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     2010年ゲスト・アーカイブ  (最終更新日 : 2010/12/30)
Vol.133「シベリア抑留からブラジルへ」 谷口範之さん

Vol.133「シベリア抑留からブラジルへ」 谷口範之さん (2010/10/09) 放送:2010年9月22日(月)ブラジル時間 11:47~14:42(2:55) 日本時間 23:47~02:42(2:55)、ダウンロードはゲストコーナのみの2時間3分56秒です。
出演:谷口範之(85、広島県出身)、松本浩治、細川多美子、砂古純子、大久保純子

 谷口さんのご自宅に入ると、広々とした荒野の美しい写真があった。それは1992年5月にモルドイを再訪問した時の写真である。だが、そこは風景の美しさからは思いもよらぬシベリアで日本人捕虜620人中243人が眠る地でもある。
 ブラジルにはシベリア抑留経験者が何人か渡伯してきている。谷口さんもその1人で、17歳で新京の「満州電信電話株式会社」に入社。1945年20歳の時、関東軍の第119師団歩兵第254連隊第3機関銃中隊に入隊。同年8月、ソ連軍が満州に侵攻。「伊列克図(いれくと)の地で捕虜になるために行ったようなものでした」と谷口さんは語った。
 塩水ぐらいしか与えられないチタ州モルドイ村のラーゲリ(収容所)から、死ぬ気で志願した奥シベリアの伐採が思わぬ転機を巡らす。じゃが芋とキャベツだけだが、暖のある日々で体力を回復。さらに沖縄出身の比嘉伍長の機転で、身体検査をうまくすり抜け病弱者として、47年1月9日に北朝鮮の元山(げんさん)から船で長崎県佐世保に帰還することができた。  谷口さんはその苦しい捕虜時代の体験を「私のシベリア抑留記」として、自費で出版している。確かに無事、帰還できてはいるが、一歩間違えれば、シベリアの、さらには伊列克図の地となっていても不思議ではない。だからこそ、92年に自費で「シベリア墓参団」に参加したのだろうし、2010年6月にシベリア特措法が可決され、わずかばかりの給付金が支払われても「何を今さら」と思わず低い声で呟いたのであろう。
 帰還後、広島へ戻り、24歳で節子夫人と結婚。57年に家族で渡伯し、アマゾンのグァマ移住地に入植した。同移住地も大変な移住地と言われている。だが、「暖かいだけ良かった」と笑う谷口さんの言葉にシベリアの苦労が尋常ではなかったことが伺える。子供の教育のため、早くにサンパウロ州へ転出。その後、ピエダーデ市で長く農業を営み、現在はサンパウロ市内に居を構え、短歌や文芸をたしなむ谷口さん。その小柄な姿からは想像もできなかった人生。極寒の地シベリアでの抑留という、ものすごい体験を、ブラジルという暖かい国で、戦争を全く知らない人間が…体験者の目の前で直にお伺いで来たことを、心より光栄に思う。ぜひ、皆さんにも聞いて欲しい。

それでは、以下のリンクをクリックしてお聴きください。
http://brasil-ya.com/radio/20100922.mp3


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