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伯国東京農大会
     会の沿革  (最終更新日 : 2014/03/17)
旧会館建設の由来

旧会館建設の由来 (2004/10/26)
会報編集部編
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旧会館正面
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旧会館内のスナップ
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校友関連のバザーも八年続けられた
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校友マージャン大会
 伯国東京農大会の沿革については、既に掲載されており、昭和3年着伯の佐藤貫一氏(大正3年学卒)は現在なおご健在で、その長寿を切にお祈りする。 1957年、杉野忠夫先生来伯以来、拓殖学科を主体とした移住が始まり、現在29期生になろうとしており、その他の諸学科卒の校友をあわせ、名簿に記載されている者だけでも200名余になる。その二世はすでに大学生、社会人としてブラジル社会の指導者になりつつある。
 この間、母校の先輩、学長、理事、教授、研修生の来伯が相次ぎ、1973年6月24日、追悼の碑の落成式(現在22名合祀)を行い、その後、毎年一回そこに集まって記念会をもち、校友の心の通い合いの拠点となった。
 1979年3月23日、従来の東京農業大学校校友会ブラジル支部は、正式登録と同時に社団法人伯国東京農大会と称して新しく発足。1980年7月24日、母校の格別な配慮、交友及び関係者の皆様の善意の結集として会館の落成式を挙行。その後、増改築を行い、校友親睦、日本からの訪伯教授、校友の宿泊、実習生の研修センター、及び校友子弟(現在8名)のサンパウロ遊学の宿舎などとして、その果たしている役割は大きい。
 この会館建設の推移については何回か報告されているが、改めて今後のための記録として書き残すこととした。
 1956年頃より始まった校友の戦後移住は、1960年頃よりの拓殖学科卒業生をはじめとして増加、それにつれて母校関係者、校友、実習生の訪伯者も増え、その都度ブラジル支部長(久万、高松氏など)はじめ役員たちは自宅に招じ、好意的に便宣を計って来た。しかし、こうしたケースは団体として校友会が面倒をみるべき性格のものであるという空気が醸成されつつあった。その後の具体的経緯は次のように、1980年7月27日の伯国東京農大会館落成式の報告書より転載し、若干編集部として加筆させていただいた。

◎1975年、グヮルーリョスにおける慰霊祭に母校を代表して笠松副理事長が列席されたが、同氏の来伯を機に東京農大校友会と在伯農大会の連携の強化、緊密化が強調され、同時に訪伯実習生並びに農大関係者の引き受けに対して過去における個人個人の負担による引き受けを一本化し、農大発展の足がかりともいうべき農場または会館の設置の必要性について意見の交換が行なわれた。この結果、学校側の対伯認識を深めるため、第一段階として訪伯視察団を募集することになった。

◎1976年7月、小野三郎理事長を名誉団長とする東京農業大学校友会中南米支部交流及び農業事情視察旅行の訪伯団を迎えることとなった。第4回慰霊祭に続いて会館建設に関する意見の交換が行なわれ、学校側の内諾を得るに至った。視察団は、その短い在伯期間中にコロニア各界の代表者と懇談し、調査を行なったのである。一行は名誉団長:小野三郎、団長:桜井又エ門、副団長:松田藤四郎、笠松健一、幹事:足立敏夫、池田長三郎、青井俊司、万代正信、事務局:小杉正巳、井上薫の諸氏をはじめ40名近い大型視察団だった。

◎1977年、在伯農大会の高松副支部長が訪日を機会に母校を訪問、大学当局との間で会館建設に関する具体的な実行計画について意見を交換、大学側の積極的な構想を聴取して帰伯した。

◎上記、小野三郎理事長をはじめとする昨76年度の訪伯と、高松副支部長の母校訪問等にて会館建設の案は進み、小野理事長の肝いりで、教授会にて正式議題として仮称ブラジル問題検討委員会を置く方針を決定、6月7日の教授会で承認された。委員として金木良三教授(農学部長)、中野正雄教授(農場長)、近藤典生教授(国際交流委員会委員長)、千葉弘見教授(拓殖学科長)、小野功助教授(拓殖学科)、松田藤四郎教授(校友会副会長)、押見有理事(総務部長)、斎藤豊次郎(財務部長)の各先生にて運営委員会を組織された。

◎同年10月29日から30日、校友会副会長武正総一郎氏来伯。

◎1978年、原島氏(伯国農大会会計)の訪日に托し、会館建設の青写真を学校当局に提出した。原島氏は、これを基礎に予算の具体化について学校側と折衝を行ない。その大綱を纒めることになった。同年7月、会館建設調査団として大学から金木良三、小野功の両氏、校友会本部から校友会理事松田藤四郎(会長代理)が来伯、細部に亘る打合せを行なった。(1979年、原島氏に托した会館候補地には3案があった。それぞれに利点、欠点があった。結局、地理的、購入価格、運営面、維持の上から総合的に見て、現在のアクリマソンの場所が校友の多数決により決まった。)
又、同年8月27日より31日、リオ・デ・ジャネイロでの国際栄養学会に出席、8月31日より9月1日サンパウロ、2日より5日ベレン地区でパラー農科大学訪問のため鈴木隆雄学長、常務理事西郷光彦(栄養学教授)、前学長平林忠(大日本農会副会長)の諸氏来伯。

◎1979年9月、学校当局より会館建設資金として659万5千クルゼイロス(5千万円)が1979年10月8日付にて交付された。この前後に故秋山仁(拓5)兄の尽力も特記されるべきである。同年末、在伯校友会は発展的に解消、その名も社団法人「伯国東京農大会」として公式に登録され、名実共に新発足することになった。

◎1979年10月、アクリマソン区ロベルトソン街303番地に二階建家屋を500万クルゼイロスで購入、ここに待望の農大会館が開館した。またこれを記念して、10月29日より11月14日にかけて農学部長金木良三、助教授小野功両氏が来伯。あわせてアマゾン日本人移住50周年式典に参列した。更にコロニア慈善団体など5団体に10万クルゼイロスを寄附するすると共に、戦後農大卒業生の引き受け、指導に当られた元パトロンを招待し、感謝状と記念品を贈って感謝の意を表した。又、研修センター(仮称)としての会館の視察及び今後の打合わせを行った。

◎1980年4月から7月にかけ、会館の改装、増築工事を行なった。この予算は110万クルゼイロス。新装なった東京農大会館落成式は7月27日、農大代表押見教授、校友会代表小野助教授、拓殖代表津川安正氏の3氏を日本から迎え、コロニア著名士多数の列席を得て盛大に挙行された。当日の主な出席者は次の通りであった。
東京農大側=押見教授、小野助教授、津川安正氏。
コロニア代表=相場日本文化協会会長、野村下院議員、井上コチア産業組合中央会会長、橘商工会議所会頭、田草川全拓連代表、吉崎元農大教授、向井恒夫氏他。
在伯校友=70名とその家族計200名。
全伯に分布する校友中、特にアマゾンから代表として坂口氏、パラナ代表堀内氏、リオ・グランデ代表長尾氏、リオ代表家田氏、サンタカタリーナ代表望月、北沢氏等が遠隔地から出席した。
同日、午前中、グヮルーリョス市墓地で慰霊祭、午後、会館で落成式を執行した。晴れの落成式当日、長年に亘り支部の発展、強化並びに支部員相互の親睦に尽力した、久万敏夫会長にブラジル地理学会より野村下院議員を通じて功労章が授与された。校友会から橘富士雄南米銀行会長、井上コチア産業組合中央会会長、向井恒夫の諸氏に対して東京農大名誉校友章を授与した。盛大に催された祝賀会には、加藤耕治大先輩(当時93歳)や佐藤貫一元支部長らの顔も見え、実に楽しい一日であった。
(1988年7月1日 伯国東京農大会 会報10号)


 ふり返ってみると、1973年~1980年は、久万敏夫先輩を中心として、慰霊碑建立、会館建設に一丸となって努力した時代で、諸兄の母校愛に心から敬意を表するものである。その結果がコロニア名士の参集を得て二百数十名での祝賀会となったわけで、これは伯国農大会の一つの躍進への区切りであった。
 「創業と継承」という。創業の苦労は盛り上りもあり表面に出て華々しいが、後者の継承ということは、目にみえない苦労が伴うのに比較的に表面に出ない。特に大変なのは、維持や補修のための経費面であり、そこには運営の仕方と会計を担当するものの苦労がある。この点、1981年、久万会長のあとをうけ会長をつとめられた、高松氏や役員諸氏の苦労があったと思う。そしてそれを切りぬけられたことに心から感謝する。
 さて、81年以降の増改築、補修大略は下記の通りである。

=記=
1、81年頃より84年頃にかけて
 1982年に会報第1号が発刊され、85年1月10日には第5号を発刊し、その間に会館運営について積極的に討議して努力されている記事が多くあるが、増改築、補修についてはふれていない。従って当時関係した方(高松、五十嵐、北原、原島諸兄など)から聴取した結果をまとめてみた。第1号の「会館利用の現状」の中に、「会館の購入及び改装、増築で約700万クルゼイロス消費しましたが、その利用度は逐年増加の傾向にあります。1981年7月には、全日本相撲連盟派遣親善使節団の宿舎となったほか、云々」とある。この700万クルゼイロスは前述の母校からの5千万円=659万5千クルゼイロス(79年10月現在)と80年4月から7月にかけての増改築に計上した110万クルゼイロスの計769万クルゼイロスに相当すると思う。これには当時の預金利子が加算されているからである。
 この前後の記憶をたどると、相撲使節団来伯当時はまだ一人の「おじさん」の管理人時代だった。現在のようにホール二階と本館との間の屋根の増改築は「安田あきのさん」の時だから、82年~83年である。この工事は現在の女子学生長期宿泊者の宿舎になっているホール階上の増改築である。当時は現在の二階の中央の廊下がベランダで、後方だけの二室だけであったものを、現在のように本館側へ二階建として追加、計四室とし、階段の屋根及び、本館との連絡の屋根を増築したものである。
 このための資金はインフレによる貯金利子、運営経費の節約、宿泊者の謝礼、寄附などを貯蓄して来た会計の叡智の賜物や、建設委員会の目にみえない犠牲的な奉仕によるものである。

2、85年頃より現在まで
 すでに二十数年を過ぎた住宅として当然のことながら、あちこち破損個所が生じてきた。特に鉄枠、といい硝子戸枠などの腐蝕がはげしくなった。一方、ブラジル全般の経済不安を反映して盗難事件が頻発するようになり、保安上も表玄関の鉄柵を高くし、それに処する必要にせまられてきた。一方、それまでも危惧していた地盤のゆるみが目にみえてきた。そのため壁、床に亀裂を生じ、二階便所の一部のタイルが落下するようになった。
 この年(1985年)の7月27日の慰霊祭、懇親会、バザーに母校より松田藤四郎前農学部長(現学長)、小野功拓殖学科助教授をお迎えし、種々の問題を討議することが出来て幸であった。その中にこの補修工事についても理解ある了承を得て、120万円(5837ドル)の補助金を受けることが出来た。

=記=
1、期会館修理、改造について―
 修理箇所は、
①本館正面柵及び門の高さを2.5mとした。
②中扉、本館会議室の窓の柵、表裏大扉等をすべてアルミ材にて仕上げてきれいにした。
③正面両隣のレンガ塀を増高、化粧塀として明るく新装できた。
この工事は1986年1月25日より開始し3月16日に終了した。費用は母校よりの援助による。その時点でCR$58860000であった。

2、その頃(1986年6月)すでに第二期工事予定も計画されている。そしてこの費用は第一期工事の残金と会員の寄附により実現可能になり、7月末より着工することになっている。
 その後、第二期工事については会報7号(1986年11月30日発行)に掲載されている。即ち「現在、地方校友の二世子弟4名がサンパウロで勉強するため宿泊している。今後こうしたケースは増加するし、日本からの先生方や校友の宿泊に支障をきさないため、すでに計画されているように(当時の管理人の住宅を子弟の宿泊所とし、管理人用には別棟として奥に約50㎡余の小住宅を増改築することになった。そのための資金援助をお願いしたところ遠近を問わず協力していただき、これも母校愛の一つのあらわれで、感謝にたえない。クルザード政策による経済不安定や、その後のインフレ進行等にて工事は予想どおり進まず、会計の原田氏を中心に運営委員会は苦労しているが、実現に向けて奮闘を続けている。」とある。尚、1986年11月13日現在「会館増築並びに補修用資金寄附者は58名で計109180クルザードスであった。
 この工事は87年度6月完成、5月には、82年より5年間働いていただいた安田あきさん家族と原田幸穂さん家族との管理人交代があり、原田さんは新家屋に居住。一方、ホール階上の旧管理人住宅を補修、8月に完成することができた。こうして、本館階上で一室に同居して勉学していた6人の女子学生たちがこの三部屋に移り住むことになった。
 この最終的な「管理人独立家屋建築報告」は会報9号(87年12月1日)に会計よりの報告があるので、その要点だけ掲載する。それによると、「1986年6月より87年4月までに64名の会員により総額118730クルザードス(1987年4月現在、1986年11月より増加)の寄附あり、副会長高山利雄、会計原島義弘の両氏にて管理、現在の約50㎡の独立管理人家屋を完成した。1986年10月工事当初、約100000クルザードスの予算を計上したが、完了時の87年6月には、218123クルザードスを消費した。この赤字99393クルザードスは母校よりの委嘱料の貯えがあったので難関を切り抜け得た。会員諸兄の御協力に運営委員一同感謝すると共に、今後の御協力をお願いいたします。」とある。
 こうして85年以来、来伯母校関係の先生、校友、実習生の利用度の高まった会館は、更に二世子弟のサンパウロ勉学の場として長期宿泊者の便宣のため、母校及び校友の協力により現時点として上記の増改築を完了したこと感謝にたえない。

3、現在までの経緯は上記のとおりだが、元来住宅として造られた家屋の間取りのため、不都合が多い。例えば、母校からの先生方でも校友と同室で宿泊してもらわざるを得なかったり、夫婦の場合は一室を貸し切るため、折角のありあまった寝台も利用されず、別の申込者が重なると止むを得ずお断りしなければならない事も度々であった。役員会はこの問題解決のため考えてきたが経済問題もあるので時期を待っていた。この度、大体そのメドもついてきたので、この11月14日より着工した。その改築には約2000ドルの予算の承認を得て本館の前の部屋を二室に仕切り、明るい大きすぎる便所を母校や来賓用のアパートメント式部屋とし、階下の会議室の続きにもう一つ便所を増設する。こうして利用度を高め、できるだけ皆様方の便宣を図ることにしているので今後とも、地方校友諸兄にも物心両面の御協力をお願いいたします。又、このやりくりや、改築管理のために今後も犠牲的に努力してくれる、会計の原島、高山利雄兄や北原兄はじめ建設委員の諸兄に心から感謝します。
(1989年1月1日 伯国東京農大会 会報11号)


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