えて、野菜、果物作りには資金がかかる。失敗すると赤人を抱えることになる。
 「パラグアイでは、農業用の肥料や資材などはブラジルやアルゼンチンから入ってくる。ドル換算になるので値段も高い。しかし、生産物は(パラグアイ通貨の)グァラニーで売るので安くたたかれる。割りに合わんよ。それでも、もう少し頑張ってみようという気持ちがある。これまでやってきたのだから・・・」と和田さんは自分の言葉を確かめるようにつぶやいた。
 今後の移住地について聞くと、「不法侵入防止のためにも、JICAの土地を日本人やガイジン(パラグアイ人)に使わせたらええと思う。今は一年は無料でJICAが土地を貸しているが、地元の人は気も優しいし、盗難も少ない。もっと貸していけば良いと思う。思い切った処置をとらないと、宝の持ち腐れじゃよ」と言い切る。
 和田さんと同時期に入植し、隣に住む桜井宏さん(三八、宮城県出身)は、十二・五町歩の土地に永年作物のマンゴーを中心として、ミカンの栽培も行なっている。
 今年はマンゴーの生産そのものは悪くなかったにもかかわらず、引き取り商人のミスからはじめに出荷した千箱(和田さん分)を腐らせた。その影響で桜井さん自身の六百箱のマンゴーは引き取ってもらえなかったという。
 「運が無かった。今さら何を言っても仕方がない・・」と答えたが、やるせない表情は隠せない。頼りの換金作物が金にならないことは、農業生産者にとっては死活問題だ。
 桜井さんは「百姓は資金がないとやっていけない。確実な収入も分らない。マンゴーを十年近くやっているが、本格的な実をとるには六年はかかる。それでも今は、手間も以前ほどかからなくなった。マンゴーが見込みが無いという訳じゃない。(永年作物として)良い時期は必ず来る」と自分に言い聞かせるように、そう答えた。
 「日本人に(移住地に)入ってきてほしいという気持ちはある。日本人が入ってくれば、JICAも本腰を入れて援助を行なってくれるかもしらない」
 本心から出た言葉だった。

(2)

ピラレタ(村上さん).jpg
乳牛を飼う村上さん
 異色の移住者もいる。村上さん(三七、二世)は、十一年前の入植当時はJICAの土地管理者だったが、そのまま移住へ。以前は野菜類も作っていたが、現在は乳牛とサトウキビを植えている。
 「日本人としてはサトウキビは一番良いと思う。ここではコンバインなどの機械が無いので、大豆や麦などの大規模なものはできない。牛乳はメルコスール(南米南部共同市場)が始まってから一リットル五百グァラニーで出るが、ウルグアイからもっと安く入ってくるのでしんどい。牛の飼料も上がる一方で、儲けはほとんどない」
 日本人に入植してほしいと思いつつも、村上さんは現状には満足しているようだ。
 「息子が後を継ぐのなら、ずっとここにいたいという気持ちはある。ただ、ここでは人夫の問題がある。サトウキビの収穫時期は、自分で人夫の送り迎えができなければ、来てはくれない」
 村上さんの土地は十一町歩で、その半分を乳牛のための牧草地に使っている。そのほか、JICAから一年間無償の土地を二十町歩借り受けている。
 「土地を広げたいという気持ちはある。もう少し、土地代が安ければと思うが」
 入植してまだ四年の安西守さん(四五、神奈川県出身)は、八四年に入植した渕脇陽さん(九二年に死去)の義弟で、その土地を引き継いだ。
 サトウキビを中心にマンゴー、ミカン、スモモ、レモンなども植えているが、力を入れているのは、あくまでもサトウキビだ。安西さんが入植する以前まで行なっていたトマト作りは、資金がかかることと値段が安いとして、やめた。二年前からサトウキビが軌道に乗り出し、昨年にはピラレタで四つ目のサトウキビ工場ができた。
 「現状としてはとりあえず、納得してやっている。始めてから損はしていない」と語る通り、JICAと契約した七十二町歩を他の土地所有者から借りているという。それでも「あと二十町歩ほどはほしい。サトウキビ専門で三年貸してもらえれば土地代は払える」と。
 しかし、安西さんもサトウキビが軌道に乗るまでは大変だった。「前は(サトウキビを)作っても工場の受け取るキロ数が少なく、また自分で搾って煮た黒蜜を自分で工場まで持って行っていた」
 ピラレタで作るサトウキビはすべて「カーニャ」という酒に変わるのだが、現在は工場の他にピラレタから約四十キロ離れたパラグアリやガランバレ(七十キロ遠方)からもトラックで注文が来るようになった。
 サトウキビはスモモや野菜のように手間がかからず、一回植えれば四、五年はもつと言われる。人手も野菜類に比べてかからないため、人夫の少ないピラレタには一番適していると安西は語る。
 「サトウキビなら借金を返せる自信はある。このことは日本人にも知ってもらいたい。特に移住にはこだわっていない。日本人が入ってきても良いし、入って来なくても良い。損をしない間はここにいるが、赤字が出るなら自分から出て行く。ここではパラグアイ人の中に入って、同じ生活や遊びをしないとナメられる。荒っぽくないとやっていけない」
 割り切った考え方が、安西さんの場合は良かったのだという。軌道に乗ると、土地をさらに増やしたくなるのが人情だ。「ピラレタ意外にも土地を買って、サトウキビを植えたいという考えもあるが、JICAが持っている土地が肥沃で一番良い。土地や侵入者が入らないように柵をしているが、あれだけの良い土地ならガイジンが進入したくなるのも分かる気がする」
 不法侵入者対策に無料で貸しているJICAの土地は、一回植えると五年はもつという。そうした良質の土地が、サトウキビ栽培者には貸してもらえない。そのことに安西さんは顔をしかめる。
 円高により土地代は上昇する一方だが、JICAパラグアイ事務所側でも「今のままでは、いつ値段を設定して良いのか分からない」と困惑した様子。
 「パラグアイ事務所としては、未分譲地については土地を安く販売したいという意向はあるが、日本政府の土地となっている以上、外務省、大蔵省(現:財務省)の決裁がおりて初めて実施できる。今の大蔵省が土地を安くするとは考えられない。それをどう突破するかが問題だ」と役人的な思考が目立つ。
 そうした上で、「ピラレタ移住地が入植から十年経った今でも頭金だけしか入れてもらっていない人も多い。契約のシステムは入植する前に承知しているはず。当時は四年据え置きの五年分割払いとしているが、少しでも返すという誠意を見せてほしい。一方的な要求はどうかと思う。気持ちは分かるが、あれもこれも全部はできない」と担当職員は話している。
 現在残っている未分譲地は、四十五ロッテ(五百三十三町歩)中、二十四ロッテ(一ロッテは単純計算すると平均約十一町歩だが、JICA側の説明ではそれぞれ面積は違うという)。二十一ロッテは分譲済。また、未分譲地中、その年によって格差はあるが、その七、八割は不法侵入者対策として一年契約(無料)で貸与しているという。
 いずれにせよ、未分譲地についてはこのまま放置あるいは無料貸し出しを続けていく訳にはいかなくなる。移住地では死活問題も出てきている。双方、あるいは第三者の積極的な進展が今後、注目される。(1995年4月日伯毎日新聞掲載)


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松本浩治 :  
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